第23話
礼治郎がここ〈聖母の丘〉から出る日にちが決まった。
〈聖母の丘〉に簡易の町ができて凡そ19日経った日である。
出発の2日前――礼治郎は大きな四阿の下で、皆を集めて定期報告を行う。定期報告は凡そ3日に1度ほど行っていた。もちろん礼治郎が自主的に始めたわけではなく、3王に促されてのことだ。
大柄で銀色の短髪少年トドスが礼治郎に近寄り、頭を下げる。
「ここ3日で――一日一体パイアの解体を済ませております。腸でソーセージを作ったり、背脂、豚足も無駄にすることなく加工しています。パイア一頭で300人が凡そ2日飢えを凌げると検証ができました」
鮮やかなパイアの肉を手にしたトドスの背後でミチアとカナルが微笑んでいた。その笑顔に「この町の胃袋を支えることができる」という、誇りのような、自信のようなものを礼治郎は覚えた。
ミチア・カナルと入れ替わりに、別の少女たちが篭に入れた3種類の野菜、アムブロシア、ガオケレナ、バロメッツを担いで現れる。いずれも礼治郎によって〈身体強化〉を授けられた少女たちであった。
「ヴァラステウス様が栽培した野菜たちは成長し、その数も順調に増やしております。この調子であれば、30日後には野菜だけで300人を満足させられる収穫が望めそうです」
妖精王の植えた野菜は礼治郎も食べたが絶品と言わざるを得ない代物だった。アムブロシアはジャガイモとトマトと栗が合わさったような野菜で、ガオケレナは大蒜とキャベツの中間のようで、バロメッツはニンジンとバナナを合成したような味わいがあった。
少女たちが報告を終えると入れ替わるように、赤毛でたれ目の青年スピリオが兜と鎧を身につけやってくる。
「城壁内に特別な異常は皆無であります。また塔の上からの監視においても、周辺警備でも大きな変化はないと報告するであります!」
スピリオらクリキ公国兵士13名が〈聖母の丘〉の警備を担っていた。礼治郎が3名の兵士に授けた魔法〈感知〉を有効に使い、警備活動に励んでいた。
防具はヴァラステウスの指揮の元、稼働し始めた鍛冶屋で作成された代物である。
スピリオの脇に快活な顔をした少年3人が並ぶ。
「何かあれば俺ら〈魔獣討伐隊〉が魔獣や悪者を退治するから安心してくれよ! テンジン様の名を汚さぬよう頑張るぜ!」
テンジンに鍛えられた60名ほどの少年たちは全員が不敵とも見える面構えをしていた。一見トラブルを起こしそうな雰囲気をまとっているが、いずれも誰も乱闘や暴力沙汰を起こしてはいない。
言いたくはないが、テンジンの兵士訓練は褒めるに値するレベルなのであろうと礼治郎は思った。
〈魔獣討伐隊〉には魔法が使える者は少なかったが、〈火〉、〈風〉、〈身体強化〉などの魔法を与えることに成功している。
不意にヴァラステウスが礼治郎の脇に立つ。
「レイジロー、〈世界家〉を出すことを願い出るで候。実はこの町に留まり、町を守っても良いと言い出す者が我らの中におるでござる。良い機会なので、その者を皆に面通しさせようぞ」
「えっ? そんな人が……いや、そんな魔物さんがいるのですか?」
礼治郎は誰か自分に代わって魔物や災害にこの町を守ってくれないかと心の中で思っていた。ヴァラステウスかナフィードが適任だが、テンジンを抑え込むのに必要な人材なのでこの町に残すのは難しいと考えていたのだ。
驚きながら礼治郎が〈
フードの者が礼治郎の前に来ると、皺くちゃでカサカサの腕を突き出してくる。
「さあ、かの者を若返らせて欲しいのである。さすればまさかという働きをするのである」
ナフィードの言葉に礼治郎は出されたフードの者の手を掴み、〈若返り〉の魔法を行使する。
途端、コマンドが表示される。
この者を〈若返り〉させると魔力を400消費しますが実行しますか? Yes/No
えっ? 400? ――礼治郎の一日の魔力の大半を持っていかれるが、子供たちのことを考えると、町に残って守ってもらえる存在は不可欠だ。そしてその守護者が若くて健康ならばなおいいと考える。
Yesを選ぶと、礼治郎の魔力は一気にフードの者に流れ込む。
「ぐひっ、は、激しい~!!」
途端、1メートルちょっとだったフードの者の身長が倍になり、服の裾から豊満な肉体を露わにした。
フードの者は女性であった。しかも絶世の美女である。
「〈若返り〉感謝するでありまする! 我はヴァンパイアの長の娘、カラミアと申しますでございまする。この地を守るために頑張ることを約束するでありまする!」
カラミアは黒髪に黒い瞳に唇まで黒かった。20代半ばに映る外見で、豊かな肢体を持っていた。瞳は勝気だが全体的には淑女然とした女性に映る。
3王以外はカラミアの破壊的な美貌に仰天した。控えめに言っても、人知を超える美の持ち主であったのだ。
テンジンがカラミアに近づき、鼻を鳴らす。
「まさかまさか『今死ぬ』『もう死ぬ』が口癖のオドレが〈若返り〉を受け入れ、人間のために骨を折るたぁ思わんかったわぁ!」
カラミアは意志の強そうな顔に笑みを浮かべ、頷く。
「死ぬ準備は整っていたのでありまする。ですが、レイジローに出会い、驚愕の食べ物と出会ってから、死ぬのは少し待とうと考えたのでありまする!」
そういうとカラミアはフードの裾から、円形の紙の容器を取り出す。容器の蓋を開け、そこから手の平大の塊を手にする。塊の包装をはがし、口に放り込む。礼治郎はそれが六ピースパックのチーズであるとわかった。
カラミアは満面の笑みで、チーズを咀嚼すると音をたてて飲み込む。
「まさか乳を固めたモノがここまで美味いとは2000年生きてきて、まったく知らなかったでありまする! 自分にとって最高の好物と出会ったからは、しばらく生きるのも悪くないと考えたのでありまする」
カラミアは次に大ぶりのカマンベールチーズを取り出し、包装を剥がすとパクパクと噛み、次々飲み込んでいく。カラミアの動きは所作が美しく、食い意地の悪さを覚えさせない優雅さがあった。
「チーズの種類が豊富なのも感激なのでありまする! チェダー、モッツアレラ、ブリー、ゴルゴンゾーラ、ミモレット、グラナパダーノ、マスカルポーネ……そうそう割けちゃうシリーズもお気に入りでございまする!」
どれも〈ラッキースター〉で礼治郎が毎日買っていたチーズである。ヴァンパイアがチーズにドはまりしたことに驚いたが、乳も乳腺などを経た血の一種であると聞いたことがあるのでそんなものかな、とも思う。
それにしても2000歳? 魔力がよく400程度の消費で収まったな……。
礼治郎はカラミアという生物が規格外すぎると思い、理解するのを半ばあきらめる。
カラミアは表情を引き締めると、礼治郎の前で片膝をつく。
「老いぼれヴァンパイアでございますが、ここの者たちを守り、秩序を築くことに全力で挑むでありまする! 良いようにこき使って欲しいでございまする」
「えっと、あの……よろしくお願いいたします……」
礼治郎は自分でも情けないことにそんな言葉しか出なかった。
同時にナフィードが、自分に内緒で、問題を解決するために画策していたことに感謝する。確かに経験豊富な者が残ってくれれば、この集落を安定化させるためのピースが埋まるように思えた。
カラミアはスピリオやトドス達とも素早く握手を交わしていく。
「皆、我がレイジローの代行となるがよろしくお願いいたしまする。老いぼれではありまするが、パイア程度であれば1分もかからず血を吸ってのけるので頼りにしてもらって構いませぬ」
トドス達はカラミアにすでに羨望の眼差しを向け、吸血鬼であることなど意に介していないようだった。
頃合いを見計らい、礼治郎は自分でも覚悟していなかったことを皆に宣言する。
「数日後にわたしとテンジンさん、ナフィードさん、ヴァラステウスさんはこの地を一度離れます。魔獣の侵攻具合と、みんなの家族がどうなっているのか、ギャロス王国に向かう道すがら確かめてきます。そして必ずこの地に戻ってきます。いい知らせをもって!」
甘ったれはやめだ。みんなのため、自分のために動き出さなくてはならない!
そんな思いを込めて礼治郎が宣言すると、子供たちや兵士たちから賞賛と拍手を返された。
礼治郎はそこですでに旅立ちの準備が整っている自分に気づくのだった。
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