第37話 以心伝心

 子供の頃、眠るのがこわかった。もし、このまま目覚めなかったら、死んでしまうような気持ちがしたから――。


 校門のところに、黒い影が見える。おれは乱暴に傘を押し開いて影へと進む。


「糸子さんっ!!」


 だが、呼びかけた影は糸子さんではなかった。


「薫!?」


 よかった。まだ間に合ったみたいだとホッとしたのもつかの間、すぐに薫に冷やかされることくらいわかってるんだ。おれのバカ。どうしてすぐに薫に呼びかけなくて、そこにいるのが糸子さんだと思うんだよ。


「きみの気持ち。教室に置き忘れるなよ?」


 ああ、なんだってお見通しかよ。そうだよ。おれは薫のことも本気で心配したけど、おれの糸子さんへの気持ちも本気だって気づいちまったよ。そして、よく見れば、舜と響までいる。


「なんで?」


 雨が降っているのに。


 大切な授業を放り出してまで、どうして?


「そうだな。雨のせい、かな」


 薫が答えると、二人もそう言うこと、と話をあわせる。


「とりあえず、時間がないんだ。みんな、授業中なのにすまない」


 薫があやまって、頭を深々と下げた。


 やっぱり。薫の母さんが亡くなって四十九日が近い? のかもしれなくて。


「ご名答。ぼくのわがままにつきあわせてしまって、本当にすまない」

「あやまるなよ」


 こういう時、モブでよかったと思う。邪険にされることに慣れているから。


 薫はカバンでおれの腕を叩いた。地味に痛かった。


 もう一歩、歩道に進むと、今度こそ、糸子さんの姿が見えた。今日はめずらしくパンツルック。おしゃれなレインブーツがよく似合う。そして、やっぱりきれいで。素敵すぎて。おれなんかにはかなわないと思ってしまう。


「それでは、参りましょう」


 滝のように降る雨が傘から消える。すでに見慣れた緑の壁と、川のせせらぎ――、なんてもんじゃない。大海原に浮かぶ大型船が見える。港には、薫の母さんがいた。


「ごめんなさいね。お待たせしちゃって」


 おばさんは、この前よりもなにかが吹っ切れたような笑顔だった。


「最後までわがまま言っちゃって、ごめんなさい。みなさんも、糸子さんも」


 え? おばさん、糸子さんと知り合いなのっ!?


「昔、ちょっとね」


 ちょっとってなんだろう? でもここは、突っ込んで聞いたらダメな気がするから聞かないけど。


「ちょっとってなにさ!? 突然家から出て行ったと思ったら勝手にのたれ死んで。糸子さんにどれだけ迷惑かけたの!?」


 あ、薫が突っ込んでしまった……。


 だが一旦ここで芝居に入る。全七編、長編劇『コレットとエポニーヌ』だぁっ。


 つづく





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