第5話 Beginning of the Fate
翌朝になり、いよいよ出かけることになった。
当初は私と杏奈の2人で回る予定だったが、「何かあってはシルヴィー様と杏奈様のご家族に申し訳が立たないから」とセドリックさんが同行を申し出てくれた。
たしかにかなり長い旅路になりそうだったのと、土地に不案内な私たちだけでは不安があった。
それに、女子高生2人だけで外国を巡るのも危険を感じたので、ここは素直に甘えることにした。
おばあさまの実家はパリの郊外にある。
約1週間の日程で、どこを回っていくのか―。
それを決めるため、大きな地図を広げてあらかじめ調べておいた『あの人』にゆかりのある場所を探した。
「マリーお嬢様。まずは聖女ジャンヌがお生まれになってから天に召されるまで、年代順にそれらの地をおたずねになってはいかがでしょうか」
「ということは…最初は…」
「―ドンレミの村」
こうして私たちの旅が始まった。
ドンレミはフランスの東部にある小さな村だ。
大都会パリからかなり離れたその村は、大自然が豊かな、静かな場所にある。
私と杏奈は期待と不安が入り混じった複雑な気持ちで車の外に流れる景色を見ていた。
しかし、だんだんとドンレミが近づいてくるにつれて―
初めてのはずなのに、その景色が、なぜか『見慣れている』気がしてきた。
白い家が立ち並ぶ村の景色。教会。森があって、泉がある―
どこで見たかは思い出せないけど―
ひょっとしたら、『あの夢』の中に出てきたのだろうか
隣に座る杏奈を見ると、何かを感じ取っているかのように窓の外をじっと見つめたままだ。
胸騒ぎがする。
妙な既視感(デジャヴ)を覚えつつも、セドリックさんが運転する車がある一軒の家の前で止まった。
壁には汚れも見えるが、かなり古くからある家―
―ひょっとしてここが…?
セドリックさんが運転席から、私と杏奈に向かって言った。
「ここが聖女ジャンヌ・ダルクがお生まれになった生家でございます。現在は博物館として公開されております」
「…行きましょう」
「うん」
私と杏奈が顔を見合わせて車から降り、通訳(兼警護)のセドリックさんと共に生家に足を踏み入れた。
私たちの事情を察してか、何も言わずに後ろをついてきてくれている。
その配慮が嬉しいと思った。
中に入ると、家具などは撤去されているものの、家の中の様子は約600年前の当時を想像するにはあまりあるものだった。
壁の汚れや痛み―それらが、私たちの時間を当時に巻き戻すように感じた。
1412年、ジャンヌ・ダルクはジャック・ダルクとイザベル・ロメの娘として生まれた。
ジャンヌにはジャクマン、ジャン、ピエール、カトリーヌの4人の兄弟がいた―
私と杏奈が、ジャンヌと彼女の姉妹の部屋の跡に入ると―なんだか、彼女たちが楽しそうに笑っている姿が思い浮かぶ気がした。
私は自然と杏奈の方に手を伸ばしていて、気が付くと彼女から手をぎゅっと握られてその事に気づいた。
―杏奈、震えてる…?
「大丈夫、杏奈?」
「うん、平気だよ。でも―もう少し、このままでいさせて」
「―うん。」
静かに瞳を閉じて、深く呼吸を整えている杏奈。
私たちが前に陥ったような恐慌状態なんかにはなっていない。
でも、私がそうであるように―彼女も、特別な感情を抱いているに違いなかった。
私も、彼女の隣で、あの人に想いを馳せる。
ここが、あの人が生まれた家。
天の声を聴くまでの、無邪気で美しいあの人の姿が思い浮かぶ―
運命に翻弄されたあの人が、
自らのその悲しい宿命を背負うまでの、年相応の一人の少女としてのあの人が、ここにいた。
―わずか12,3歳で神のお告げを聴き、大天使ミカエルの姿を幻視するまでは。
その声が、16歳の少女に、オルレアン解放に向けて剣を取らせたのだ。
それを想うと、胸がつぶれてしまいそうだった。
でも、夢でいつも見ていた、神々しいほどのあの人ではなく、一人の少女として生きていたあの人の姿が―
たしかに、あの人が一人の人間で、そして―今の私と変わらないくらいの少女だったことが、なぜか、とても嬉しく思えた。
手を繋いだ杏奈の温もりが、彼女もきっと同じことを感じている、と思わせた。
そのまま私たちは彼女の生家の隣にある、サン・レミ教会を訪ね、まだ残されている、当時あの人が洗礼を受けた洗礼盤を直接目で見てから、この場所を立つことにした。
私たちの様子を見ていたセドリックさんは、出発前に体調を気遣ってくれたが、大丈夫です、と答えておいた。
―やっとたどり得た、あの人との繋がりを探すチャンスなのだから。
日本にいたころは、ただ漠然とした恐れが先行していたけど、今は違う気がする。
きっと、杏奈もそう。
前向きに考えられるようになっていた私と杏奈は少しだけ目を合わせ、セドリックさんに次の場所に案内してもらった。
― ― ― ― ― ― ― ― ―
その後、途中でランチを食べた私たちは、ドンレミから少し北に移動した場所にある、比較的近いヴォークルールという町を訪ねた。
そこは、天啓に導かれたあの人が16歳のときに親類のデュラン・ラソワに頼み込んで赴き、当地の守備隊隊長だったロベール・ド・ボードリクール伯にシノンの仮王宮を訪れる許可を願い出た場所だ。
その後、何度か訪れ、ニシンの戦いでフランス軍が敗北することを予言したあの人は、協力者を連れてのシノン訪問を許可され、そして―王太子シャルル7世に謁見することになる。
到着後、ガイドさんに説明してもらい、ついていけないフランス語の部分をセドリックさんに補ってもらいながら歩いていく。
とても古めかしい城跡があったが、それは元々のヴォークルール城ではなく、1900年ごろに聖人になったことを記念して建て替えられたと教えられた。
―聖人になったことを、記念…ですって…?
「…お嬢様…?アンナ様…?」
ガイドさんの説明が、途中から耳に入ってこない。
心配そうなセドリックさんの声も、どこか遠いところから聞こえる気がした。
身体の奥底が、熱くなってくる。
あの人は―ただ祖国フランスのために、年若い少女であったにもかかわらず、神の声に従い剣を取り、数々の恐怖に打ち勝ち戦いに臨んだのに―
騙して捕えられ、不当な裁判をし異端の罪を着せておきながら―500年も経ってから、聖人に…!
彼女が信じた道が、あんなふうに閉ざされてしまって―どれだけの怒りと、絶望を感じたことだろうか。
どれだけ、自分の運命に不安を抱いたことだろうか。
あの人は―まだ二十歳にもなっていなかったというのに。
同じ宗教がしたことだとは、思えなかった。
お腹の底から熱くなり―拳が開けないほど力が入って、握りこんでいるのに気付いた。
そして頭のてっぺんに至るまで、やり場のない怒りが私を包み込もうとして―
その時、セドリックさんの切迫した声が聞こえた。
「マリーお嬢さま!アンナさまが!」
「―っ!!あ、杏奈!?杏奈!!」
ふと我に返ると、杏奈が胸を押えて苦しそうにうずくまっている。
「杏奈!杏奈!!」
「…平気…ちょっと…息が苦しくなっただけ…すぐ…落ち着くから…」
「杏奈…!」
怒りで何も見えなくなった私は、杏奈の様子に戸惑いを隠せず、ただ背中を撫でることしかできない。
やがて杏奈の顔色に血色が戻り、呼吸も落ち着いてくると、顔を上げて私の方を見て微笑んでくれた。
「だいじょうぶ、杏奈…?」
「うん。大丈夫だよ。―ありがとう、マリー」
「…杏奈?」
「ありがとう…」
なんだろう。
少し、杏奈が変だ。
ううん。そうじゃない。
おかしいのは、私も。
だって―
「あなたの気持ちが…とても、嬉しいの。なぜだか、分からないけど…」
どうして杏奈がそう言うのか、分からなかったけど
彼女が言ったお礼は、何か別の意味を持っている気がしてならないからだ。
でも―なぜか、私はその言葉で、あれほど身体中から噴き出していた憤怒の感情が霧散していくのを感じた。
彼女が、そう言ってくれて、とても嬉しかった。
『夢の中の私』が、そう感じている気がした。
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