第2話 おちゃめなガイドさん

「ほんとにだいじょうぶ? おどろかせちゃってごめんね。――はい!」


 まだこの状況についていけていない僕に、元気の良いハキハキとした女の子は手を差し伸べてくる。


 少し不安だったが、恐る恐るその白い手を掴む。


 ひた。


 ――つ、つめたい……!


 女の子の手に触れた瞬間、その石のような感触と温度に背筋まで寒気が走る。

 でも、像と同じ顔をした女の子が「うん?」と不思議そうに首を傾げるので、そのまま手を取って立ち上がった。


 女の子の前でこれ以上恥ずかしいところをみせるわけにはいかない。


「ありがとう……えっと、君は?」


 お礼のついでと言ってはあれだけど、女の子がどんな存在なのか確かめないと。


 僕の言葉を受けて女の子は軽く咳払いをする。


 そして、流れるように一歩下がり、背筋を伸ばして、勢いよく礼をした。


「今日はルブラン美術館に来てくれてありがとうございます! 今日はルブラン美術館に来てくれたお客さまの中から特別に、当館へご招待させていただきました!」

「特別に……ご招待?」 

「はい! お客さまは特別に選ばれた方です! なので、他の人はいません! あ、もうこういう感じはいいかな!? わたし、どうしてもこういうの苦手で……! 解説もよく端折っちゃうからよく【ばあや】にも怒られるんだけど……。ああ、話がそれちゃった! 何か分からないことがあったら何でもきいてね!」


 礼儀正しい感じも最初だけで、すぐに口調を崩した女の子。


 話し出したらとまらない! て感じだけど、欲しい情報は教えてくれない。


 そんなまぶしいまでの笑顔でごまかされても、何の説明にもなっていないのだけど……。


「えっと、じゃあ……早速質問いいかな?」

「うんうん! なんでもきいてね!」

「君の名前は?」

「わたしのなまえ? ああ、ごめんね! 自己紹介忘れてたよ。あはは……」


 女の子はきょとんとした顔をしたあと、両手を合わせて謝ってきた。

 なんだか悪いことをした気分になるな……。


「わたしは、シトリーネ! ここのガイドさんをしてるの!」


 女の子は胸を張ってそう教えてくれた。


「ガイド、さん?」

「そうそう。ガイドさん。ここに展示されているご主人様の作品をお客さまに案内するの。世界には、ご主人様が描いた絵とか彫刻とかがいっぱいあって、ここにもたくさんあるんだよー?」

「へ、へえ、そうなんだ」

「じゃ、時間ももったいないし、さっそくいこー! あ、そうだったそうだった。これをいうの忘れてた!」


 意気揚々と作品が展示されている廊下へと一歩を踏み出したが、すぐに僕へ向き直る。


「セント・ルブランドール美術館へようこそ――ぜひぜひ楽しんでいってね!」


 あれ……美術館の名前違くない?



   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 僕は不思議に思いつつもシトリーネという名前の女の子に付いていくことにした。


 さっきまでは単なる美術品――動かない像だったはずの怪しさ満点な女の子……嘘みたいなことだけど、さっき尻餅をついたときの痛みがまだあるし、これが現実なんだってことはよくわかった。


 あと、何と言えばいいのかな。


 ただひたすらに純粋な気がするんだ。

 向けられる笑顔や態度がとっても温かい。


 痛いほど。


 そんなことを考えていると、シトリーネさん(とりあえずこう呼んでおく)に絵画が展示されているホールまで案内された。


 さっきまでいたルブラン美術館と全く同じ配置だ。


「こっちがリンゴとさくらんぼの絵。ご主人様がお腹が空いて動けないーって人がなくなるように願いをこめて描いたんだって! あと、こっちがひと房のバナナ! バナナって本当はもっと大きくて、ひと房ひと房を繋げていくと一つの大きな輪になるんだって。大きな輪から、ひとかけら、貧しい人に糧を与えられるようにって意味があるんだよ!」

「へえ、そんな意味が……」

「こっちにある『一面の黄金』は、小麦で富を象徴していて、えっと、こういうのお金っていうんだっけ?」

「うん。合ってると思う」

「ほんと! よかった。――で、そのお金は人が苦労して手に入れるんだよね。それを畑を耕す人で表していて、一面って名づけられてるけど、絵の畑は半分くらいしか実ってないんだよね……。これは、お金を蓄える……えっとためるだけじゃダメで、使ってこそのお金だよって意味らしいの。……それが回りまわって誰かの飢えを満たすんだって。その全部を含めて、黄金なの」

「そうなのか。お母さんにはよくお小遣いはきちんと貯金しなさいって怒られるんだけどなぁ。お金は使うべし、ってことか」

「え、そうなんだ。お母さんはそういうこと言うんだね。ふむ、良いことを知れたなぁ。あ、えっと、ごめん。そのあたりのことわたしにもよくわからないんだけどね……!」


 きれいな小麦畑の絵を前に、シトリーネさんは「えへへ」とはにかんだ。

 その後、はっと何かを思い出したような顔する。


「でもね。誰かのために、自分が持っている何かを分けてあげるっていう思いが、人類の財産なのだ! ってご主人様は言ってたよ」

「なるほど……勉強になるな。解説ありがとうございます。シトリーネさん」

「え、あ、う……うん! えへへ、どういたしまして!」


 お礼を言っただけなのにシトリーネさんは、ドギマギして、真っ赤になった。

 それこそ、リンゴやさくらんぼみたいに。

 シトリーネさんの反応に触発されて、またリンゴとさくらんぼを見ていると


「あ、もしかしてお腹空いてる?」


 と訊かれた。


「うん。そうだね。ちょっとだけ空いたかな」


 今頃、本当ならお弁当を食べる時間だしな。


「そっか、そっか。そりゃあ、お腹空くよねー! ご主人様の絵おいしそうなものばっかりだし! なんだか口の中がよだれまみれになりそうだし! ほんとになったことはないけど!」


 腰に手を当てて「わかるわかる!」と何度も頷くシトリーネさん。

 まるで自分に言い聞かせているように聞こえる。


 変だと思っていると、急に周りを見回し始めた。


「いない、よね。よし!」


 注意深く何度も確認したシトリーネさんは、リンゴとさくらんぼの絵の前に立った。

 すると両手を祈るように合わせる。


「ごめんね、リンゴさん。さくらんぼさん――飢える迷い子に旨し糧を」


 呪文みたいなことを呟いた。


「これでだいじょうぶ! ちょっと待っててね」

「え!」


 何の躊躇いもなしにシトリーネさんは絵に手を伸ばしていく。

 美術品に直接手を触れちゃダメなはずだけど――そう思うより早く、驚くべき事態が発生した。

 シトリーネさんの手が絵に吸い込まれるように入っていくと、描かれていたりんごとさくらんぼを取り出した。


「は、え、どうやって……?」

「えへへ、ご主人様の絵はとっても良い作品だから、お腹が空いている人がいると分けてくれるんだよ? すごいよね! その代わりに、描かれた食べ物が少し減っちゃうんだけど……」


 ふたつずつリンゴとさくらんぼを持ったシトリーネさんは、理由になっていない説明をしてくれる。

 一度絵の方を見てみると、言った通り、絵に描かれている果物は減っていた。


 大丈夫なのかちょっと不安になるなぁ。


「へ、へえ。そうなんだ」

「えへへ。じゃあ、さっそく……と、せっかくだから中庭で食べよっか!」

 きれいな碧色の目を輝かせていたシトリーネさんは、突然そんな提案をしてきた。

「中庭?」


 そんなのあったっけ?


「うん! 中庭にはベンチが置いてあるからそこで食べよ? ここにいると見つかっちゃうかもだしね……!」

「見つかる?」

「あ、ううん、何でもないの……! 本当に何でもないからねっ! じゃあ、お腹もすいてきたし案内するよっ! さあ、行こう!」


 リンゴとさくらんぼを持った手をあたふたと動かして慌てるシトリーネさん。

 次から次へと湧いて出る疑問を置いて、僕はシトリーネさんに案内されるまま中庭へと向かった。

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