DATA=3 鴉#1

 蓮水という女がドクターの助手を務め始めたのは“異変”が起こるよりも僅か半年程前だった。それよりも以前の彼女は世界を渡り歩く傭兵を生業とし、戦場に身を置く者だった。傭兵から研究者の助手に転身したのに大きな理由は無く、ただスカウトを受けた事とその報酬が良かっただけに過ぎなかった。

「ドクター。とお呼びすればよろしいですか?」

 配属初日。制服として渡された白衣に袖を通しながらデスクに向き合ったままの雇い主に問いかけた。キュビズム的なカモフラージュで顔面を覆った人物は支給品のノートPCでの作業を続けながら答えた。

「それで構わない。キミは?」

 抑揚の無い声。声音すらも偽装されている事に蓮水はこの人物の徹底した自らの秘匿に努める姿勢に感心すら覚える。

「私の事はどうとでも。助手であれ非正規雇用であれ。ただ名前で呼ぶというのであれば蓮水と呼んでください」

「分かった。では蓮水くん、早速仕事だ」

 そう言ったドクターの手から数枚の紙束が差し出され、蓮水は一枚目のファイル名に目を落とす。

 レルム。それだけが記され、以下にはそれについての詳細や幾つかの事例が羅列されていた。事例集に関して蓮水は興味を示さなかったがレルムというのが人物の名前だと知り、またその年齢がまだ僅か十三である事に若干の忌避を感じた。が、その事について質問を投げ掛けるほど蓮水は素人では無かった。

 薄っぺらい紙束の情報をしばらく眺めた後、顔を上げるとドクターが蓮水に顔を向けていた。

「その子がキミの担当だ」

 脈絡の無い言動に蓮水は一瞬だけその言葉の意味を咀嚼するのに時間を要したが、飲み込んだ後は思考を切り替えた。

「……分かりました。一先ず必要な知識と技能があれば言ってください。それと出来たら作業書マニュアルもあれば助かります」

「それなら用意してある。これに目を通しておいてくれ」

 そう言ってドクターが蓮水に手渡したのは先程のレルムの資料よりも遥かに分厚い辞書の様な書物だった。

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