第54話 日常

 結局、また徹夜をしてしまった。なのになぜだろう? 絵を描いていると、心がとても軽くなる。


 おれの紙芝居で救われるかもしれない人がいると思うと、胸が高鳴る。


 これまでの統計では、ほとんど糸子さんが最後に説得しておわっていたけれど。


 最近は失敗してないから、ちょっと調子に乗っているのかもしれない。


 いけない。気を引き締めないとな。


 ここで糸子さんに失望されたら、昨夜の告白が台無しになっちまう。


 いやー、でも、言っちゃったよ。恥ずかしいー。


「努ー、朝ごはんできてるわよー」

「はーい!!」


 そそくさと着替えて、紙芝居をドキュメントケースにしまい込む。


 階段を降りて行くと、さっそく母さんにひやかされた。


「あらー? 一晩のうちにすっかり色男になっちゃったじゃなーい。告白したの? 成功? な、わけないか」


 おいおい、結果を聞いてないでしょうが。でもまぁ、今はそれでもいいや。


「なんだ、努。お前弁護士になるとか言っていたそうだな?」


 はっ。父さんにバレた。


「お前にはそういう派手な仕事は向かん。地道に公務員を目指すんだな」

「……はい」


 それについては意義があったけれど、とりあえず素直に返事だけはしておいた。土壇場で決めるのは自分だからな。


「しかもお前、演劇部にまで入っているそうじゃないか」


 って、今、それを聞く? 一年前からやってるんだけど。


「劇場部」

「なんだと?」

「母さんの朝食、新聞見ながら食べないであげてよ。演劇部じゃなくて、劇場部!!」


 ちょっと強く言いすぎただろうか? だけど、母さんは素知らぬ顔をしているし、父さんは相変わらず新聞を読みながらごはんを食べている。


「どっちでもいい。就職に影響を与えるような軽率な行動は慎むことだ。どこで槍玉にあげられるかわからん世の中だからな」


 わかるけど。でもさぁ、父さん。おれ、三途の川で迷っている人たちをちゃんと見送ってるんだぜ。言えないけどさ。でも、一応は世の中の役には立っている。母さんだって、働きながらきちんと家事こなしてるし、たまにはおれたちの顔も見てくれよっ。


「お前を私立の学校に通わせているのは、将来のためだからな。そのことを忘れるなよ?」


 そこいら辺は感謝してますよ、ちゃんと。でもさぁ、そういうこと言うのって、どうなんだろう? 父さんさ、今度おれと真剣に話をしてくれないかなぁ?


「時間だろう? 遅刻はゆるさないぞ」

「……いってきます」


 母さんの弁当をありがたく抱えて家を出る。カバンもドキュメントケースも忘れ物なし。


「はぁー。息がつまるかと思った」


 実の所、これがおれの日常。薫にうらやましがられるようなもんじゃない。それに、父さんなりに不器用で、変に気をつかう人なのがわかっているけれど、ちょっと会話が成立しないのが悔しいところだ。


 つづく

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