海原 薫視点。

「ねぇ、きみってたくさん難しそうな本を読んでいるよね?」

「誰?」


 好奇心からぼくに話しかけてくる者は多い。生みの母の失踪、父親が県議会委員というただそれだけのことで。


「おれ、山口 努。努って呼んでくれよ」

「そ。ぼくは海原 薫。きみはシェイクスピアに興味があるの?」


 見たところモブ・オブ・ザ・モブというところかな? 最近、学園内のヒロインである空野 響と学園内の王子的存在である陸田 舜をたらしこんだと噂されている、あの山口 努。


「シェイクスピアかぁ? なんだか難しそうだな。おれ多分、ロミオとジュリエットしか知らないかも?」

「おそらくそれは、子供用に書き直されたものだろうね。ちゃんとしたロミオとジュリエットは、結構エグいシーンがあるから」

「エグいって、どのくらい?」


 なんだ、こいつ。なんでぼくの机にかじりつくんだ? なんでぼくの前から消えないんだ? 消えろオーラは出しているつもりなのに。


「エグいはエグいだよ。ぼくも、友だちから借りた本だから又貸しはできないけど。自分で調べれば?」

「うん。じゃあさ、見方を変えてみよう? 単刀直入にお願いするんだけどさ、きみ、脚本家になってくれないかな?」


 はぁ? 子供のお芝居を書けってのか? このぼくに? 将来は父さんを超えて国会議員になろうという、このぼくに? 馬鹿馬鹿しい。


「悪いけど断らせてもらうよ」

「なんで? きみ、いっつもテストでいい点取ってるし、ご両親だってきっとゆるしてくれるって」


 親? あんな親。自分の面子を保つためだけの父親と、いつの間にかすげ変わるようにあたらしい母親になった女。そしておれの身をおびやかす存在となった年の離れた弟。あんなの、家族と言えるのかっ。


「やっぱダメかぁ? おれたちが芝居したら、たのしくなりそうなのにな」

「それなら演劇部にでも入ればいいんじゃないか?」

「演劇部は、なーんかお上品な感じがするんだ。あくまでイメージだけど」

「じゃあ、あたらしく部を作るってこと? 単なる趣味じゃなく」

「それなんだけどさぁ。おれは今、水泳部なんだよね。響は読書部、舜はバスケ部に所属しているから、今すぐどうこうはできないんだけど」

「あきれた。そんなふわっとした感傷で芝居をしようだなんて。やっぱり引き受けることはできないよ。こう見えてもぼくはとてもいそがしいんだ」


 糸子さんの声が脳内に響いた。


『薫様は、もっとたくさんの感情を持ってもよろしいのではないですか? 笑ったり、泣いたり、怒ったり。このままですと、あなた様が軽蔑しているお父様のようになってしまいますよ?』


 あなたなんかになにがわかる?


 ぼくはぼくだ。決して失敗できない。たかが学力テストひとつだとしても、満点を取らなければ意味のない存在になってしまう。


『薫が議員になれなくても、あれはあの母親の血を受け継いでいるから仕方ないさ。そのために、みやびが生まれた。そうだろう?』


 ぼくがいないと思って話していた父さんの、あの冷たい目。あんな目で、母さんを見ていたから逃げ出したんだ。そしてぼくは知っている。母さんは父さんに虐げられていたことを。それは体罰だったり、時に突き刺すような言葉だったり。それに耐えられなくなって消えたんだ。こんな家にいたら、誰だって逃げ出したくなる。ぼくだって。


 でも、ぼくは逃げ出すことができない。この家に生まれてしまったのだから。海原の血を継いでしまったのだからり


「まぁ、ふわっとしたと言われてしまえばそれまでなのだが。高等部になったら、部を作りたい。劇場部なんてどうだろう、という話になっているんだ」


 なのにどうしてぼくにまとわりつくのだろう?


 ぼくは、こいつが嫌いだ。


 つづく

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る