第五章 ジュリオ、働く!
第40話 仕事は辛いよ!
フォーネ国の宿屋にて、健全な意味で一夜明かしたジュリオとアンナは、共に慟哭の森前のターミナルへと向かった。
「早朝の船旅ってのも良いね。海風が気持ち良いや」
馬車で陸路を行くよりも、航路を行く方が距離的に近いため、ジュリオとアンナは慟哭の森前のターミナル行の船に乗っている。
船には慟哭の森でアナモタズ狩りをして一攫千金を狙う冒険者パーティの団体も乗っており、一同の顔はとても晴れやかであった。
果たして、この船に乗っている冒険者の何人が無事に生きて帰れるだろうか。
ジュリオはそんな事を思ってしまう。
「この船に乗ってる冒険者の何人が、ジュリオの客になるんだろうな」
アンナはあくび混じりに厳しい事を言う。
「出来れば、無事でいて欲しいけど……。それじゃあヒーラーの仕事は無くなるもんね」
正直、もうアナモタズによる怪我人は見たくない。
何故に冒険者達は、あのような恐ろしい魔物をワクワクした顔で狩りに行くのだろうと思う。
アンナの様に地元で猟師をするわけでも無いのに。
だが、そんな夢追い冒険者達が怪我をするお蔭で、ヒーラー達は金銭を得て飯が食えるのだ。
猟師も冒険者もヒーラーも、アナモタズに飯を食わせてもらっているなあと思う。
「ジュリオ。今のうちに休んどけよ。……婆さんとこの休憩所、マジでやべえぞ」
「そうだね……。でもまあ、自分で言うのもアレだけど、僕って一応チート性能ヒーラーだし、多少無理が効くと思うんだ。……だから、頑張らないと」
普通のヒーラーなら一日十回の治癒魔法が限界だが、ジュリオは違う。
チート性能な体質により、無限に回復魔法を打ち続けられるのだ。
だからこそ、そんな自分の体質を活かし、早く早く一人前のヒーラーになりたいと思った。
「……まあ、婆さんとこの休憩所で働く奴の九割が初日は泣いて帰る事になるから、あんたもそこは覚悟しときなよ」
「やだな、さすがに仕事が厳しいからって泣かないよ。いくつだと思ってんの。十八だよ? 僕」
「あっそ……。まあ、せいぜい頑張れよ」
アンナは涼しい顔で海を見ていた。
◇◇◇
「……っ……ぅ……ひっ」
「帰宅時じゃなくて昼休みにもう泣くとは……。記録更新だな、ジュリオ」
勤務初日の昼休みには、ジュリオは既に泣いていた。
ヒーラー休憩所の教会の裏で、ジュリオは膝を抱え座り込んで項垂れている。
そんなジュリオの肩を、アンナは苦笑いした顔でポンポンと叩いて慰めてくれていた。
「何なのアレ……? ほんとに休憩所……? 緊急救命室か野戦病院の間違いじゃないの?」
ヒーラー休憩所は、とんでもなく忙しかった。
ひっきりなしにやって来る軽症や重症の冒険者。
軽症者の対応へ追われている最中にやってる重体の冒険者。
さらには、漁へ出た際に海辺の魔物に怪我をさせられたり、網を引き上げる機械に腕や指を持っていかれた漁師。
他にも様々な業種の者が、様々な理由で運び込まれて来た。
「チート性能とか、まっっったく役に立たなかった……。そもそも、軽症者には発動に制限と時間がかかる治癒魔法をしないで、さっさと手当をして患者の回転率を上げてたなんて知らなかったよ……」
「まあ……クソ忙しいヒーラー休憩所じゃ、常識だわな……」
クソ忙しいヒーラー休憩所では、軽症者にいちいち詠唱に手間のかかる回復魔法をかける事はしなかった。そもそも、ヒーラー一人が一日に撃てる回復魔法の数は十回が限界である。限界があるからこそ、回復魔法で治癒する相手は見極めなければならないのだ。
なので、緊急性が無い場合は、『合法』のポーションや『合法』の薬草などの回復薬や、包帯や傷薬などを使って手当をし、人の生命力や治癒力を頼ると言う方法が用いられていた。
「いっそフィールド・オーバー・ヒールでその場にいる怪我人全員を片っ端から治癒しようかとしたんだけどさ…………そんなことしたら、他のヒーラーの稼ぎが減って現場の士気が下がるって、カトレアさんに怒られた」
「フィールド・オーバー・ヒール……? ああ、毒沼のドブさらいした時のアレか」
あまりの忙しさに気がおかしくなったジュリオは、自分のチート性能を発揮して、この場にいる全ての怪我人を広範囲癒魔法で治そうとした。
チート性能を発揮して現場の忙しさを改善させたら、周りからも『良くやった』と感謝されると思ったのだ。
だが、実際は違った。
フィールド・オーバー・ヒール発動前にカトレアに後頭部をチョップされ、
『この現場はキミ一人のものじゃない。みんなが金を稼ぎに来てる仕事場なんだ。キミが広範囲治癒魔法を片っ端からかけまくったら、他のヒーラーの稼ぎが無くなるだろう?』
『そうしたら士気が下がって現場が回らなくなる。……いくらキミがチート性能ヒーラーだからって、たった一人でこの現場を毎日欠かさず休み無く回すなんて不可能でしょ』
『チート性能を発揮するのは、キミがここよりもヤバい現場にワンオペしたときにしてくれるかな?』
と叱られたのだ。
カトレアの理路整然として穏やかな口調で諭されると、あまりの情けなさに泣きそうになったものだ。
「そもそもさ、なんでヒーラー休憩所なのに、包帯とか傷薬とか、そんな古臭い方法を使ってるわけ!? 軽症者は全部僕に任せりゃ良いじゃん! こっちは治癒魔法使い放題のチート性能ヒーラーだよ? 絶対効率良くなるのに……」
「でも、そうしたら……他のヒーラーの稼ぎが減るんだろ……? ……上手く行かないもんだな。人生……」
初仕事の愚痴を思う存分ぶちまけるジュリオに、アンナは苦い顔で笑っている。
「……実はさ、チート性能ヒーラーって事にかなり期待してたんだよね。……もしかしたら、今までバカにされ続けた人生を一発逆転する活躍が出来るんじゃないかって。……でも、そんな事、無かった……」
塞ぎ込むジュリオの肩に腕を回したアンナは、「まあ……頑張れ……」としか言ってくれない。
もう少し、自分に全面の味方をした甘い言葉をかけてくれても良いじゃないかと我儘を言いたくなる。それ程までに、ジュリオは打ちのめされていたのだ。
「ひたすら先輩の女の子ヒーラーに怒鳴られまくって……もう……無理……。包帯の巻き方なんて知らないのに……」
「そ、それは……災難だったな……」
カトレアへ挨拶を済ませた後、ヒーラー休憩所に勤務する先輩ヒーラー達に紹介の時間を設けてもらったのだが、最初に抱いた印象は『女の子しかいない職場なんて、また僕を取り合って血みどろの殴り合いが起きるかもしれない』という奢り高ぶったものだった。
随分と舐め腐った発想だが、ジュリオがそう思うのも無理は無かった。
ジュリオはその卓越した妖艶な美貌のせいで、何人もの女や男を魅了し破滅させてきたからだ。
ある者は殴り合い、ある者は家庭崩壊し、ある者は恋人やパートナーから刺されてしまう……など、それはそれは不幸と迷惑を巻き散らかしてきた男である。
だからこそ、ジュリオは『この職場を崩壊させたらどうしよう』と警戒したのだが。
「……女の子に心の底から怒鳴られたりゴミを見る目で見られる事……今まで無かったのに……」
バカ王子時代、女性達はジュリオの美貌を前にしたら目の色を一変させ、雌の闘争心を剥き出しにして迫って来たからだった。
例え小動物的な引っ込み思案の美少女だろうと、例え幼馴染に愛を誓ったウブな美少女だろうと、ジュリオという美し過ぎる雄を見た瞬間、恐ろしい雌の顔を全開にして群がって来たのだ。
しかし、今の職場では全く違う。
「ひたすら『遅い』だとか『何してんだ』だとか『邪魔』みたいに怒鳴られ続けたよ……」
「まあ……元王子様にしちゃ、頑張った方じゃねえの……? 知らないけど……」
アンナの言う通り、ジュリオは元王子様である。
王子様であるからこそ、自分は異様にモテて来たのだろうと気づいた。
そりゃ、魔性の美貌もモテた理由の一つだろうが、それ以上に王子様という地位がジュリオを輝かせて来たのだった。
王子様と言う地位を無くした今のジュリオなど、ただの足手まといに他ならない。
クソ忙しい現場で金を稼ぐ女達にとって、足手まといの容姿などクソほどどうでも良いのだろう。
「怒鳴られるとわけわからなくなるんだよ……。色々と思い出して、頭パニくるっていうか」
人から怒鳴られると、幼少期に父親から怒鳴られた日々の記憶が蘇ってしまい、頭も心も委縮してしまうのだ。
頭は真っ白になり、ひたすらごめんなさいごめんなさいと言うだけになってしまう。
「……男のくせに情けないって、思ったりしない……?」
「しないよ。……頑張ったな、王子様」
アンナに頭を撫でられると、ジュリオは捨てられた子犬のような顔をしてしまう。
ここでもし「泣くんじゃねえ! 男のくせにみっともねえ!!」とアンナからも怒鳴られたら、ジュリオは全てに心を閉ざしていただろう。
「ねえ……僕、家事頑張って覚えるからさあ……アンナの主夫に立候補していい……?」
「残念だけど……あたしに誰かを養える余裕はねえよ…………ん?」
アンナはスマホを取り出し画面を確認すると、力無く笑って立ち上がった。
「今から慟哭の森に行って、祠にお参りした後アナモタズ狩るけど、ジュリオも来なよ」
「え……でも、昼休み終わる頃には仕事に戻らないと」
「……婆さんからさ、『ジュリオくんに気分転換させてあげて。時間はオーバーしていいから』って、さっきメッセージが来た。……ほれ」
アンナから渡されたスマホには、絵文字の多い文体でジュリオに気分転換させてやって欲しいと言う内容の文章が書かれていた。
カトレアの心遣いにまた泣きそうになってしまうが、これでは一人前への道は遠すぎるとしょげてしまう。
「ほれ王子様。あたしとデートだ」
膝を抱えてしゃがみ込むジュリオに、アンナは笑って手を差し出してくれる。
その手を取って立ち上がり、共に慟哭の森へと向かったのだった。
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