第4話 Leaving for The Place
ついに、ここまでやってきた。
飛行機から降り、空港内に入ったあと、入国手続きのために列に並ぶ。
視界に飛び込んでくる、行き交う人々のさまざまな肌の色。
飛び交う、聞きなれない―でも、どこか心地いい響きの言葉。
国際空港独特の雰囲気。
ここは、何度か家族で訪れた、おばあさまの祖国。
でも―。
「ほら、マリー。ぼぅっとしてたらパスポート盗られるよ?」
「わ、ちょ、ちょっと杏奈返して!」
私と―そして杏奈にとっては、大きな意味を持つ1歩だ。
彼女を追いかけながら、やっとこの地を踏むことができたことを実感しつつ、この訪仏までの道のりを思い返した。
あれから杏奈と会って話をした。
戸惑っていた彼女が「あの時のことを話したいの…」と電話口で小さく漏らすのを聞き、すぐに私が彼女の家まで駆けつけた。
無理もなかったかもしれない。
私も―そして杏奈も、あまりにも大きな出来事を体験した。
改めて、話せなかったことを話したい。
お互いにそう思った。
疲れ切った表情の彼女に、私は改めて、夢のことや、今日のことを話した。
私が、『夢の中の私』を通して、『あの人』に感じていたことも話した。
夢の中で彼女に対して感じた、渦巻くようないろんな感情についても―。
静かに聞き入っていた杏奈は、私の話を聞くと、ぎゅっと私に抱き着いてきた。
「…杏奈…」
「よかった…マリーも同じだったんだ…」
「うん…。私も、怖いよ。」
「…怖かったの。とても…怖かった…まるで…」
そこで言葉を切った杏奈はただ震えて怯えていて…
『あの人』の最期の光景を彷彿させた。
ぎゅっと心臓が握りつぶされそうになるのを感じながら、再び倒れてしまいそうな彼女を抱きしめた。
「大丈夫。杏奈は一人じゃないから。私が―マリーがいつも一緒だから…」
「マリー…」
それ以上は話そうとはしない杏奈。でも私にはそれだけで十分だと思った。
杏奈が見た光景が何かは分からない。
でも、私も今まで言えなかったこの夢のことも、不安のことも打ち明けられて―
それを共有できた相手が、他ならぬ杏奈だったことに、とても大きな安堵を抱いた。
その後2人でおばあさまに話を聞いてもらいに行った。
相変わらず厳しい表情を向ける彼女だったが、私の話を聞き終わった後、順番に私たちを抱きしめてくれた。
普段とは違う―厳しさの中に、大きな優しさが感じられて、胸がいっぱいになった。
しばらくそうやって抱きしめてくれたあと、「さて」とおばあさまが私たちを前に改めて話し始めた。
「あなたたちが体験したことは―私にも想像がつきません。ただ―それが、私の祖国フランスを救った乙女だということには―何かを感じずにはいられません。茉莉恵、そして杏奈ちゃん。」
「はい」
「…はい」
「あなたたちは、これからどうしたいですか?」
まっすぐ私たちの目を見てそう問いかけるおばあさまへの答えは一つだった。
「「―フランスに、行きたいです。」」
そう答えた私たちに対して、わずかに苦笑したおばあさまはこう続けた。
「―そう言うと思っていました。私も、このままここに―日本にいても、事態は好転しないのでは、と思ってはいましたから」
「おばあさま―」
「ですから、あなたたちが直接、ジャンヌ・ダルクが―ラ・ピュセル・ド・オルレアン(オルレアンの乙女)が辿った道を訪れれば、道が開けるかもしれませんね」
「あ、ありがとうございますおばあさま!」
「ただし」
喜ぶ私たちをさえぎり、おばあさまは茶目っ気たっぷりにこう言った。
「往復チケット代は自分たちでお金を出すこと。そして―私のフランス語講座をみっちり受けてもらうこと。それが条件です。」
「「―!!!」」
「お返事は?」
「「う…ウィ」」
こうして―私と杏奈はバイトとフランス語の猛特訓に明け暮れることになり、数か月の後、ようやくおばあさまからお許しが出たのだった。
まだ高校生の私たちがそう長い間滞在できるわけもなかったので、春休みの1週間を利用して、渡仏することが決まった。
ちなみに―このときほど、クォーターとは名ばかりで、全くと言っていいほどフランス語を勉強してこなかった自分を呪ったことはない。
むしろ英語が堪能な杏奈の方が習得が早かったのが恨めしかった。
「あ、そこ発音が違うわよマリー」
「…どうして杏奈の方が上手なの」
「ふふ、マリーは英語も苦手なのよね」
「放っておいてったら!」
「―2人とも。よそ見をしている暇があるのですか。茉莉恵には課題を多めに出してあげますね」
「ちょ、お、おばあさま!?」
「英語も課題が必要らしいですからね!」
もう少し英語も頑張っておくべきだった、と死ぬほど後悔した。
― ― ― ― ― ― ― ― ―
入国審査を終え、無事空港の到着ゲートを抜けると、見覚えのある老執事が大きなプラカードを持って待っていてくれた。
「セドリックさん!」
「マリーお嬢様、そしてアンナ様、お待ちしておりました」
私が声をかけるとセドリックさん―おばあさまのご実家の執事をされている方が、丁寧な日本語で応えてくれた。
そう。おばあさまが実家で滞在することを許してくださったのだ。
彼は古くからおばあさまの実家で働いている執事さんで、何回かしかあっていない私に対してもとても腰を低く接してくれるので、毎回申し訳ない気になる。
―とりあえず『お嬢様』だけはやめてもらいたいのだけれど。
「そういうわけにも参りません。マリー様はシルヴィー様の愛する御令孫ですので」
「う、は、はい…」
ここでおばあさまの名前(=シルヴィー)を出されるのも毎度のこと。
そして、恥ずかしいからやめてと言っても頑として聞き入れてくれないのも毎度のこと。
―とりあえず杏奈の視線がものすごく痛い。あとで冷やかされそう。
気を取り直して私がセドリックさんと杏奈をお互いに紹介し、セドリックさんに今回の目的を改めて説明すると、にこやかに微笑んでくれた。
「はい。すべてお聞きしております。救国の乙女の跡をたどられる、とか。なにかお力になれることがあれば、何なりとお申し付けください」
「…ありがとうございます、セドリックさん」
「では、参りましょう。こちらでございます」
こうして、私と杏奈のフランス滞在が始まったのだった。
フランスに到着したのが夕方に近かったので、おばあさまの家(というより『お屋敷』)に着くと、すぐに当主である大叔父様にご挨拶をした。
私も杏奈もフランス語できちんと挨拶ができて一安心だった。
とても上手なフランス語だね、と褒めてくださって嬉しかった。
そのあと、荷物を整理しているうちに夕食の時間になった。とてもおいしい夕食で、食卓も大きいので、杏奈も「まるで物語みたいね!」と始終興奮しっぱなしだったから、ここに来るまで感じていた少し陰鬱な気持ちが晴れているように見えて、私は心がちょっとだけ軽くなった。
一日が終わり、私たちはお屋敷のベッドに体をすべり込ませている。
上質のシーツの感触が心地いい。
「明日から、いよいよ始まるね、杏奈」
「―うん」
日本から遠く離れた、おばあさまの―そして、『あの人』の国、フランス。
彼女の軌跡をたどることで、何かが見えるだろうか。
2人でつないだ手が、確かにこの瞬間が現実だと教えてくれていた。
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