第9話 お嬢様、その後

「わたくしの名前は川崎 糸子と申します。どうかそのようにお呼びなさってください」


 糸子さんは、ゴスロリ服がよくにあっていた。そのことを抜け目なく舜が褒めると、退職金をたくさんいただいてしまいましたので、とハンカチで目元を拭った。


 あの後、お嬢様はたいそうなお苦しみの中でも微笑みを絶やさず、あれほど拒絶していた緩和治療も受けるようになったという。だが、運命のわだちに組み込まれていたお嬢様の死だけはまぬがれることができず、ついにお亡くなりになってしまったそうだ。


「みな様のお芝居のおかげで、お嬢様は最後まで微笑みを浮かべておりました」


 今ごろ彼と一緒に極楽浄土へいるのだろうか? そう考えるとせつない中にも恩賞があったような気がして、ほんの少し、救われた気分になる。


 糸子さんの体は、お嬢様が生きている間は婆さんの姿を保っていた。それがお嬢様の望みだったようだ。そして、お嬢様の死後、体が少しずつ若返ってくることに恐れを感じ、退職することを決めたのだそうだ。


「そのとたん、ずいぶんと若返りましてねぇ。これは赤子までさかのぼってしまうのではないかと恐怖を覚えたほどであります」


 ですが、と言って、糸子さんは足を止める。


「みな様よりほんのわずかに若い、ここで止まりました。そして先日夢のお告げにより、みな様に三途の川を渡ることを躊躇している者たちへお芝居をしてもらえないか打診して欲しいと、仏様ほとけさまからの勅命を受けました」

「はっ? なにそれ? 仏様だって!?」


 だいたい夢のお告げなんてただの夢なんだよ。そりゃあお嬢様の時は不思議だらけだったけれどもさ。冷静に考えてみようぜ? ありえない話じゃないか。


 おれが一息にそう糸子さんへ告げると、だがそれでも糸子さんはがんとしてゆずらず、真っ赤な口紅をひいた唇をわななかせた。


「わたくしと仏様との関係をすべてお話することはできませぬが、おそらくみな様がご想像なさっているものよりも親密なものだとご理解いただきたいのであります。だからこそ、わたくしがあの世とこの世のはざまへみな様をご案内する役割を仰せつかったのでありますから」

「わかった。じゃあそれでたとえばその親密なご関係とやらを本当のことと受け止めよう? だが、おれたちがそこで芝居をするメリットはなんだ? むしろこっちへ帰って来られなくなる分、損をしてしまうのではなかろうか?」


 おれの言葉に糸子さんは違いますよ、と首を左右に振った。


「それは、前回のみの条件でございました。今回の条件は、みな様にとても都合よくなっております」


 そこで一旦口を閉ざした糸子さんから、不気味なほどのオーラが出ていることをおれたちは見逃さなかった。


 つづく

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