第6話 The Enlightened
私も杏奈も、ヴォークルールでの出来事があまりにも強烈だったのもあり、ランスには巡らずにそのままおばあさまの家に帰宅することになった。
セドリックさんも、大叔父様もたいそう心配してくださったけれど、私自身は、半ばこうなるであろうという予感があった。
そして―それはたぶん、杏奈も。
だからと言って途中で止めたいとは思っていなかったし、最後の地―あの人の、最期の場所には、絶対に行かなければと、私の中の何かが、ずっと訴えかけているのだ。
やんわりとその旨を伝えると、「無理をしすぎないようにな」ととても優しく言ってくださり、深い感謝を感じずにはいられなかった。
寝るときになり、杏奈が不安げに言ってきた。
「ねぇ、マリー…」
「どうしたの、杏奈」
「…怖いの。そっちのベッドに…行ってもいい?」
そう言う彼女は、なんだかとても儚げで―
夢の光景で見た、あの人の最期の瞬間を彷彿させた。
私も、杏奈も、今日はとても不思議な体験をした。
私は―どうして、知っている気がするのだろう。
あの人のことも―あの人が生まれた、ドンレミの村のことも―
そんな不安を抱えて、一人のベッドに眠る勇気は、私にもなかった。
「うん―おいで、杏奈」
「おじゃま…します…」
するする、とシーツの中に入ってきた彼女はとても柔らかかった。
湯上りの彼女の体温と香りが、とても心地よくて
滑らかな肌が私の肌と触れ合い、心臓の鼓動が高鳴るのを隠しきれない。
「ふふ…マリーの匂いがする」
「こ、こら杏奈ったら…」
「―ありがと。おやすみなさい、茉莉恵」
「―っ、急に本名で呼ばないでよ…おやすみ、杏奈」
誰かと一緒に…しかもこんなに抱き合って眠るのなんて、いつ以来だろう―
そんなことを考えていると、いつの間にか吸い込まれるように意識を手放していた。
今日の不安―そして夢の不安を、杏奈が和らげてくれそうな気がした。
―『 』
だれ…?
―『 』
『私』を呼ぶのは、だれ…?
遠くから、『私』を呼んでる気がする。
周りを見回すと―そこは、『懐かしい』ドンレミの村。
白い家々が並び、気が生い茂り
牛がいて、羊がいて
あぁ、いつの間に、戻ってきていたのだろう。
『あの子』のことが心配で、守ると誓って…一緒についていってから、ずいぶん帰ってきていない。
―『 』
―この声…
声が聞こえた方向を見ると、視界に入る、肩までで乱雑に切られた、透けるような美しい金色の髪をした、深い青色の瞳をした『あの子』。
この村を出る前によく着ていた、青と白のワンピースを着ている。
ここは私たちの村だから、もう甲冑なんてつける必要もないよね。
『私』の、大切な―友達。絶対に、守りたい人。
彼女のことを考えると―胸が、どうしようもなく高鳴る。
こうして、私のことを呼ぶ声に
私のことを映したその瞳に、
喜びを隠しきれない。
それくらい―大切な、友達。
―『マリー!』
ふふ、もう。そんなに何度も呼ばなくてもいいじゃない。
『ジャンヌ!』
「―っ!!」
深い眠りだった気がする。
急に覚醒して目を覚ますと、すでに杏奈は隣にはいなかった。
まだ彼女の温もりが残ってるから、きっとまだそんなに時間は経っていないだろう。
「―はぁ…それにしても…なんて夢…」
鮮明に覚えている。
何度も呼ばれた。
そして、私は―間違いなく、『私』だった。
私の名を呼ぶ『あの人』と同じ、ドンレミに住んでいた。
あの声を思い出そうとする。
でも、呼ばれたその瞬間の、あの喜びは未だにこの胸に残っているというのに
あの人の声は―ついさっき夢の中で聞いたはずの声は、もう思い出せない。
あぁ、もどかしい―
もう少しで
『もう少しで、逢えるのに』
「―っ、なんで私…そんなこと思って…」
夢の中のことを思い出そうとすると―はっきりと覚えていたものに、急にもやがかかったみたいに不鮮明になる。
まるで、今までこの手のひらの上にあったものが、砂のようにすり抜けていく―
あの人の、声も。姿も。
そして―私の、『気持ち』も。
「―だめ。夢に…思考が引っ張られる…」
私は―あの人の幼馴染だった?
ドンレミの村で一緒に生まれ育って
そして― 一緒に、戦地に赴いた。
彼女を、守るために。
大切な彼女を、守るために。
その時、カチャり、と部屋の扉が開いて私は我に返ることができた。
「―あ、やっと起きたのね。おはよう、寝坊助マリーさん」
「―っ!!」
そこには、朝日に照らされて、ちょうど彼女の黒髪が、まるで金色のように輝いて―
笑顔の彼女の、その表情が、私をとらえて離さなかった。
その声が―私を呼ぶ声が、私を痺れさせるようだった。
一言も発しないまま、彼女を見つめたままの私に、不審な目を向ける、杏奈。
「どうしたのマリー?何か変よ?熱でもある?」
「―っちょ、あ、杏奈っ!」
どれどれ、と言いながら自分の前髪を持ち上げて私のおでこに彼女自身のおでこをくっつけてきた。
至近距離で見つめる、彼女の瞳に私自身が映っているのが見えた。
大きな、濡れたような黒い瞳と、艶やかな唇。
「んー…熱は無いようね。でも、顔が何だか火照ってる?」
「―っ、こ、これは…は、恥ずかしいのです!ち、ち、小さな子じゃないのですから!」
「ぷっ、何その言葉遣い?マリーってたまに面白いよね」
「ほ、放っておいて!だ、誰のせいだと思って…」
彼女がもたらした熱。
それは、『夢の中の私』が、『あの人』に感じていたのと同じ気がした。
―あの夢は、私にとんでもない置き土産を置いていったようだ。
なんとか誤魔化した私は、身支度を整えてから2人で朝食を食べに部屋を出た。
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次の目的地は、パリの南部にあるオルレアン―
歴史上、あの人が最も有名になった戦いの舞台になった地であり、陥落寸前の地を、たった一人の少女が勝利に導き、奇跡を起こした―まさに、救国の乙女と呼ばれる所以となった地へと赴いた。
「ここがオルレアン…」
「とても大きな街ね」
先に訪れたドンレミやヴォークルールと異なり、パリに近いこともあってか、かなり人が多く、街並みも現代的で、いろんな店が立ち並んでいる。
その中で、よく見ると―
「―ねぇ杏奈、下を見て」
「…っ!これは…」
路面に埋め込まれた、多数のメダル。
そのメダルには、馬に乗った、甲冑に身を包んだ少女の姿がある―
セドリックさんがそれを見て説明してくれた。
「ここはジャンヌダルク通りと申します。大聖堂に続く街の中心であり、ほら、そこに聖女ジャンヌの立派な銅像もございます」
「―ホントだ…杏奈、見て!」
「…っ…」
たくさんの人が行きかっている。
その中で、市民を見守るように、銅像のあの人は馬の上から私たちを見下ろしている。
「それに…ほら、あの柵をご覧ください。あれらの柵にも路面のメダルと同じ、聖女ジャンヌの姿を描いております。」
言葉が、うまく続かなかった。
杏奈の手が、震えている。
でもきっと、それは私も一緒だった。
ぎゅっと彼女の手を握り―彼女も同じように握り返してくれて…
セドリックさんが言ってくれたことは、まさに私たちの心を代弁してくれていた。
「―彼女は、このオルレアンの英雄です。1429年4月、イギリス軍に包囲され、もはや完全に制圧されるのも時間の問題だという時に、颯爽と現れた一人の少女が、わずか数日のうちにイギリス軍を追いやり、この地を解放したのですから…600年の間、特にこのオルレアンの市民にとっては、ジャンヌは英雄のままであり続けたのです。」
胸が、熱くなった。
至る所に描かれた、あの人が馬に跨ったシンボル。
人々が、楽しそうに通り過ぎていく―そんな姿の中にも、彼女の姿が彼らの日常の中に入りこんでいる。
あの人は―こんなにも、愛されていた。
この地を訪れてから―今もなお。
「…彼女が後にブルゴーニュ公国軍に捕えられ、イギリス軍に引き渡され―あの悲劇的な最期を迎えた時も、もっとも嘆き悲しんだのは、きっとこの地にいる彼らだったのでしょう」
肩を震わせて涙を流す私たちの背中に、そっと語り掛けるセドリックさん。
よかった。
あの人は―ジャンヌは、こんなにも愛されていた。
彼女の死を―悲しんでくれた人は、こんなにもたくさんいたんだ―
夢の中の、朧げな光景を思い出す。
そして―彼女を想う、その気持ちも。
大切な、大切なジャンヌ―
『私』が、助けることができなかったジャンヌ
でも―彼女の死を嘆いてくれたのは、私だけじゃなかった
―彼女は今、こうしてこんなにも愛されて―
『みんなの中で生きている』
『あの時の私』が思っていた、無念、怒り、絶望―そんな感情が流れ込んでくる。
でも―そんな感情が、この光景を見て、かき消えていくのを感じた。
暖かい涙が流れる。
そう、ジャンヌは―みんなの中で、こうして生きている。
彼女を失った悲しみと絶望の中に、わずかに温かい気持ちが入り込み―
それに少しずつ塗り替えられる気がした。
いつの間にか私の目の前にいた杏奈が、ぎゅっと私を抱きしめた。
「―『マリー』」
「―っ、杏奈…」
名前を呼ばれると―その名で呼ばれると、心が躍るのを感じる。
彼女の濡れた頬も、伝わる体温も、香りも―私は、それが、夢と重なっていくのを感じる。
大切な、人。
「マリー…ありがとう」
「―杏奈…」
ここに来れて、本当によかった。
しばらく彼女の体温を感じた後、私たちは大聖堂へと向かい―そのほか、多数の彼女のゆかりの地を訪れた。
あとは…もういくつも残されてない。
あの人を辿ると、避けることができない場所。
オルレアンにはいろんなお店もあって、いくつかのお土産を買った後、杏奈とセドリックさんに言った。
「―行きましょう、あの人の…最期の場所へ。」
「―えぇ。」
「了解いたしました。それでは参りましょう―聖女ジャンヌ終焉の地、『ルーアン』へと」
私たちの旅も、終わりが近づいてきた。
車で隣に座る杏奈の手をとり―さっきの抱擁の温もりを思い出しながら、杏奈の表情を見ていた。
―彼女の言葉を反芻しながら。
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