第52話 心配事

 突然電話を切られて呆然とすること五分。なんと糸子さんから電話がかかってきた。


「はい、おれです。大変失礼なことを言ってしまいました。すみません!!」


 やっぱり事前にメールして、電話をかけてもいいのかを聞いておくべきだったかもしれない。


『こ、今回はわたくしが恥ずかしくなり、電話を切ってしまって申し訳ございませんでした。そのっ、怒っていらっしゃいます?』


 かーわーいーいーっ!!! やばいぞ。胸がドキドキしてきた。


「まったく全然、これっぽっちも。叱られることがあっても、怒ることはありませんから。はい」


 電話の向こうで、ためらうような糸子さんの息づかいが聞こえる。キャー!! ワー!!


 しばらくして、糸子さんが深い溜息を吐いたのがわかった。


『努様が好いてくださるわたくしは、いなくなるかもしれませんよ?』

「それって、はざまで芝居に失敗した時のことを思って? それともなにか、心配事があります?」

『みな様のお芝居に不安はまったくございませんし、また、説得に失敗したとしても、わたくしはひとつ歳をとるだけのことです。心配なのは――』


 糸子さんは電話口で、あの、その、と何回もためらいながら言葉を選んでいるのが伝わってくる。おれは背すじを伸ばした。


『もしかしたら、わたくしは、出会った時の老婆の姿に戻ることがあるかもしれません。そうなってしまったら、どうか醜いわたくしのことは、きっぱりと忘れてください』


 説得の失敗以外でも、糸子さんが元に戻ることがあるかもしれないってことか。


 でも、そうか。お婆さんだったもんな。


 でも。


 やっぱりさ。おれはさ。


「ねぇ、糸子さん?」

『なんですか?』

「おれ今、すっごい想像したんですよ。お婆さんの姿の糸子さんと一緒に海岸を歩くおれのこと」


 耳をすませばほら、いつだって聞こえてきそうな不規則な波の音。


「それってすっごく贅沢で、だから、誰にも渡したくない。おれはそれでも、糸子さんのことを好きでいるよ?」

『ですが、努様は初めてお会いした時に、口うるさい婆さんは苦手だとおっしゃっておりませんでしたか?』

「ああ、脳内ダダ漏れのやつね。でもおれ、そのことを今すごく後悔しているんだよ。そりゃあね。最初は若返りした糸子さんを好きになっかのかもしれない。でも、会えなかった時間も含めて、あなたの言動にやきもきしながら、それでもあなたを大切に思うんだ。だから、元の姿に戻った糸子さんと一緒にいるところを想像できた。ワクワクした。これって奇跡なんだよ」


 一気にまくし立てちゃったけど、糸子さんちゃんと聞いていてくれたかなぁ?


 おれ、すっごい恥ずかしいんだけど。


 つづく


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