第5話 泣き虫なガイドさん

「シトリーネ……」

「まったく、聞き分けのない子だよ。見苦しいところを見せて悪いね、坊や」

「いえ……」


 シトリーネが出て行ってしまったのに、ばあやはやれやれと言った感じだ。

 いつも、あんなやり取りをしてるんだろうか。


「また納得いってない顔だね」


 確信めいた表情でばあやにそう言われた。

 そして、それは当たっている。


「はい。いったい何の話をされていたんですか?」


 シトリーネのことも気になるけど、今は、どういう訳があるのか詳しく知る方が先決だ。


「仕方ないね。少しだけ話してあげようじゃないか」


 はあ、と息を吐いたばあやは、僕の目を見据えた。


「あの子に、のことは聞いているだろう?」

「ここ、というと……?」

「なんだ、説明してなかったのかい。本当に仕方ない子だね」


 クドクドとシトリーネへ悪態を吐いて、ばあやは説明し始めた。


「ここはセント・ルブランドール美術館。儂が作った世界さ」

「世界を、作った……?」

「ああ、そうだ。作者の伝えたい思いが尋常じゃないほど強い作品には、魂が宿る。その作品たちが動けるように、住まう家を儂が作ったのさ」


 ――そんなことがあるなんて。


 ばあやの話が本当なら、ここは、僕がいた世界とは違うってことになる。

 嘘だと思いたいけど……最初、僕がここに来たとき、尻餅をついて痛かったしな。

 少なくても夢ではなさそうだ。


「どうして、僕をこの美術館に? きっと何か理由があるんですよね?」

「察しが良いのう。ああ、そうじゃ。儂のご主人様の意思を伝えるため、外の世界の者たちを招いておる。無論、お前だけでなく、これまでに何人もな」

「ご主人様というと、シューベルさんのことですよね。彼の意思って何なんですか?」

「我がご主人様は、大変慈悲深きお方だった。人々が幾度も起こす醜い争いを嫌い、互いに助け合う思いを大切にしておった。だからか分からんが、ご主人様が手掛けた作品には、困っておる人を助けたい、という意思が込められておる。そして、儂ら作品には、もうひとつの意味がある――平和への願いじゃ」

「平和、ですか?」

「ああ。ご主人様が生きていたころから、人々は醜い戦いを繰り広げておる。今この時まで続いておるそれを根絶したいとご主人様は願っておった」


 ここ一番強い口調でばあやは話す。


「いつも戦争を始めるのは大人さ。大人は価値観や思想が固定され、変化する余地はない。しかし、まっさらな子供は違う。純粋で、どこまでも染まる。儂はそんな子供らに、ご主人様の作品を見てもらえれば、その子の代でご主人様の意思を達成できると思うたのじゃ。誰一人飢えるものがいない。憎しみ合うことのない。ましてや殺し合うこともない――そんな平和な世界を作ってくれるとのう」

「そうだったんですね」


 作品にそんな意味まであるとは知らなかった。


「うむ。じゃが、子供にはちと難解な話だ。それで、シトリーネに作品たちを見て回るためのガイドをさせていたんだが……まあ、上手くいかんでの。せっかく子供を呼び込んでも「こいつ、動いてる!」などと泣き喚かれたり「絵なんてみてもつまんない。早くもとの場所に帰せ!」などと無礼極まりないことを言われたりして、トンボ返りってわけさ」


 まったく、ひどい話だよ、と憤慨するばあや。


 その言葉の直後、僕は立ち上がる。


「おや、どうしたんだい?」

「シトリーネのところに行きます」


 背中越しに答えながら、ドアの方へと歩く。


「そうかい。まあ、作品を見てどう思うもお客さまの自由さ」

「色々説明してくださりありがとうございます。料理も美味しかったです。では――」


 僕は深々と礼をして、出て行ってしまったシトリーネを探すため館長室を後にした。





「ああ、どういたしまして。坊や」





   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 シトリーネを探すため、これまで彼女と見て回った美術館の中を走り回る。


 ちょうど、さっきまでいた中庭の近くまで来ると、しくしくという泣き声が聞こえた。

 走る足を緩めて、休憩用ソファの上でうずくまっている影の近くに寄る。


「シトリーネ」

「ほっといて、いま、かなしく、なってるから」


 声をかけるが、途切れ途切れの言葉が返ってきた。


「なら、悲しくなくなるまで、そばにいるよ」


 僕は、そう言うとすすり泣くシトリーネの隣に腰を下ろす。


「なんで、ほっといて、くれない、の?」

「なんとなくだよ。ほっとけなくて。ダメかな」

「ダメじゃ、ないけど……ごめんね、わたし、ガイドさん、なのに……君はお客さまなのに……今度こそ、ちゃんとできたと、思ったのに……」


 肩を震わせるシトリーネは、初めて出会ったハツラツさはなく、ひどく弱気だ。


「シトリーネは立派なガイドさんだよ。あんなにいっぱい作品について教えてくれたじゃないか。僕は楽しかったよ」

「ほん、と? わたし、ガイドできてる?」


 ずっと俯いていた顔を上げて、僕にそうきいて来た。

 濡れていない白い頬が支える碧の瞳が、キランと輝いていた。


「うん」


 僕は深くうなずく。

 それで、すこし安心したのか、シトリーネはふっと笑った。


 落ち着きを取り戻したシトリーネは、僕に説明を始めた。


「ばあやとは、よくケンカをするの」

「ケンカって、さっきみたいな?」

「うん。ばあやはね、わたしたちはあくまで作品だから、お客さまと仲良くなっちゃダメだっていうの。お客さまのことや、外の世界のことについて知ってしまったら、その人のことが離れなくなって、作品に込められた思いが歪むかもしれない、作品としての本分は伝えることだからって」

「思いが歪む……」

「わたしには、よく分からない。ご主人さまがどんな思いを込めてわたしを作ってくれたのか、知らないの。ただ、生きて、って言われたのは覚えてるんだけど……」


 生きて……か。どんな意味があるんだろう?


「シトリーネは、どうしたいの?」

「……外に出たい」


 シトリーネは今までで一番力強くそう言った。


「外に出て、わたしを作ってくれたご主人さまと同じ世界を見たいの。見て、感じて、触れたい。それで、出会った人と仲良くなりたい。いっぱい仲良くなったら、ここに招待をして、皆にご主人さまの作品を見てもらって……それを何度も、何回も繰り返して……! うまくいかないかもしれないけど、いつか、わたしも……外のみんなと同じように、心を通わせたいの」


 熱く語るシトリーネ。その様子から本当にそう願っていることが分かった。

 なら、僕から言えることはひとつだ。


「そっか。じゃあ――一緒にここを出よう」

「え」

「シトリーネさえ良ければ、だけど」

「ほんと、に?」


 僕の提案に、口を両手でおさえるシトリーネは震える声をこぼした。


「うん。けど、僕にはここから出る方法も分からないし、外――ルブラン美術館に戻ってもシトリーネが動けないなら、意味がないかもしれないけど……僕は、一緒に出たいなって思うよ」

「ありが、とう……そんなことまで、思ってくれて……わたし、うれしいよ。でも、お客さまにそこまでしてもらうなんて――」

「僕はお客さまじゃないよ。シトリーネが言ってくれたじゃないか」

「え?」


 途中で遮った僕の言葉に、驚いた顔をするシトリーネ。

 仕方ない、教えてあげよう。


「……ユーちゃんって。もう僕たちは友達だよ。シトリーネ」

「――うん!」


 さっきよりも大きな声が返ってきた。


 もうここには、泣き虫なシトリーネはいなかった。

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