第六幕 コレットとエポニーヌ
第35話 将来の夢
紫陽花の花がうつくしく咲き誇る季節。暑がりな者は半袖で、寒がりな者は長袖。そんな季節でもある。
そろそろ中間テストだな、なんてまじめに勉強に取り組んでいたおれへと、薫が顔をよせてくる。
「どうした? 薫」
もしや、薫の母親のことで相談事ではあるまいなと勘ぐるおれのこめかみに、骨ばったげんこつがめり込む。
「ギブギブ!!」
「あのさぁ、努。きみ、美大に行く気ない?」
「……ない。おれ、そういう求められ方する絵は描けないもん」
見たでしょうよ。この前の紙芝居を。なぜか、糸子さんがとても感動してくれて、持って帰ってくれたのは単なる奇跡としか言いようがない。
「そうだよな」
「なんだよ、急に。うちは『音木大学』まであるから楽勝だっていうのに」
「いやね、ライバルは完璧に蹴落としたい主義なんだよね」
薫の言葉に胸がドキリとした。まさか、薫も糸子さんのことを?
「いや、大学になったら外部からも入部してくるじゃん」
そこで言葉を区切った薫は、おれの首を腕で締め付けながら、やけに深刻な顔になる。
「ぼくは、医大に行こうと思ってるんだ」
「は? 医学部なんてあったっけ?」
素っ頓狂な答え方をしてしまった。『音木大学』に医学部なんてない。薫はきっと、ほかの大学の試験を受けるつもりなんだ。でも、それはつまり、将来的に父親の後を継がない、政治家にはならないという選択なのであり。おれなんかにうかつにそんな相談されても、答えに困る。
「ずるいな。三人はおなじ大学で」
「じゃあもう、決めたのか? ……親父さんは?」
薫はおれから腕を離して力なく顔を左右に振る。
「あの人の後は、弟が継ぐだろうよ。ぼくの将来には期待してないって、この前はっきり言われた。大学卒業までは学費出してくれるらしいから、楽勝だけど」
「偉いな」
ちゃんと将来のことを考えているんだな。薫の頭だったら、医大も楽勝だろう。
「努はどうするの?」
真剣な話がつづくのは苦手なんだよな。でも、薫がこうして真剣に話してくれたのに、おれだけぼやかすのもなんだか悪い気がする。自分の頭に手を置きながら、さぁてとため息とともに言ってみた。
「おれみたいなモブはさぁ、きっと普通に会社員になって、そこでもやっぱり雑に扱われてさぁ、それからなかなか彼女ができないおれのために、親戚一同でお見合いを勧められたりしてさぁ――」
「糸子さんは? どうするの? 責任、とらないの?」
「は? へ?」
思いがけない言葉を返されて、変な声を出してしまった。休み時間とはいえ、教室の中が騒然となる。
「あ、ごめんなさい。すみません」
みんなに頭を下げてから、薫と向き直る。
「なんでそういうことを突然言い出すんですか、薫くん。ぼくびっくりしてしまったではないですか」
「好きなんでしょう? 糸子さんのこと。この前どさくさで告白していたし」
「それはまぁ。でも、糸子さんをこれ以上年取らせないようにすればさ」
おれのことなんて忘れてしまうよ。そしてもっとふさわしい人と一緒になるだろうさなんて。さみしくて、とても言い出せなかった。
つづく
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