第34話 潮騒

 潮騒に耳を貫かれて、現実に戻ったことを知る。


「みな様に御報告したいことがございます」


 突然、糸子さんが満面の笑顔で切り出した。


「なんと、今回はクリティカルヒットを達成しました!! おめでとうございます」


 そんなこと突然言われても、なんだか実感がわかないな。そんなことを思いながら薫を見れば、やっぱりきょとんとしている。


「好きな劇場で公演ができるのでしたよね? それ、少しの間保留にしてもらってもいいですか?」

「脚本の関係でしょうか?」


 糸子さんが薫にたしかめると、薫はそうではなくて、とつづける。


「なにかのための貯金みたいなものにしたいと思っているのです」


 具体的に言わなかったけれど、もしかしたらそれは糸子さんの命に関わることなのかもしれない。


「そうですか。クリティカルヒットは、他のことにも代用できるようですし、あわてて使わない方がいいかもしれませんね」


 そうか、貯金か。糸子さん、このまま年が止まったままだったらいいのにな。それに、気になることを言っていたし。昔木から落ちて死んだとか、なんとか。


「その件は、いずれお話することになるかと思います。それより努様。とてもダイナミックな描写の紙芝居でしたね」

「本当だよ。間に合ってよかったー」


 響がのんきな声を上げるも、舜はどこか遠くを見ている。


「あの、糸子さん。事故にあった正社員の二人がどうなったかを知りませんか?」


 おお、そうだった。よく気がついたな、舜。


「お一方は腰の骨を折り、半身不随に。もうお一方はいまだ昏睡状態にあります」

「生きている方も、それなりに苦痛が伴うんだな」


 おれの言葉を前に、不思議そうにみんなが見た。なんだよ。おれ、変なこと言ったか?


「それこそ輪廻転生持ち出して驚いたよ。しかもかなり勘違いした解釈をしていたけど、あの三人が素直でよかったな」


 おれの肩を薫が叩く。


 そう、人生というのは、どこでなにが起こるのかわからない。だからこそ、一生懸命に生きなくちゃな。


 でも、今は。


 おれは糸子さんの前まで進み出た。


「糸子さん、無理して笑わなくてもいいよ? 本当はつらいんでしょう? あの三人と、残りの二人の話を聞いて。そういう時は、泣いてもかまわないんだよ」


 おれが言うと、一瞬動きを止めた糸子さんの大きな黒い瞳から、大量の涙があふれてきた。おれは、ちょっと迷ったけどカバンの中から未使用のハンカチタオルを取り出して、糸子さんに渡した。


 大丈夫。泣き声は潮騒が消してくれるさ。


 そうしておれたちは、糸子さんが泣き崩れて砂浜に足をついてしまわないように、気を配っているのが精一杯だった。


 つづく


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