第41話 バカ王子とチンピラ女



アンナと一緒に慟哭の森を進んでゆく。


慟哭の森には恐ろしくおぞましい記憶しか無かったが、真っ昼間の森の光景は雄大でとても美しいものである。


力強い木の根や生い茂る葉から差す木漏れ日に、色とりどりの草やキノコが生える大自然の道のりには、ついつい見惚れてしまう迫力があった。






「ジュリオ、大丈夫か? 今気づいたんだけど、この道のりはあんたにはキツかったかもな……悪い」 



「だ……大丈……夫…………うわっ!」



「おい!」






地面に生えた苔に滑って転びそうになったところを、アンナに抱き止められて事無きを得た。


さすがにまたアンナの乳に顔面ダイブという事にはならなかったが、それでもアンナの首筋に顔を埋めると言うのも、髪の微かな甘い香りや肌の柔らかさがギュッと胸と下半身を締め付けるような気分になる。






「ごめん……」



「良いよ。あんたに怪我させたら、あたしがカトレアさんにドツかれるわ。従業員に何してくれとんじゃってな」



「え、ああ……うん。そうだね……気をつけるよ」






ジュリオが言った『ごめん』の真意は、アンナへ性欲を抱いてしまった事による『ごめん』であったが、アンナはそれを『足手まといでごめん』と言う意味として捉えたらしい。



この勘違いは寧ろありがたいものなので、ジュリオは何も言わなかった。






「ほんと、ごめん」






アンナへ性欲を抱くたび、強烈な罪悪感と自己嫌悪に陥ってしまうのは何故だろう?



それはきっと、母が望む王子様から外れた恥ずべき行為だからなのかと幼少の記憶が






「ジュリオ、着いたぞ」



「え!? そ、そっか!! ありがとう!!」



「……どうした?」



「ううん。何でもない……何でも……」






母との記憶に飲まれかけたジュリオは、アンナの声で呼び戻された。






「何、ここ……? 石の……塔?」






アンナに連れてこられたのは、鬱蒼とした慟哭の森の中でも少し異質な雰囲気をもつ場所だった。



木漏れ日が神々しく差す場所に、石の塔と素朴な組木の門が建っている。


その奥にある石の塔の前に置かれた石材の台には、酒やら食べ物やら動物の角などが置かれていた。






「ここは、慟哭の森の祠なんだ」



「祠……。ここが……」






そう言われてみると、確かに厳かな雰囲気を感じる。


ほっと一息つける安心感と、この世を超越した何かに見られているような緊張感という矛盾した感覚があった。






「昨日の夜、理由が理由とはいえ、アナモタズを必要以上に狩っちまったからな。だから、慟哭の森に『昨夜は騒がせてしまってごめんなさい』って、謝りに来たんだよ」



「慟哭の森に……? 森相手に……?」



「そう。森相手に。……まあ、わかりやすく言えば、森の神さんに謝りに来たってとこかな」






アンナはそう説明すると、木組みの門に一礼して中をくぐると、石の塔に空いた穴の中にあるロウソクへ火を灯す。


そして、上着のポケットに差し込んでいたビールの中瓶を取り出すと、石材の台にそっと置いて、地面に片膝を付いて手を組んで祈りはじめた。






「アンナ……」






いつもは下町のチンピラみたいな輩のアンナだが、こうして静かに祈りを捧げている姿を見ると、アンナの儚げで可憐な容姿も相まって、聖女の様にも見えてしまう。


赤いフードの着いた上着と白髪の長い髪のコントラストが、より一層神秘性を高めていた。


木漏れ日に照らされキラキラと光る白髪は、神々しいとさえ言える。






「……こういった習慣はさ、クラップタウンを造った異世界人によってもたらされたんだよ」



「異世界人が、もたらした習慣……? 文明じゃなくて?」



「ああ。文明じゃなくて、習慣だ。……森だけじゃねえ。海にもこう言った祠があって、漁師が『いつも海の恵で食わせてくれてありがとう』って祈りを捧げたりすんだよ」



「へえ……祈りを捧げる相手が……、海……なんだ」






聖ペルセフォネ王国にも祈る習慣はあるが、それは女神ペルセフォネへの祈りのみである。



飯が食えるのは全て女神の導きと加護のお蔭である、という考え方の聖ペルセフォネ王国で育ったジュリオにとって、森や海に感謝をして祈りを捧げる、という異文化は奇妙ですらあった。


何故なら、その森や海を創造したのも女神ペルセフォネであると教えられてきたからだ。




しかし、だからといってアンナ達の習わしを否定する気は全く無い。



ただ、不思議な考え方だなあと思うのみであった。





「聖ペルセフォネ王国では、森や海を造ったのも女神様って教えなんだろ? そんなら、あたしらの習慣は変なもんに見えるかもな」



「変じゃないよ。……ただ、不思議ってだけ」






ジュリオは熱心なペルセフォネ教徒とは程遠い。寧ろうっすら馬鹿にしている節がある。



しかし、ペルセフォネ教の教えを道徳の基準とした教育をずっと受け続けてきた故に、ジュリオの根っこにあるのは、どう足掻いてもペルセフォネ教の考え方だ。






「森や海に感謝する……かあ。僕らは女神様が世界を造ったって教えられてるから、祈りは全て女神様宛なんだよね。……でも、毎日森や海みたいな自然と戦う猟師や漁師からしたら、こっちの方がしっくり来るんだろうな……」



「まあ……あたしらは森や海に食わせてもらってるようなもんだしな。……それに、森や海にも神がいるって言う考え方は、異世界人の風習から来てるものだし。……なんか、ペルセフォネ教に比べてすげえ適当だなって思うわ」



「適当ってわけじゃないと思うよ。……きっと、狩猟で生きる人達にとって、異世界人の考え方の方がしっくり来たんだよ。……狩猟って、目の前の動物や魔物と戦う事でしょ。だから、目に見えない女神様より、目に見える自然相手を敬う方がわかりやすいんだと思う」






ジュリオはバカなりに考えた事を話した。



そして、アンナがしたように一礼して木組みの門をくぐり、石の塔の前で片膝を付いて、アンナの隣で片膝を付き祈る姿勢をとった。



祈る姿勢をとったからと言って、森に対してどう祈れば良いかはわからない。


取り合えず、アンナが怪我しませんように……とだけお願いをしておいた。






「ジュリオ……あんた、何を祈ったんだ?」



「アンナが怪我しませんように……って」



「……そうかい、ありがとよ」






アンナはぶっきらぼうに言って立ち上がると、すぐに後ろを向いて膝についた土を手で払った。


こちらに顔を見せないという事は、照れているのかと思う。



ただ無事を祈っただけなのに、こうもわかりやすく照れてしまうのは、アンナが肯定されたり大事にされたりする経験に乏しいからなのか。


そりゃ、クラップタウンという雑な町で育てば、理解出来なくも無い話である。






「アンナ、頼むから……怪我しないでね」



「怪我してもジュリオがいるだろ。チート性能ヒーラー様がよ」



「でも、怪我したり苦しんだりするアンナを見たくないよ、僕」






肯定されたり大事にされたりする経験に乏しいのは、ジュリオも同じだ。



だから、アンナからド直球に褒められたり気遣われたりすると、何だか相手を騙している気分になってしまう。



もしかしたら、自分とアンナは似たもの同士なのでは……と思った。




◇◇◇




「さて、森の神さんに侘び入れた事だし、アナモタズ狩りに行くぞ」



「ええ……このタイミングで……?」






森の神とやらに祈りを捧げ終わったアンナは、先程までの聖女のような神秘的な雰囲気を殴り捨て、元のチンピラ猟師女へと戻っていた。



そもそも、森で魔物や動物を狩る事は森の神的にどうなんだろうと思う。自分のシマを荒らされて怒らないのか。




色々と考えてみたが、多分アンナや他の猟師達が森や海の神に祈るのは、本気で神を信仰するのではなく、ただのゲン担ぎなのだろうと思った。



明日の天気が良くなるように、白い布で作った人形を窓にぶら下げるようなもんなのだろう。



……そう言えば、この習慣も異世界人によるものだったなあと、遠い昔の子供時代にルテミスとてるてる坊主なるものを作った記憶が蘇った。






◇◇◇






ジュリオはアンナの後ろで身をかがめ、息を殺してじっとしていた。



アンナは距離が開いた前方にいるアナモタズに狙いを定めており、弓を引絞って狙撃姿勢を取っている。




狙われているアナモタズはアンナに気づかずボケーッとしており、そんなアナモタズに同情心が芽生えてしまう。アナモタズを可哀想だと思う自分がいた。



アンナには申し訳無いが、アナモタズがこちらに気づいて逃げてくれれば……と祈るくらいには、ジュリオはまだ『狩猟』と言う文化に馴染めずにいたのだ。



自分が生きる為に動物を殺して食うと言う行為は、食べ物は全ての女神の恵みなので、私利私欲の為に恵みを得てはならない……として教えられてきたペルセフォネ人のジュリオにとって、どうにも受け入れ難いものである。




そんな時、悩むジュリオの耳に、パンッと風を切る鋭い音が聞こえた。







「…………よし」






アンナが弓を下ろし、静かに呟いた。


冷静な声であるが、どこか高揚と喜びを孕んでいる様に聞こえる。






「着いて来な。今から解体すっから」



「か、解体……? まさか」



「そう。アナモタズの解体」



「ええ……うん…………そっか……」






殺めただけでなく、その亡骸を切り刻んで解体するのか。




解体、と言うペルセフォネ教にとっての禁忌の大罪を、アンナは日常茶飯事に行なっている知り、ジュリオは一瞬アンナへ軽蔑に似た感情を抱いた。



だが、狩猟を生業とするアンナに命を救われ、今現在もアンナの生活力に頼っている自分を思うと、そんな感情はすぐに消えてしまう。






「…………はあ」






複雑だなあと、ジュリオは思った。







◇◇◇






アンナは腰に下げていたナイフで、アナモタズの解体を始めた。


皮を剥ぎ、中を開くと『肉袋』が沢山詰まっている。


この体に沢山詰まっている。『肉袋』と言うのは、異世界人の体にもあるらしい。


確か異世界人は『臓器』とか言っていた気がした。




一方、ペルセフォネ人――いや、この世界の人は皆、女神の化身の子孫であるので、体には血液以外に魔力や生命力などが流れている。


このようなグロテスクな『肉袋』はペルセフォネ人の体には無い。



この世界の人の体は女神ペルセフォネの一部だ。


だからこそ、女神ペルセフォネの一部を解体するなど言語道断の大罪であった。






「こうやって、鯖裂きナイフでアナモタズの体を裂いて、臓器を取り出して色々と剥がした後、汁が垂れないように胆のうを紐で縛って切り取るんだよ。……んで、解体した肉は持ってきた袋に詰めて、剥いだ皮は素材屋に持っていって売るんだわ。……勿論、肉も食う分以外は売ったり、漁師と物々交換したりすんだよ。……こうやって、あたしは十数年間生きてきたんだ」



「……そうなんだ…………。ん? 鯖裂きナイフ? また変わった武器だね」



「ああ。……ハヤブサ先生が打ってくれた」



「…………そっか」






アンナはいつもの仏頂面で、解体したアナモタズを持参したビニール袋に手際良く詰めている。


ビニール袋には血塗れの肉や『肉袋』がタプタプと詰め込まれており、正直直視したら吐きそうになった。







「ねえ……その、バラバラにした後のアナモタズの骨とか頭ってどうするの……?」



「このまま置いてく」



「え!?」






てっきり、墓でも建てるのではと思っていたので、こんな残骸をそのままにしておくなんて残酷では? と思った。






「こうやって置いとくと、残りは動物や虫が食うんだよ。骨は朽ちて土に還って養分になって、そこから草やキノコが生える。…………森で獲ったモンの残りは森に還すってやつだ」






ただ処理が面倒だから詭弁を言っているのでは? とジュリオはペルセフォネ人的な思考を持ってしまうが、ここで反論しても意味は無いだろうから何も言わなかった。






「でも、昨晩僕を助けてくれた時、倒したアナモタズの死体は馬車で運んでたよね……? あれは何で?」



「それは、人を食ったからだよ。……だから、人の供養も兼ねてんだわ」



「……そっか……」






異世界人勇者の少年とヘアリーを食い殺し、カンマリーを撲殺したアナモタズを思い出す。


先程抱いた『可哀想』という感情が一気に吹っ飛ぶが、だからと言って『狩りってサイコー! アンナさすがー!』と脳天気な気分には決してなれない。



ただ、命のやり取りがそこにあるのだと、受け止めるしか出来なかった。






「さて、ジュリオ。今からヒーラー休憩所に行って、美味いもん食わせてやるよ。……昨晩言ったろ? 『この場を切り抜けたら、美味いもん食いに行こうや』って」






アンナはジュリオを見上げてにやりと笑っている。


狩りに解体と残酷見えてしまう行為を立て続けにこなした後なのに、アンナはどうしてこんなにも可憐に可愛らしく目に映るのだろう。


白い肌に映えるザクロの様な強い赤色の瞳に、アンナが殺めてきたアナモタズ達から流れた血を見た気がする。

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