第47話 糸子さんのお姉さん

「これで、ぼくからきみへの秘密はなくなったよ。あとは個人的に糸子さんに聞いてくれるかな?」


 いや、でも。やっぱり謎はひとつずつ解きたい。おれがそう言うと、薫は、そう答えると思ったと言って、憑き物が落ちたような笑顔になった。


「もうすぐ梅雨が明けますね。その前に、努様にはわたくしの姉の話をしておきましょう」

「いや、今日はもう――」

「乗りかかった船だ。最後まで聞いてあげてよ。ぼくは少し散歩をしてくるから」


 薫がおれの肩に手を置いて、廊下の向こうに歩いて行ってしまった。


「そうだ、舜と響が来るかもしれない。二人には話を聞かれたくはないでしょう?」

「ええ。ですから、薫様が気を利かせてくれたのです」


 なるほど。二人の足止めか。でも、そうまでして話したいことってなんだろう?


「姉の澄子は、幼い頃からとても気が弱くて、泣き虫であわてんぼうでお人好しでした。よくわたくしの方がお姉さんだと間違われたほどです」


 糸子さんは古い、映画なんかでよく見る、昔のお医者さんが使っているような、革のがま口のカバンをがはっと開けて、手帳に挟んでいた白黒の写真を取り出した。


 そこには、白黒だけれども仲の良さそうな姉妹が並んで写っていた。


「こちらの、わたくしのスカートを握りしめている方が姉です」


 なるほど。お姉さんの方が少し小柄なんだ。


「そんな姉も年頃になり、恋をいたしました。ですが、残念ながらその殿方には妻子がおりました」


 糸子さんはその時のことを思い出したのか、微笑みすら浮かべていた顔を苦痛の表情でゆがめた。


「あ、あの。無理に話そうとしなくてもいいですから」


 つらい気持ちを思い出さなくてもいい。そう思ったおれへ、いいえと首を左右に振ってみせる。


「どうか最後までお話を聞いてやってください」

「はい。わかりました」


 彼女の覚悟は並大抵のものじゃない。おれは息を飲んで次の言葉を待った。


「恋をして、あんなに楽しそうだった姉が日に日にやつれてゆきました。まさか、妻子ある殿方にだまされていたとは思っておりませんでしたから。そうして姉は、ついに自らの命を絶ってしまったのです。いつもそばにいたというのに、わたくしはそれを止めることができませんでした」


 おれは泣き崩れる糸子さんの背中を、一瞬迷ってからさすった。


「しかも、自害では幼少から仏様と仲良くさせていただいているわたくしであっても、地獄落ちをまぬがれることはできませんでした。なんとも無念です」

「ずっと、お姉さんのことを自分のせいだと責めてきたのですか?」


 おれが言うと、糸子さんは少し泣き止んで、それからじっとおれの目を見た。潤んだ瞳で見つめないでください。


「ですが、仏様ならなんとかしてくださると、信じておりましたのに」

「お姉さんのことはとても残念だけど。自害してしまったのは糸子さんのせいでもないし、もちろん仏様のせいでもない。お姉さんをだました男の責任だよ?」


 はっとなって、糸子さんは潤んだ目を見開いた。


「芝居、しませんか? ここで。お姉さんに見てもらえるわけでもなんでもないけど、お姉さんのために。おれたちならそれができる」


 なにげなくそう言ってしまったけれど。さっき台本もらったばっかりなんだよな。


「承知いたしました。もしかしたら、それが正しいのかもしれません。努様、気づかせてくださり、ありがとうございます」

「いや、そのっ」


 めずらしくほめられてしまって、居心地が悪くなってしまった。


「おれ、みんなを探して来ます!!」


 おれは後先も考えずに資料室を飛び出してしまっていた。


 つづく

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