第3話 自由の柱

 ここだよ、と言いながらシトリーネさんは透明な扉をゆっくり開ける。

 次には、もう我慢できない! なんて叫びながら一気に駆け出して行き、


「うーん! やっぱり外空気は良いなあ」


 満点の青空の下で、日の光を浴びながら大きく伸びをした。

 そんなシトリーネさんの後に僕も続く。


「美術館にこんなところがあったんだ」


 出てみるとテニスコート三面分ほどはありそうな広い中庭だ。

 あたりいっぱいに芝生が植えられていて、裸足で歩きたくなる。

 ところどころにレリーフがある石柱が何本か立っていて、ちょっと神秘的だ。


 つい見とれていると「こっちこっち!」と元気な声が聞こえてきた。


 我に返ると、シトリーネさんが中庭の中央に設置されているベンチの近くで大きく手を振っていた。


 おっと、いけない。

 シトリーネさんのところに歩いて向かう。


「ごめん。雰囲気が良くてつい……」


 あまりの良さに走るのはもったいなくて、ついゆっくり歩いてきてしまったほどだ。


「ほんと? ご主人様は柱が好きでね! ほら、柱っていつも何かを支えているじゃない? だから、たまには休日を与えないとって、上に何もない柱を作ったんだって」

「へえ、そうなんだ。じゃあ、あの柱たちも作品なんだね」

「うん、そうなの。だけど、ご主人様にとっては上手く作れなかったらしいの」

「え? どうして?」

「休日を与えるつもりが彼らには自由を守るための天を支えさせてしまった。小さな命を見守る気高き青空を……ってご主人様が言ってたなぁ。縁の下の……えっと、えっと……なんて言うんだっけ?」


「力持ち?」


「そう、それ! ご主人様はそういう人が大好きなの。だからその人たちのことを思って作ったのに、石柱は何かを支えることを誇りにしていたから、今まで支えていたものよりも大きなものを支えさせてしまって……折れてしまわないか心配なの。石柱たちは全然そんなこと思ってないんだけどね。空の青さを守りたい一心なの」


「空の青さ、か」


「うん。この中庭がこんなに心地良いのは、石柱さんが空の青さを守っているかららしいの。たまに雨も降るけど……ほとんど晴れてる。だから絵に描かれた果物や水に弱い作品もここなら安心して日向ぼっこできちゃう! ほんとは作品がいたんじゃうから、あんまり出たらダメなんだけどね」


「ふーん。よく分からないけど、つまり頑張り屋さんってことか」


「そうそう。そうなの! 石柱さんには、いつもお世話になってるからお休みを作ってあげたいんだけどね、どうすればいいか、なかなか思いつかないんだぁ……」


「うーん……柱が休む方法かあ」


 シトリーネさんの熱のこもった作品解説を聞いている内に、気づけば対応策を真剣に考えている自分がいた。


「あ、ごめんごめん。ついつい長く解説しちゃったね。君はお客さまなんだから気にしないで。さあ、たべよう」


 さあ、座って座って! と促されるままベンチに腰掛ける。


 その後すぐ「よいっしょっと。お隣失礼します!」とシトリーネさんも僕の左側に座った。


「はい! リンゴとさくらんぼだよ! バナナさんもあるよー」

「あ、ありがとう」


 スカートのポケットに入れられていた果物たちをおずおずと受け取る。

 すぐさま、その質量が本物の果物と相違ないことを実感した。


 たまらず、渡されたリンゴをひとかじりする。


「……おいしい!」


 本物だった。


 少し酸っぱく、淡いさっぱりとした甘さが、絵から出てきたこの果物が「リンゴだ」というのを証明していた。


「でしょー! ほんと、おいしいんだこのリンゴ……! はむ! ――うん。おいしぃー、たまらん! あ、さくらんぼはデザートだよ」


 シトリーネさんは僕の反応を見て安心したのか、満面の笑みを浮かべてリンゴをかじり始めた。


「わ、分かったよ。でも……大丈夫なの」


 美術館の作品的に。


「なにが? はむ!」

「その……絵の果物を勝手に食べちゃって」


 食べた後で言うのもあれだけど。


 僕の不安が伝わったのか、シトリーネさんは目を逸らして


「えっと、その……まあ、だいじょうぶだよ! うん!」


 としどろもどろに返答された。


「本当に?」

「も、もちろんだよ! ガイドさんが嘘つくわけないよ!」


 追及すると怒ったようにふくれっ面になり、そっぽを向いてしまった。


「なら、良いんだけど……」


 ひとつここは彼女を信じることにしよう。

 それから、リンゴとデザートのさくらんぼ、いつの間に絵から取り出したのか分からないバナナを食べている終え、しばらくシトリーネさんと雑談をしていると、


「あのさ、わたしからもひとつ訊いてもいいかな?」


 と切り出された。


「え? うんいいけど。何かな?」

「ほんと! 嬉しい! えっとね、その……」

「うん」

「君の名前を教えてほしい、です!」

「名前?」

「うん! ほんとはあんまり良くないんだけど、どうしても知りたくて……ダメ、かな?」


 打って変わった細い声で、人指し指同士をつんつんしながらそう言ってきた。

 まあ、断る理由はないよな。


「別にいいよ。えっと、それじゃ。こほん――瀬戸祐介と言います」

「せとゆうすけ? ステキな名前だね! それじゃあ、ええっと……」


 それから腕組みをしたシトリーネさんは、うんうんと唸っている。

 しばらくて「うん、決めた!」と大きな声を上げた。


「これからは、ユーちゃんって呼ぶね。これでどう!」

「うん。別に、それでいいよ」

「えへへ。決まりだね。あ、わたしのことさん付けしなくていいからね。お互いフレンドリーにやろう!」

「分かったよ。シトリーネ」


 気恥ずかしいが、慣れるために一度名前を呼ぶ。

 それはお互い同じようで、ふふと同時に笑みがこぼれた。


「えへへ、お客さまに初めて名前訊いちゃったよー」

「そうなの?」

「うん。ユーちゃんは特別! あ、そういえば、お腹いっぱいになった?」

「うーん。どうだろう。本当はお弁当を食べる予定だったからなあ。少しはましになったかも?」

「オベントウ! そうなんだ……! 外の世界の食べ物だよねえ。わたしも外に出て食べてみたいな」

「外に出たいって?」

「あ、その……何でもないよ!」


 僕の問いかけに何度も首を左右に振るシトリーネ。


 ――どういう意味だろう?


 それについて詳しく訊ねる前に、


「じゃあさ、料理を食べにばあやのところに行こうよ!」


 と突然、大げさに言われた。


「ばあや?」

「そうそう! ばあやは作品のことを何でも知ってるんだ。それで料理ができるんだよ! ……ね? ね? 行こ!」


 ばあやの説明もそこそこに、ガシガシと腕にしがみついて来た。


 い、痛い!


 シトリーネは力が強いらしい。


「分かった、分かった! 行くよ! だからそんなに引っ張らないで」

「やったー! 決まりだね! ガイドさんがばあやのところまで案内するよー!」


 そう言うと同時にシトリーネがベンチを立つと僕の手をガシっと掴んだ。

 冷たい手に掴まれたまま、僕たちは中庭から移動し始める。

 シトリーネはどうやらこのまま案内するつもりらしい。


 ばあやのところに行って……作品で料理がどうとか言ってたな。


 どうなるのか全く予想できない。

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