第46話 嫉妬

「努様はおやさしい。ですから、少し心配なのです。どうか、だまされないように生きてくださいね」


 今日の糸子さんは、いつにも増して迫力があって。まるで、おれの知らない女性みたいに見える。どうして?


 そんなおれと糸子さんをさえぎるように、薫が立ちはだかった。なにか、よくないこと、か?


「糸子さん、努にはもう話してもいいですよね?」


 ぼくたちの関係と、出会いのことを。薫はなんてことないことみたいにおれの心にザクッと切り込んできた。


 嘘だろ、おい。このタイミングでなんて、覚悟できてないよ。


「ぼくがやさぐれていた頃を知っているだろう?」

「えっと? たしか初等部の頃?」


 そう、と薫はひとつ頷く。


「あの頃のぼくは、きみのことがうらやましかったんだ、努」

「へ? おれ?」


 なんでまた、おれなんか。


「きみはどこから切り取っても凡人で、おもしろみに欠ける男だった。親からの重圧をかけられている様子もないし、響と舜にも、当たり前のことみたいにやさしくしていた。ぼくは、きみのその態度がうらやましくてたまらなかったんだ」


 人生ではじめての嫉妬だったよ、と薫がつづけようとする。ちょっと待ってくれ、とおれが中断させた。


「なんの話よ? いきなりブラック薫くんが降臨しちゃったの?」


 そうじゃないよ。薫は涼しい顔をして笑う。


「ぼくはずっと、きみになりたかった。でも、そんなことできるわけがないっていうことも、ちゃんとわかっていた。そこまで愚かではないからね、ぼくは」


 その頃、海辺ではじめて糸子さんに会ったんだ。淡白な口調でそう言った薫を、信じられないような気持ちで見つめる。そんなに前からの知り合いだったのか。


「今にして思えば、それもすべて、母さんと糸子さんの友情の賜物たまものだったのかもしれない。糸子さんは、無機質にぼくにやさしくて、本のたのしさを教えてくれた。人生の厳しさも、人との関わり方をも教えてくれた。だから、糸子さんはぼくにとって、もうひとりの母さんみたいな存在なんだ」


 母さん。そうか、薫にとっての糸子さんは、母親のような存在だったのか。


「だったらどうして、最初から言ってくれなかったんだよ?」

「はずかしいからに決まっているだろう? だいたい、それを言い出す前に、努は糸子さんに告白していたし」


 うぐっ。それを言われてしまうと言い返せない。


「なにより、糸子さんのアドバイスがなかったら、ぼくはきみと劇場部をやろうなんて、絶対に言い出さなかったよ」


 おおー。なんだか謎のピースが続々とハマっていく感じがする。糸子さん、薫のために母親がわりになってくれていて、どうもありがとう。心から感謝してそう言うと、糸子さんは照れ臭そうに笑った。


 つづく

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