第36話

 この〈大平イン〉には3王と皇女も驚いていた。


「さすがにこがいな魔法を見るなぁワシもはじめてじゃ。いやはや、まだこがいな秘術をレイジローは隠し持っとったとはのぅ」


「まさか宿泊施設まで召喚するとは驚天動地というしかないのである。模倣する方法さえ思いつかないのである」


「むう……口惜しゅうでござるがこの精度の旅籠を形成する手腕、感服するしかないのじゃ。いやはや長生きはするものでござる」


「帝国でもこんな魔法を使える方はいないでございます。改めてお仕えするにふさわしい方だとお見受けするでございます……」


 〈大平イン〉の前で唖然とする44人を礼治郎は手招きして入れる。


「まあまあ、そんなことより中に入って。それで皆さん、宿泊にあたり記入用紙に名前と住所を書き込んでください」


 礼治郎は過去の〈大平イン〉を思い出し、宿泊の手続きを記憶をトレースするように行う。

 するとはやり受付カウンターに宿泊者記入用紙が存在し、その横には5本のボールペンがあった。

 〈ラッキースター〉と同様にカウンターには、見えない従業員が存在しているのが礼治郎にはわかる。


「住所はざっくりとでいいです。うちはあまりそういうのはうるさくないんで――」


 3王にも皇女にも宿泊者記入用紙に書き込みをさせる。他の者たちには字が書けない者もいたが礼治郎が素早く代筆する。

 礼治郎はカウンターにいる見えない店員に語り掛ける。


「45人宿泊朝食付きで――お代は15万7500円でいいよね? 朝は全部洋食でお願い。あ、僕だけ和食にしてください」


 そういって礼治郎は旧式のレジスターにスマホを近づけると、魔力が流れ出ていくのを感じた。魔力を換金して支払いを済ませたのだ。

 同時に〈大平イン〉のREVENUE・月間売上高を確認した。

 「REVENUE 50/15.75」と出た。つまり月に50万円の売り上げが出れば存続可能ということになる。


 やっぱり安い! 〈ラッキースター〉より安いと思っていたけど、予想通りだ。これなら頻繁に利用しても問題にならない。


 礼治郎は月間売上高が低いと踏んで〈大平イン〉を召喚したのだが、目論見通りだった。〈大平イン〉の宿泊は一人3000円、朝食付きで3500円で統一されており、経営がカツカツであったことを記憶している。




 部屋割りは礼治郎が担当し、それぞれの部屋のアクリル製のルームキーを順番に配布する。

 そして44人にざっと部屋の使い方を説明する。


「各部屋にシャワーがあります。ハンドルを回すことで水とお湯が出るから。トイレも用をすました後にハンドルを捻ると流れます。シャワートイレの説明は……え~と割愛します。それでこれがエアコンも……また後日で。涼しいから問題ないですね。で、これがテレビ」


 テレビをつけると放送が流れた。元の世界の放送がそのまま楽しめた。実際の〈大平イン〉があった環境と同じで民放は2局しかない。

 さすがに礼治郎以外は日本語が理解できないので、テレビの説明を省くことにした。

 次に案内したのが「大型浴場」である。皆を移動させて説明を続ける。

 〈大平イン〉の温泉は源泉であり、男女それぞれ同時に15人ずつ浸かれるのが自慢だった。


「浴場の使い方を説明します。男女それぞれ別で入ります。脱衣所で服を脱いでくださいね。ここでは浴衣の着替えを用意しております。風呂に入る前には必ず体を洗ってください。ハンドルを回すことで水とお湯が出ます。この青いボトルが石鹸、この赤いボトルが髪用の石鹸、白のボトルが髪の……艶出しです。お風呂に入れば汚れも疲れも取れますから是非利用してください!」


 浴場を目の当たりにしてラプトル達に捕えられていた人たちも仰天する。


「こんなの貴族様以上の扱いじゃないか。俺たちが利用していいのか?」


「こんなたくさんのお湯を見たのは生まれて初めてだよ。贅沢過ぎてわけがわからない」


 異文化過ぎてほとんどが当惑していた。だが3王と皇女は違った。

 浴槽にまで近づき、お湯を手にして唸った。


「まさかの癒しの魔力が流れておるのである。これに浸かればたいていの怪我も病気も治るである。我らとてそれは例外ではない!」


「えっ?」 


 魔王の言葉に礼治郎も驚いた。礼治郎も湯に手を浸すと穏やかだか力強い魔力の動きを覚えた。


「うちの温泉は魔法の泉だった? いやいや〈支店召喚〉でおかしなことになっている……」


 唖然とする礼治郎の横でイザベローズが瞳をキラキラと輝かす。


「規模はそれほどではありませんでございますが、こんなお風呂は帝国でもございません! 湯治も美肌効果も期待できますでございます!」


「ははは、女性はお風呂好きだもんね」


「はい! 是非とも利用させていただきます!!」


 イザベローズが凛とした顔に満面の笑みを浮かべて、両手を突き上げた。

 ここで皆を自由行動にしようかと思った礼治郎だったが踏みとどまり、外へと促す。


「皆さん、外に出したお店で必要なモノがあれば言ってください。またお風呂に入る人は、『お風呂に入る前に飲む飲み物』と『お風呂を出た後に飲む飲み物』を選んでください!」


 水分補給の重要性を知らない人がお風呂に入る危険性を考慮して、礼治郎はいった。

 結果、3王とイザベローズを含む26名が〈ラッキースター〉で飲み物などを購入すると、その後に温泉に浸かることになった。



 温泉体験者は誰もが満足の反応を示した。

 テンジンは湯上りにエナジードリンクを片手に豪快に笑う。


「ワシは湯に浸かるなぁ好きじゃないが、ここのは悪うないのぅ! 肩が軽いけん。全盛期の活力が漲るわ」


 ナフィードはビールを飲みながら上機嫌だった。


「入浴がまさかこれほど甘美であるとは――酒の味もますます冴え、満足である!」


 トマトジュースを一気にあおったヴァラステウスはニヤリと口角を上げる。


「全身の血管に魔力が穏やかに流れるのを覚えたでござる。いや温泉文化に天晴れと云ってしんぜよう!」


 イザベローズは特に満足度が高く、顔を上気させ、フルーツ牛乳を飲みほした。


「もう最高でございました! いや最高ではおさまらないほど最高でございました! 至福の体験にときめきましてございます」


 ナフィードが目を閉じて鼻で笑う。


「まさかテンジンが入浴するとは驚きである。500年、水浴びもしなかった貴殿が入るとは想像もしなかったのである」


 同意するようにヴァラステウスが頷くと、テンジンがバツが悪そうに口の端を歪める。


「ちっ! 細かいことはいうな。まあ……普段のワシなら入らんじゃろう。じゃが、風呂を見るレイジローの目が輝いとったろう? あれでラーメンのように楽しめるかもしれんと、思うたんじゃ」


 イザベローズはそんな3王を間近で見ながら呆然とする。とんでもない化け物であるはずの3人だが、不思議と怖くなかった。それどころか、その存在をもっと感じたくてしかたなくなってきていた。

 半ば勢いで帝国を捨てたが、予想をはるかに超える体験の連続にわくわくが止まらない。


 〈予知〉を信じてよかった!! 陰謀と殺意しかない未来なんか捨てて清々した! しかも最高のお菓子とお風呂がついてくるなんて!


 イザベローズは嬉しさのあまり礼治郎を全力で抱きしめたかったが、今はぐっと堪えることにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る