海原 薫視点。-エピソードゼロ-その二
家に帰りたくなくて、海岸をブラブラ歩く。砂浜って、転んだら砂が口の中に入りそうで嫌だな。
そんなことを思っていたら、中年のおばさんのため息が聞こえてきた。たしか、ご近所の豪邸で病気のお嬢様のお相手をなされている?
「あら、ごきげんよう。学園はたのしかったですか?」
また、か。そんなに県会議員の肩書きがうまそうに見えるのだろうか? みっともない。今にもよだれをたらしそうだ。それに、学園の話を外でするのははばかられた。
ぼくが視線を外したせいかもしれない。女性は、あらあらこれは、と言って近づいてきた。歩きにくそうな靴だな。
「自己紹介しておりませんでしたね。申し訳ございません。わたくし、海原様のお屋敷の近くの白百合家でお使えしております、川崎 糸子と申します。あの、失礼ですが薫様でいらっしゃいますよね? 本の好きな」
本を? 好きだって? ぼくが? 適当に選んだ子供向けの適当な本なんかに学びなんかない。まだ辞書を読む方が役に立つ。
そう答えたら、川崎さんはあらまぁと言って、昔のお医者さんが持っているような革製のがま口バッグをガバッと開いた。
「え?」
「それではっ!! ぜひぜひ、シェイクスピアをオススメいたしますっ!」
は? それって子供用? 『リチャード三世』?
「よろしければ、読んだ感想をお聞かせくださいっ。わたくし、毎週シェイクスピアの文庫本を貸しに承りますね。全三十七冊。つまり、三十七週になりますっ」
では、お嬢様がお待ちしておりますので、この辺で失礼いたしますとご丁寧に頭を下げた川崎さんは、読み込んだ感のある『リチャード三世』を残して去って行った。
ナニコレ?
つづく
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