フレーバー

里岡依蕗

flavor




 二時間目の終わりのチャイムが鳴り、二度目の休憩時間になった。

 ピリついた授業から解放されたクラスメイトは、教室のあちこちで飽きる事なく盛り上がっている。


 「お前、花田の事好きなんだろ? 」

 「はっ⁈ ち、ちげーよ! 」

 「はははっ顔赤いぞ、バレバレだって! 」


 ……何故他人の秘密を暴くのがそんなに楽しいのか分からない。秘密にしていればいいのに。

 「そういうお前はどうなんだよ。好きな人いるんだろ? 言えよ、俺もちゃんと言うからさ」

 「は? 絶対嫌だ! 」

 「はぁ? ずるいぞ! 何で俺だけバラされなきゃいけないんだよ! 」


 教室中に好きな人をバラされた男子は顔を真っ赤にし、それを面白がる二人。何故他人の秘密を暴いて面白いんだろう、やっぱり分からない。


 「……あ、なぁなぁ。あいつに聞いてみたらいいんじゃね? 」

 「……はははっ、いいねぇ。なぁ、お前が行けよ」

 「い、嫌だ。お前が行けよ! 話した事ないのにどうやって話せばいいんだよ」

 「うし、仕方ない、ここはジャンケンで決めよう」


 くだらない、そうしている間にやってない宿題をしてしまえば怒られなくて済むのに……


 「ジャンケン、ポン! ……よっしゃ! 」

 「ちっ……」

 ジャンケンに負けたらしい誰かが渋々と椅子から立ち上がり、こちら側に歩いてくる音がする。こちら側の誰かが噂話のターゲットになったらしい。


 「……なぁ、お前、好きな人いんの? 」

 近くに来てまでニヤついた声で話さないでほしい。読者の邪魔でしかないから大人しく向こうで……

 「なぁ、お前に聞いてんだよ。やな


 「……ぇ? 」

 机を人先指の爪で何度か叩いた音で、初めて自分が問いかけられていたのに気がついた。

 「やっと気づいたか、さっきからずっと読んでるけどそんなに面白いのか、それ」


 ゆっくり顔を上げると、クラスで一番噂好きの男子が立っていた。話した事ないけど、一日に何回も聞こえてくるから名前は覚えた、かま君だ。

 まだ耳が赤い秘密をバラされた男子と、その隣で一緒に話していた男子は、口を手で隠して必死に笑いを堪えながらこちらを見物している。


 わ、私の好きな人……? 作家の事か、芸能人の事か、人に興味がないせいで、よく考えたらそんな事考えもしなかったな……


 「……あ、あの……! 」


 いつも滅多に喋らないのに授業中以外に口を開いたので、教室中の視線が私に注がれた。さっきまで騒がしかった雑音が一瞬で消え去って、空気が固まってしまった。

 まるで人形が勝手に動いたかのように、驚愕と興味津々な視線が一斉に向けられて、妙に緊張して言葉が出てこない。


 「……ぁ、えっと……」


 こんな静寂の中でひたすら話す先生達はすごい。一体どれだけ経験を積んだら教壇に立って長時間も話せているんだろう。

 何十個の目から視線を向けられて、蛇に睨まれた鼠どころじゃない。椅子取りゲームの少ない席に選ばれた椅子、というか、最早チンピラに絡まれたような気分で頭が真っ白で、直ぐに下を向いてしまった。体が小刻みに震えて、ついに冷や汗が頬を伝ってきた。


 「あ……は、話しかけたらだめ、でしたか? 」


 私の異常な強張りと冷や汗に躊躇し始めた蒲田君は、強気な口調から敬語に変わってしまった。

 「あ、いや、その……聞こえては、いたんです、けど……」

 「……けど? 」


 聞き耳を立てるクラスメイトの視線が痛い。顔を上げなくても感じるくらい、何十人が私を見ている気がする。

 体験した事のない羞恥心と、解答したことのない難題、話した事のない同年代男子からの声かけ……頭が完全にショートして、機械的な解答しか思い浮かばなかった。


 「……す、すみません、よく分かりません……申し訳ございません」

 検索が見つからなかったAIの様な返答をしながら、既に下を向いていた頭を勢いよく下げて、謝罪を試みた。机にぶつかり、教室中に鈍い音が響いた。


 クラス中から驚きと諦めの混じったため息と嘲笑う様な乾いた笑いが起きた。

 「あ……あぁ、そうですか……ははっ、すみません、失礼しましたぁ」

 厄介な奴だとばかりに、上辺だけの謝罪の言葉を吐き捨てて、蒲田君はさっさと自分の席に戻っていった。



 その一件以来、私はクラスから完全に孤立しまっていた。『冗談が通じないつまらない人』として、クラスから浮いてしまっていた。

 なかなか同級生と上手く話せない私としては、それでもよかった。良かったけど……


 「ねぇ、柳瀬さんって実は裏で何かやってそうじゃない? 」

 「えぇ? 例えば? 」

 「ほら、先生と何か変な事してるとかさ、だからあんなに成績いいんじゃないの? 」

 「あぁ! ありえる! うわぁそう言う人だったのかぁ、意外〜」

 「……ち、違います! 」

 「「……⁉︎ 」」


 噂話が大好きなお喋りグループに誤解されて、我慢できずに大声で反抗して、地獄耳だと余計に気味悪がられてしまった。

 そしていつしかクラスには、柳瀬さんに話しかけちゃいけない、との暗黙のルールが出来上がってしまった。

 



        ♢     ♢



 「はぁ……先生。私、もう分かんないです」

 「んぁ? 何処が? 」

 「あ、いいえ。教科の話じゃないんですけど」


 同世代とは話が合わないのを見かねた両親が、個別指導塾に入れてくれた。国語担当のしとみ先生は、授業後の帰り際に迎えを待つ間の数分間だけ、どんな相談にも乗ってくれる。

 「何だ? またなんかあったのか? 」

 缶コーヒーを飲みながら伸びた前髪を横に流す先生は、何とも気だるそうだ。


 少しつり目で、襟足は長めの黒髪、身長も高くて細身な体型なので、生徒からも迎えに来る大人からも人気で、よく上級生がキャーキャー言っている。こんな顔なのに独身なんだから、何かあるのかもしれない。


 「……この前、クラスの男子に好きな人いるかって聞かれて」

 「……はぁ、まぁあるあるだな。それで? 」

 「いきなり聞かれて、頭回らなくて、すみません分かりませんって言ったら、クラスから浮いちゃって……。解答間違ったかな、って」

 先生は眉を歪ませながら缶コーヒーを流し込み、長いため息を吐いた。

 「別に間違ってはねーかな。……男子だろ? どうせ、冷やかしかただのネタ探しに使われたんだろ」

 缶コーヒーの中身を覗き、ゆらゆら缶を揺らす横顔は古代の彫刻のようだ。すごく綺麗な鼻筋、滑り台とかできそう。……あ、違った。ちゃんと話さなきゃ……


 「そういうの、苦手なんですけど、どうやったら治まりますか? その男子の後に、女子グループに陰口叩かれたから言い返したら、余計に孤立しちゃって……もうよく分かんないです。仲良くしなきゃいけないのは分かってるんですけど、そういう輪に入るのが、上手くできなくて……」


 私の長話を聴きながら、上を向きながら缶の残りを飲み干した先生は、再び空を仰ぎながらしばらく無言になり、何とか絞り出したように呟いた。

 「んー……別に無理に仲良くしなくていいんじゃねーかな」

 「えっ……? 」

 驚いた私の顔を見て思わず吹き出した先生は、空になった缶を右手で潰して、こちらを見て微笑んだ。

 「だって、中学は三年間だろ? その後の高校とか大学とかで、そいつら全員繰り上がりとは限らないわけだろ? 」

 「……まぁ、そうですね」

 何人かは一緒になるかもしれないですけど、確かにそうですね……

 「柳瀬がこのままでいいんなら、これ以上関わらないでいいし、ずっと付き合っていくわけじゃない相手にそんなに神経質にならなくていいんじゃないか? 」

 「……なるほど」

 無理に友達付き合いする必要はない、というのは目から鱗だった。

 「まぁ、俺はカウンセラーでも何でもないから丸呑みにするなよ? あくまでも俺はそう思うってだけだからな。人付き合いが上手くできなくても仕事はあるし、生活はできる。それに、誰かしらが手を差し伸べてくれる場合だってある」

 大きな左手が頭の上に乗ってきた。ほんのり温かくて、何故か安心した。

 「まぁ、そう悩まなくても人生何とかなるから、とりあえず今の柳瀬のままでいいさ。俺だって昔はお前みたいな奴だったけど、どういう訳か今じゃ先生やってるし……」

 先生が、私みたいだった……? 

 「まぁ、まだまだ長いんだしさ。この先どうなるか分からないぞ」

 煙草を吸った後らしい嫌な臭いがする大きな手のひらで二、三度撫でられた。

 先生にこういう話をするのは何度かあったけど、こういうふうに優しく頭を撫でられたのは、今日が初めてだった。


 「……ぁ、えっと、先生……? 」

 「んぁ? ……あ、悪い。ついやってしまった」

 慌てて手を引っ込めた先生は、恥ずかしそうに笑った。そう言えば、今まで無邪気に笑った先生、まともに見た事なかった……


 「……可愛いですね」

 「あ? 何が? 」

 「ふふっ、何でもないです。あ、丁度お迎え来たみたいなので帰りますね、じゃあまた今度」

 「あ……あぁ、またな。お疲れ! 」


 ポカンとした先生を残したまま塾を後にして、近くのコンビニに駆け込み、母にコンビニにいる事を送信した。

 店の前にしゃがんで、バッグから水筒を取り出し、ゆっくりと喉を潤す。


 「……そっか、私……」

 今まで気づいていなかっただけで、近すぎて気付かなかっただけみたいだ。あの笑顔が見たいから、褒められたいから、私は頑張ってるんだった。



        ♢     ♢



 「……先生、私分かりましたよ」

 「何が? 」

 「昨日の話です」

 今日は煙草の真っ最中だった。近くのブロックに腰掛けて煙を吹かしていた。今日は別教科の日だったから、蔀先生とは挨拶程度しかしていなかった。

 「んぁ? ……あぁ、なんか男子がどうたらって奴な。で? 」

 ふぅっと息を吐く度に濁った白い煙が口から出てくる。前に聞いたら美味しいと言っていたけど、多分嘘だと思う。


 「私、分かったんですよ。先生が独身な理由」

 「お、俺っ? ……はぁ、一応聞こうか? 」

 空を見上げると、輝く星を隠すように薄雲がかかっている部分もある。先生の煙草の煙のように、薄くぼんやりとした雲だ。

 「ふふっ、先生って子供っぽいところがあるじゃないですか。消しゴム無くしたりとか、シャツのボタン一つずつかけ違えたりとか」

 吸っていた煙に咽せたのか、それとも図星だったのか、先生は咽せ始めた。

 「ゴホッゴホッ……! な、何だいきなり。いつ俺がかけ違えたってんだ」

 「え? 今ですよ? 」

 「……へっ? あっ」

 煙草を口に咥えたまま、恐る恐る自分のシャツを見て、慌てて上からボタンを外し始めた。

 「い、今外ですから! 今しなくていいです、後でやって下さい! 」

 「……あぁ、そうか。そうだな。分かった」

 夜中で野外な事に気づいた途端、無理矢理冷静を装うかのように、ゆっくり煙草を口から外し、長く息を吐いた。

 私に煙が行かないように、煙を吐く時に反対側を向いているのは、先生なりの優しさなのかもしれない。結果的には、そよ風に乗って後々流れてくるので、あんまり意味はない。


 「……確かに、俺は支える側じゃないって言われたな、昔」

 「ぇ? 」

 先生の方を向くと、タバコを持たない左手で頭をボリボリと掻いていた。

 「あぁいや、昔好きだった人に言われた事があってさ。貴方は嫌いじゃないけど、貴方から支えてもらう未来が見えないって」

 ……大人な台詞で、最初よく理解できなかったけど、恐らく年上の女性から言われたんだろうなぁと思った。支えてもらう未来……結婚かな……


 「笑っちまうよな、支えてもらう未来って何だよって。俺が足りないならお互いで助け合えばいいじゃねーかって話だろ。なんかそれ言われて幻滅してさ、それ以来もう暫くそういうのはご無沙汰だ」

 「……」

 お互いで、助け合う……すごい、かっこいい響きだ……だけど……


 しばらく下を向いて何も話さなくなった私を心配してか、微笑みながら立ち上がった。

 「はははっ、柳瀬に話す内容じゃなかったな! 悪いな、難しかっただろ。まぁ、青春は今しかないんだからさ。今を楽しめばいいんだよ」

 「……はい、そうします。こうやって先生と話してる時間、結構好きですし」

 「……」


 煙草の煙がしばらく周りに漂わなくなって、心配になりかけた時、またあの煙草の臭いがする右手が頭に乗ってきた。

 「ははっ……俺と話すのは別に構わないけどさ、俺みたいな奴は選ばないようにな。中には悪い奴もいるぞ」


 ……その困ったように笑う顔が反則なんですって。上級生も言ってましたよ、『蔀先生の笑顔まぢやばい』って。

 「それは心得てます、大丈夫ですよ。目を見れば、大体分かります」

 「目を見ればって……何だお前、エスパーかよ」

 優しい顔で頭を撫でられて、秘めた気持ちが溢れ出しそうになってしまう。でも、多分バレてしまったら、私は先生に会えなくなってしまう。耐えなきゃ……

 「はははっ、どうでしょうね。地獄耳とはこの前陰口されましたよ」

 「そりゃあ陰口叩く方が悪いさ、耳が良くて悪い事はない」


 吸い終えた煙草を吸い殻用の缶に入れ、次の煙草を箱から取り出した。ベビースモーカーなのか、もう半分以上本数が減っている。

 「……先生、吸いすぎは良くないですからね。私の高校受験まで生きててくださいよ」

 「勝手に殺めるな。まぁ……大丈夫だ、これでも昔よりかは減らした。校長に聞いてみろ、昔よりかは落ち着いたって言うぞ」

 「は? どんだけ昔吸ってたんですか……まぁ、吸わなきゃやってられないのは何となく察しますけど」

 また気管に唾が入ったかのように咽せ始めた。そんなに講師は大変なんだな……


 「……お前、本当に中学生か? 本当は十歳くらいサバ読んでないか? 」

 それはよく言われる、あんたは子供らしくないって。逆だ、周りが幼いだけで私は何もおかしくない。

 「失礼ですねぇ、ちゃんと十四歳ですよ! 戸籍謄本持ってきましょうか? 」

 「いやいい、そもそも普通十四から戸籍謄本なんて単語出てこねーよ」

 先生は剃り残した髭が気になるのか、ちょっと戸惑った時によく頬を触る。今もポケットに入れていた左手で頬を何回も撫でている。


 「……な」

 「ぇっ? 何ですか? 」

 珍しく下を向きながら、前髪を垂らして独り言を呟いたので、つい問いかけた。

 「ん? ……あぁいや、柳瀬が同じくらいの歳だったら良かったのになぁって思っただけだ」

 「は……」

 そ、それは、どういう……

 「あ、だからって俺は未成年には手を出さないから心配すんなよ? ただ、話し相手にしてはお前があまりにも優秀だからさ。そう思っただけだ」

 「……それは、褒められてるんですか? 」

 恥ずかしそうに左手で顔を覆いながら困ったように笑い、煙草の煤を吸い殻箱に慣れた手付きでトントンと落とした。なんでそんな顔をしてくるんですか。

 「さぁ、どうだろうな。まぁそのうちお前も分かるさ。……ほら、親御さん来たぞ」

 吸いかけの煙草を急いで消して、スッとその場に立ち上がった。

 「あっ、本当だ……じゃあ、また今度! ありがとうございました! 」

 「あぁ、またな。お疲れ様」


 駐車場に止められた車から私の母を見つけると、いつもの笑顔で会釈して、塾に戻って行った。



 クラスの皆には誰にも言えない先生とのこの時間は、私にとっては一番の宝物だ。これからもずっと。

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フレーバー 里岡依蕗 @hydm62

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