エピソード2「聖母の丘」
第10話
気が付いた時には礼治郎は地上に出ていた。
先ほどまで完全に意識を消失していたのであったが――。
「オドレはいつまでそうしとるつもりじゃ? 肝っ玉の小ささにほとほとあきれたでぇ!」
テンジンはそういい、横になった礼治郎の足の脛を軽く蹴った。
暴力に礼治郎は抗議しようとしたが、空の青さにその気が失せた。
そして、肺に流れ込む空気の上質さにたちまち上機嫌になる。
「気っ持ちいい~!」
草原に寝そべり、太陽の光を浴びると、全身に爽やかな生気がみなぎるのを覚える。
長い587時間の地下生活から脱して味わう晴天は、格別な感慨を礼治郎にもたらす。
それはヴァラステウスも同じのようで、瞳を閉じ、深く長い呼吸を繰り返していた。
「ああ、この草原を渡る風! それがしは一生吸うことができないとあきらめておったでござる」
礼治郎と3王は、〈王蛇の穴〉を抜け、地上に出ていた。4人とも、象牙色の短衣にズボンというおそろいの格好をしている。ムンガンドのところにあった生地で作ったシンプルなデザインの衣服だ。
ナフィードの〈飛行〉で、一気に4人ごと縦穴を上昇し、地上にまで到達していた。
地上に出るまでの記憶は礼治郎にはない。
本来は礼治郎も自身の〈飛行〉で、外に出る予定であったが、それが頓挫していた。
礼治郎は〈王蛇の穴〉に落下したことがきっかけで、高所恐怖症になっており、〈飛行〉が操れなくなっていたのだ。
5メートルほど昇るだけで、眩暈を起こし、恐怖で動けなくなってしまう。
それでも一刻も早く地上に出たかった礼治郎は、もしも自分が〈飛行〉でしくじって意識を失うようなら地上に運んでほしいとナフィードらに頼んでいたのだ。
8回目の〈飛行〉に挑んだ直後に、礼治郎の意識は飛ぶ。
気絶をしても、地上に運ばれたことで礼治郎はきちんとナフィードが仕事をしてくれたことを知って、感謝する。魔王がただの人間の希望を受け入れたのは〈使役化〉が働いたのだろうと察した。
だが〈使役化〉が完璧ではないことは、テンジンによって思い知らされる。
「なあなあ、ズバンとワシを竜に戻してくれんかのぅ。そしたら飛び回って今の世界をすぐに把握できるけぇよ!」
テンジンは口角を上げながら微笑み、礼治郎の肩をバンバン叩いた。
「テンジンさん、わたしの体を触るの禁止しますね?」
「はぁ? おいおい、ちっと過敏過ぎやせんか?」
テンジンは面白くないといった態度を隠さずにいった。
礼治郎は〈
使役化した者全員に〈人間の殺害禁止〉、〈許可なき魔法の使用禁止〉、〈許可なき戦闘禁止〉などの〈使役化〉に伴う条約を設けているが、テンジンだけは倍の約束事を設けている。
〈500m離れるの禁止〉、〈変身禁止〉、〈許可なく殺傷も禁止〉と定めていたが、さらに今〈肉体的接触禁止〉が加わった。
礼治郎が〈使役化〉した相手に要求を願うと、禁止項目が追加されるのだ。
〈
礼治郎が魔法の管理を、脳内で文字と数値で制御していると知ったヴァラステウスが、〈使役化〉もより細かく設定するように意見したのだ。
ヴァラステウスは若返ったテンジンをとても注視していた。〈使役化〉によって稀代の暴れん坊を制御できるならば、その機会を活用すべきと礼治郎に提案したのである。
ただ〈使役化〉において一つ例外も設けている。〈人の命を助けるためならば如何なる禁止も免除される〉という項目だ。
「ちぇっ! ワシばっかりかよ。糞! 全部、オドレが貧弱なのが悪いんじゃ。反省せえ!」
傍若無人のテンジンの振る舞いに、礼治郎は怒りを顏にあらわにする。
若返りでのテンジンの変化は目に余るものがあった。
粗暴で野卑で好戦的――テンジンは明らかに力を持て余しており、完全にトラブルメーカーになっていたのだ。
厄介者を作り出してしまったと後悔すると同時に、野に放ってはいけないという覚悟を礼治郎に抱かせる。
今、〈使役化〉を解除すれば、テンジンがこの世界の人類の災いとなることは考えるまでもない。
礼治郎は常識があるヴァラステウスに語り掛ける。
「〈使役化〉を解除するまで一緒に行動するしかないけど、とりあえず地上の状況を探るということでいいですかね?」
「いかにも――それがしどもの知識も古い上にこの辺りは完全に異郷の地。まずは見聞を深めるのが大事でござろう」
礼治郎もただ〈蒼天の義勇団〉に付いてきただけで情報がないに等しい。今いる場所がギャロス王国があるパルーロ地方の隣の、大東森地方であるぐらいしかわからない。
ふと一歩踏み出そうとして戸惑う。
たかが一歩であるが、今までとはまったく違うことに気づく。礼治郎は己が内包する凄まじい力と知性が、大海のように唸っているのを覚える。
それが怖くて仕方がない。
自分が人を超えたとてつもない化け物にでもなったようで、自分がどう変わったのか知ることが恐ろしくてならないのだ。
変わってしまった自分をこの世界に送り出す覚悟がまだできていなかった。
よし! 忘れよう!
礼治郎は己に向き合うことを拒絶する。地下に落ちる前の自分のままだと言い聞かせ、変わってしまったものに蓋をした。
「さて、行きましょうか」
4人は一歩を踏み出す。
正確には27名である。テンジンたちの他の仲間は、魔法の品の〈世界家〉に入り込んで一緒についてきている。
ぞろぞろと全員で歩くことをリスクが高いと考え、23名が〈世界家〉に入り、〈世界家〉を礼治郎の〈
何でも〈世界家〉の中は〈
歩き出した礼治郎にすぐに文句を言ったのがテンジンだった。
「おいおい、飛んでいかないのかよ? 魔法オンチのオドレでも歩くよりは早い! 浮いて飛ぶことができるじゃろう!」
「飛べば目立つでしょう。目立つと予期せぬ敵を招き寄せてしまうかもしれないでしょう?」
「なんじゃなんじゃ、それ。慎重というより、そりゃただの馬鹿だでぇ」
礼治郎は横暴なテンジンにムカムカしながらも無視をする。
礼治郎に続くヴァラステウスが声をかけてくる。
「徒歩にて進むのはあいわかった。しかしお主はいずこに向かおうと考えておるでござる?」
「取りあえず人に出会って、一番でかい町の場所を聞いて、そこに行って、今のこの世界の状況を知ろうと考えています」
礼治郎は最終的には魔法に造詣を深めた上で、前の世界に帰還できる方法がないか調べられないか考えている。
さしあたっては増大したこの魔力を活用し、一緒に転移させられた設楽達を援助できないだろうかと思う。
援助といっても限度があるだろうが、自由を奪われ、理不尽に殴られるようなことがないようにしたかった。
礼治郎の言葉を受け、ナフィードが突如、フードを割って、背中に蝙蝠のような翼を出現させる。
「では我が輩が空から周囲を眺め、どこに向かうべきか、情報を集めようと思うのである。まさか断るまい?」
「あ、はい、ではお願いします」
礼治郎がそういうとナフィードは翼をはためかせ、一気に上昇する。
点のような大きさになって数分してから降下してきた。
「大牙猪――パイアの大群が北北西からやってきている。まさかと思い、進行方向に目をやると子供がやたらに多い集落が目に入ったのである」
礼治郎は早くも怖気を覚えながら、恐る恐るナフィードに尋ねる。
「……パイアとは何ですか? 大きい猪というと3メートル台、成人男性の倍ぐらいの体積でしょうか?」
「まさか。パイアは一頭で人間の大人の男20人分の肉体をしているのが標準である。それがありえないことに今現在50頭ほどが徒党を組んでいる」
「げっ!」
怯む礼治郎に北北西に向いたヴァラステウスが告げる。
「パイアは大きな猪とは思わぬ方が賢明ぞ? 火魔法を使い、炎を吐く魔獣でござ候」
礼治郎も冒険者のはしくれとして、魔獣と普通の獣の違いは理解している。魔獣は魔法を使い、個体によっては話すことができるという。
当然、魔獣などに構う気はないが、「子供がやたらに多い集落」というワードをどうしても無視できない。
「ナフィードさん、子供の多い集落ということですが、間違いではないのですね?」
「無論。我が輩は〈千里眼〉を操るので、まさか見間違いということはありえぬのである」
礼治郎が望んでいない返答だった。また否定されたいと思いながら問いかける。
「ちなみに50頭のパイア――3人で退治できたりしますか?」
竜王・魔王・妖精王は瞬時に頷きを返す。
「当たり前じゃろう! ワシ一人でも余裕綽々よ」
「我が輩も一人でも構わぬ。まさか疑いはしないであろうが」
「それがしもまあ、何とかなるでござる」
虚勢を張らないヴァラステウスの言葉が決定的だった。
巨大百足ペルセフォネとの戦いを見ているとはいえ、素人の礼治郎は確認すると安心した。
怖いが、パイアから子供たちを守れるならば守らなくてはならないだろうという結論に至る。
礼治郎も仕方なしに〈飛行〉の魔法を使ってみた。
10センチほど浮いて移動する分には怖くはない。
「うん、こ、これなら何とか! え~と皆さん、行きましょう! 猪の化け物から子供たちを守ってください!!」
礼治郎は5分ほどで〈飛行〉のコツを掴み、時速30キロの速度で子供たちのいる集落に向かった。
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