海原 薫視点。-エピソードゼロ-

 県会議員の父さんと、ぼくの生みの母さんはまったく噛み合わない人たちだった。


 はじめから政略結婚でしかなかったから、よく父さんの女性問題で衝突し、母さんの大げさな泣き声が鼓膜を振動した。父さんの暴力的な言動にも必死で耐えていた。ように見えた。


 嫌だな、みっともない。そんなふうに泣くから、父さんに相手にされないのに。


「薫はたくさん勉強しろよ。母さんみたいな凡人にはなるな。母さんはな、昔小さな劇団で女優をしていたんだ。だから、わたしの気をひくために、あんなふうに大げさに泣き声をあげるんだ。本気で泣いているわけじゃない。嫌なら別れればいいんだ」


 そんなことを、平気でぼくに言えるほど、父さんは凡人だった。


 ぼくは父さんに買い与えられたたくさんの本に目を通した。どれも綺麗事のウワバミでしかなく、あまり興味を惹かれる本とは出会えずにいた。


 かと言って、インターネットもテレビも規制されていて、持たされた携帯電話もガラホで。GPSも常につけていないとこっぴどく叱られた。


 それでも父の県会議員という仕事に甘い汁を吸いたがる大人たちはいて、おなじ学園の生徒がぼくに近づいてくるのは、そういう大人が生んだ子供だけだった。


 退屈だ。退屈だ。あーあ、とても退屈だ。


 誰か転ばないかな? ぶざまに転んで笑わせてくれないかな?


 そうしたら心が、少しは晴れるだろうか?


 ふいに、凡人代表みたいな名前の山口 努が全力で校庭を走っている姿があった。陸田 舜と競争でもしてるのか? クラスイチ小柄な空野 響がスマホでタイムを計っている。


 走り始めてから二周目。これ何周するんだ? と思っていたら、山口が顔から転んだ。


「ぐばっ。おれの負けだっ!!」

「ぶはっ」


 ぼくの口から出た笑みに気づいた生徒はいなかったようだ。よかった。


 けど、あんな。期待していたよりもずっとぶざまに転ぶだなんて。ぼくは影へ回ってしばらく気持ちを鎮めた。人前で笑いたくなんてない。


 母さんみたいにぶざまだから。


 それなのにあいつは、山口はお笑い芸人よりもふざけた転び方をするなんて。


 本当にあいつ、モブ中のモブだな。


 つづく

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