第41話 激情 その二
おれは、糸子さんの脇をすり抜けて走り去った。傘なんていらない。命ってなんなんだよっ!?
悪びれもせず昼間から酒を飲み、電動自転車を運転し、雨で急ブレーキがスリップしたせいで、山田は山田の正義感で命を落とした。
単なるモブキャラの癖に、最後は英雄になった。
だからって、年の離れた双子の妹たちの行く末が心配だろう? おやじさんの体が心配なんだろう?
やさしすぎても、家族を守れなかったら、なんにもならないじゃないかよっ。
気づいたら、舜に追いつかれていた。
「覚悟を決めたらどうだい?」
「っ、でもっ!!」
そうしたら、山田は本当にいなくなってしまう。もう、本当に……。
「
薫に傘を差しかけられた。おれの顎を涙と雨が伝った。そんなおれの体に、響のひとまわりちいさな体が飛び込んでくる。
「ぼくは、なにも言ってあげられないから」
そしてそれが合図でもあったかのように、ゆっくりと糸子さんが歩いてくる。
愛しい愛しい糸子さん。もし、おれたちの芝居がダメで、あなたがどんどん年をとってしまったら。それでもおれは、あなたを愛せるだろうか?
とはいえ、元は老婆だった。
ならばなぜ、山田の命は帰ってこない?
もう、わけがわからない。
「行きましょう?」
黒いレースの手袋をした手が、おれの前にさし出される。ほんの少し前のおれだったら、よろこんでその手を取っていただろう。
「嫌です」
断ることがせいぜいで。その手をつかむことすらできない。
そんなおれの頰が、一気に熱くなった。糸子さんにぶたれたのだと気づいたのは、だいぶ経ってからだった。
「いつまで甘えているつもりなんですか」
おれは、ぶたれた頰を押さえて、小刻みに震えていた。
「努様は、あのお方の大切なお友だちなのでありましょう!? でしたら、最後まできちんと見送るのが筋というものです。そうでございましょう?」
……大切な、友だち。
そうだ。おれ。山田にまだ、薫と仲直りしたって、言ってなかった。
「糸子さん、ごめん。もう片方の頰も殴ってもらっていい?」
「よーし! 歯を食いしばれぇー!!」
なにやら声が、下からした。
「よぉーしー!! かわいさ注入!! っ、痛いー!!」
覚悟していた場所より下から声がして、衝撃と共に、響に下から頭突きされたのだとわかった。
「いってぇ。響、大丈夫?」
おれは、自分のことよりも、地面にうずくまる響の心配をした。
「えへっ。ぼく、かわいいから、かわいいを注入できた? まさか、この期に及んで糸子さんからの報酬をもらおうとか思ってないよねぇ?」
その報酬が、ぶたれることだと気づいた時、おれははずかしくなってうつむいてしまう。
「ちがっ。そういうつもりじゃなかったんだ」
「でしたら」
糸子さんがレースの手袋を外しておれへと手を伸ばす。
「行きましょう」
「はいっ!!」
今度は迷わずにその手をつかんだ。あたたかい。人の温度だった。
つづく
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