第32話

 刹那、ベヒモスがのけ反り、悲鳴を上げる。

 テンジンに殴られたのだ。

 体躯が十倍以上違う相手に拳を振るい、爆発が起きたような打撃を放っていた。

 礼治郎はまるでダイナマイトが炸裂したようなパンチだと思った。とてつもなく重く、とんでもなく激しい一撃――。

 ベヒモスはインゲロアを振り落としただけですぐさま反撃に出る。

 牛をも一飲みできるであろう顎を開き、テンジンを咥えようと動く。

 しかしテンジンは右に数歩移動するだけで、噛みつきをかわし、再びパンチを見舞う。

 バン! という炸裂音が響くとベヒモスは横にゴロゴロと2回転する。


 グガルルゥゥツ!! 


 呻き、頭を振って立ち上がったベヒモスは敏捷に動き、テンジンに向け、今度は牙と爪を突きこんでいく。

 だがテンジンはゆっくりにも映る足さばきでベヒモスの攻撃に合わせてカウンターを叩きつける。


「ほらほら、本気ぃ出さにゃあ、その前に牙を全部折ってしまうでぇ?」


 ド迫力でスピーディーな戦闘に礼治郎は釘付けになるが――自身が自然に〈加速〉していることに不意に気づく。

 意識しないうちに、〈知魂ヌース〉が展開に対応できるように〈加速〉を使ったのだと推測する。

 通常の感覚でテンジンの動きを見ていたのならば、到底眼で追いきれないだろう。

 またも人離れしていく自身に怯んだが、すぐに戦いに対応できずに死ぬよりもマシだと考える。

 そんな礼治郎の前にインゲロアが立つ。

 3メートルを超す長身に、黒く鋭い爪を備えたインゲロアが好戦的な雰囲気を醸し出す。

 鳥顔に強烈ないら立ちを乗せて、睨みを利かせる。


「今さら命乞いは無駄だぜ? もう遅い! おまえらの死は確定――せいぜい面白い悲鳴を上げて死んでほしいぜ!」


 趾の爪を強調させ、その強靭な巨躯を揺らしインゲロアが距離を詰めてくる。

 帝国の者たちはその異様な迫力に恐れ、絶叫を上げて逃げ出す。


「ば、化け物! 絶対に勝てない!」


「イヤだ! こんなところで死ぬのはヤダ!!」


 恐慌に陥る者がいる反面、帝国兵士3名がイザベローズの前で武器を抜く。


「皇女様を守れ! 命を賭けよ!」


 勇敢な忠義をこの修羅場で発揮した。

 インゲロアが内包する殺気を爆発させ、皆殺しの作業に入った刹那――その頭部はナフィードの手にあった。


「えっ?」


 インゲロアは鶏冠を掴むナフィードの手を、目を丸くして見つめた。


「ほら、記憶を読むのである。吾が輩は記憶を書き換えたり、消去するのは得意だが、繊細に読み取る作業は苦手である。まさかという失敗もあり得るので頼む」


 ナフィードは剣を鞘に納めると、片手でインゲロアの頭部をヴァラステウスに投げた。

 受け取ったヴァラステウスは両手でインゲロアの頭部を握ると、目を閉じる。


「ふむふむ……まあ大体のことはあいわかった。なれど鳥の記憶量は狭く、矮小で候」


 とヴァラステウスがいったところで、頭部を失ったインゲロアの体がばたりと倒れた。

 何とかしてくれると思っていた礼治郎であったが、インゲロアの首をナフィードが断つ瞬間を〈加速〉を用いた目でも捕えることができなかった。

 それほどの早業で魔王は魔獣将軍を討ったのだ。

 さらにほんの一瞬だがナフィードの魔力がとてつもなく膨らむのを覚えた。普段は抑え込んでいる魔力を瞬時に開放しているのだろうと想像する。

 礼治郎が感嘆を漏らす頃にイザベローズはようやく事態を飲み込んだ。


「えっ? 先ほどの強そうな鳥人間をもう退治なされたのでございますか? えっ? な、何をなされたのでございます?」


 長い睫毛を何度もパチクリさせて、イザベローズは頭部を失った遺体を見た。

 帝国の者たちも脅威が去ったことで一時的に安堵の表情を浮かべる。だがナフィードを見ると、再び怯えた態度になった。

 日頃テンジンの天災のような怪物っぷりに目立たないが、ナフィードの戦闘力・剣技もとてつもない領域にあることは明らかだ。しかも多彩で強烈な魔法を無詠唱で扱うのだから、その強さを簡単に測ることさえできない。

 直後、悲鳴が響く。人のモノではなくベヒモスの声だった。

 大型トラックのような体を横たえ痙攣するベヒモスの前でテンジンが仁王立ちし、舌打ちをする。


「弱い者としか出会うてこんかったようじゃのう。情けない! ちゃっちゃと故郷に帰れ。でないとあと10発は殴るでぇ」


 テンジンがそういうとベヒモスは震える肢体に力を込め、立ち上がるとよろよろと動き出す。

 魔獣の中の魔獣ベヒモスの獰猛なその顔には、煮しめたような恐怖が浮いている。

 テンジンのその蛮勇ぶりに礼治郎は感心しかけたがやめた。テンジンが心底ベヒモスに失望の目を向けていることに気づき、ただの戦闘狂なのだと断定した。

 巨大な危機は去った。

 だが、新たな問題を認識し、礼治郎は自分の服の胸元を強く握る。

 今からラプトル達が誘拐したという人々を救い出す方法を考えなければならないのだ。

 恐らくきちんと指示を出さないと3王は動いてはくれないだろう――礼治郎はそう考えるが、具体的な指示内容が思い浮かばない。


 ラプトル達をぶっ飛ばして、捕まえられた人間を連れ戻して!


 礼治郎は頭に浮かんだ言葉に身震いする。まるで困った子供のようだ、と思ったのだ。そこには策も計画性も何もない。

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