第6話 ガイドさんの決意

 シトリーネと一緒にここを出ると約束をしていると……、


 ――ゴロゴロゴロ……ガシャン!


「きゃあっ!」


 突然の轟音にシトリーネが耳を塞いで叫び声をあげる。


「いまの大きな音……もしかして雷?」

「そうだと思う。もしかしたら、ばあやが、怒ってるのかも」

「ばあやが怒ると、雷が鳴るの?」

「うん。ばあやがこの美術館を作ったから、機嫌が悪くなると、天気が悪くなるときがあるの」


 機嫌で天気が変わるって……とんでもないな。


「そうなのか。じゃあ、早く、一緒に出る方法を探そう」


 そう言った瞬間、何かが足にまとわりつく感覚がした。

 見下ろすと、大きな本一冊分くらいの小人が二人いて僕の足を掴んでいた。

 それはシトリーネも同じみたいで、一緒にソファから床へと引っ張り降ろされる。


「う、うわ――」

「きゃ――」


 勢いが良かったが、痛みを感じる間もなく、そのまま引きずられる。


「な、何をするつもりだ!」


 振りほどこうとしても、小人は意外に力があって、びくともしない。

 成すすべもなく僕たちは、小人に引きずられ続けた。



   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 小人たちに無理やり連れてこられたのは、シトリーネと絵から取り出した果物を食べた中庭だった。


 あのときとは違って空を雲が覆っている。ゴロゴロと雷鳴も聞こえてきた。


「お前たち、いったい何の話をしてたんだい?」


 低い声が厳めしく響いた。


 それと同時に、小人たちが芝生の上に僕を座らせ、手足を掴んで動けなくする。

 もがいても、その大きさに似合わない力強さで、動けそうにない。


「ばあや……」


 隣で同じことをされたシトリーネが、中庭に立っている厳めしい声の主を呼ぶ。


「シトリーネ、話しなさい。小人たちが教えてくれたが、直接聞きたい」

「ばあや、わたし……やっぱり、外に出たいよ」

「まだ、そんなことを言っているのかい。儂は前も言ったはずだよ。作品はご主人様の意思を伝えることが本分。外に出るなど言語同断じゃぞ」

「そうかもしれないけど……でも、わたし、わたし……」

「――どうして、そう思うんですか?」


 必死に外に出たいと訴えるシトリーネを見て、僕もばあやに問いかける。


「なに?」

「シトリーネは、外に出て、人を知り、仲良くなって、皆にシューベルさんの作品を見てもらいたいと言っていました。僕にはそれが、シューベルさんの思いに反することとは思えないのです。どうか、シトリーネの意思を許してください」

「作品に人間のような心や意思はない! ただご主人様に込められた思いがあるだけさ! 作品は人にはなれん! じゃから、断じて認めらぬ!」


 お願いした僕の言葉を、ばあやは強く否定した。

 作品に人間のような心がない、か。


「僕が知る限り、普通は美術品が動くことはありません。ですが、ここの作品たちは、こうして動いています。それなのに、心が……意思がないと言えますか? ――この場所を作ったという、あなたにも」

「……坊や、貴様だな。シトリーネをたぶらかしたのは……許せん」


 ばあやは、僕をにらみつけると、茶色のコートの内側から丸い何かを取り出した。


 透明な水晶玉のようなそれの中には、赤い花――美しいカーネーションが咲いている。


「お客様が、作品を見てどう思うも自由だけどね。作品に干渉しようと言うんなら、話は別だよ。もう向こうに帰しはしない。坊やには、ここで石像にでもなってもらう!」


 怒り狂ったようなばあやは、カーネーションの水晶玉を光らせながら、ずかずかと乱暴な足取りで僕のそばに寄って来た。


 僕の頭に手をかざし、何か呪文のようなものを唱えている。


 石像って……そんな!


「ばあや、ダメだよ!」

「シトリーネ、安心をし。お前も同じようにしてやる。二人仲良くするといいさ……ここから出しはしないよ」


 ばあやはそう言いながら、にっこりとシトリーネに笑みを向けた。


「それは、やめ……て!」


 そして、水晶の光を強め――足首、すね、ふともも、腰、お腹、胸、肩……じわじわと僕の体を石に変えていく。

 もう首まで石化され、しゃべることができなくなった。


 そのとき――


「な、何をするんだい、シトリーネ!」


 小人に押さえつけられていたはずのシトリーネが、ばあやに抱き着くようにして、しがみついた。


 それと同時に体の石化も止まる。

 目だけでシトリーネがいたところを見ると、小人が横たわっていた。


 ――そういえば、シトリーネは力が強かった!


「もうやめて、ばあや! わたし、もう外に出たいなんて言わないから! 絵の果物も勝手に食べないし、お客さまと仲良くなろうとしない! 約束するから――ユーちゃんを元に戻して!」

「儂の邪魔をするな! この坊やには、シトリーネをたぶらかした相応の報いを与えねばならない!」


 シトリーネの必死の説得も、ばあやは一蹴した。

 その瞬間、シトリーネは、ばあやの水晶玉に手をのばす。


「こら、お止め!」


 ばあやも抵抗するが、シトリーネに水晶玉を奪われてしまった。

 そして、シトリーネはすぐに、ばあやから距離を取る。


「ばあや、ほんとに……ユーちゃんを戻してくれないの?」


 水晶玉を手に、悲しそうな顔でばあやを見据える。


「シトリーネ、お止めなさい! 儂や、この世界がどうなってもいいのかい?」

「――良くない。良くないよ……。どっちもわたしの大切なものだもん。でも、ユーちゃんが……」


 碧の目が僕を見る。


 そして、


「ばあや……」


 覚悟を決めたように、水晶玉を持った腕を振り上げ、


「お止め――!」

「――ごめん!」


 一気に振り下ろした!


 シトリーネの力が強すぎたのか、打ち付けられたのは芝生だったのに、水晶玉には大きな亀裂が入って――パカンと割れてしまった。


「シトリーネエエエエエエエ! ――ああああああああああ!」


 この世の者とは思えない悲鳴が、雷のように中庭に響き渡った。

 そして、ばあやは、砂になったようにさらさらと消えてなくなり――僕の石化も解けた。




 ――良い作品には、魂が宿る。





 確か、ばあやはそんなことを言っていた。

 もしかしたら、シトリーネが割ったあの水晶玉は、ばあやの――?


「ごめん。シトリーネ……僕が、余計なことをしようとしたばっかりに……」


 居ても立っても居られず、シトリーネに深々と謝る。


「ううん。それは違うよ。わたしに一歩を踏み出す勇気があったら、こんなことにはならなかった」

「シトリーネ……」

「ばあやはね。ここある作品が大好きで、いつもお世話をしてくれて……わたしのことも面倒を見てくれていたの。だから……ばあやをきらいにならないで?」

「……うん」


 良い人だって、言っていたもんな。

 ――突如、曇っていた空に、音を立てて一本の亀裂が入る。

 それは徐々に広がっていき、もう砕けそうだった。


「ばあやが、いなくなっちゃったから、ばあやが作ったこの世界もなくなっちゃう」


 シトリーネは、おもむろにワンピースのポケットをまさぐると、白い花を取り出した。

 それは、僕がここに来たときに見た――スズラン。


「……ここは出入口がないの。ルブラン美術館にある作品とわたしたちは繋がっているんだけど、作品を見て回った後は、お客さまにこのスズランを渡してお別れするんだ」

「シトリーネは……一緒?」


 僕の問いに、シトリーネは首を振った。


「わたしが外に出る方法は……ないの。ほんとは、分かってた。それなのに……巻き込んじゃってごめんなさい」


 深く頭を下げるシトリーネ。


「こっちこそ、力になれなくてごめん。あと――素敵なガイドをしてくれてありがとう。美術館に来てよかったよ」


 シトリーネは、かみしめるように目を閉じると、すぐ、見開いて……話し始めた。


「わたし、ガイドさんをしてて、お客さまに初めてお礼を言われたの。とっても嬉しかった! 胸がポカポカして、たまらなかった! 一緒においしいものを食べたり、名前も教えてくれて、それで、いま、気づいたの。わたしは……きっと……」


 なぜか、そこで言葉を止めて――


「お礼を言ってくれてありがとう!」


 僕の手を取り、持っていたスズランを握らせて、指を絡める。


 それで、

 きれいな碧色の瞳がついた顔を、

 ゆっくり、

 僕に、近づけて――


「本日は、当館にご来館いただきありがとうございます! 楽しんでくれたなら、わたし、とっても嬉しいです! ……じゃあね、ユーちゃん!」

 

 ほほを赤らめた女の子に、そう笑顔で言われた瞬間、聴いたことのある鐘が鳴った。


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