第3話 兄貴ジュリオの意地



すっかり元通りになった舞踏会を他所に、ジュリオはダンスフロアの隅で気まずそうな顔をしながら、静かに怒るルテミスに説教をされていた。





「兄上、この様な公の場に来る以上、それ相応の振る舞いをしてください」


「あのね、僕はそもそもこんな場に来る気なんて無かったんだ。ほんとは部屋でゆっくりラジオが聞きたかったのに……!」


「兄上! 異世界文明の話はくれぐれもされぬよう……」


「ああ、はいはい。王族貴族は異世界人の文明が嫌いだもんねえ……。古き良きペルセフォネに誇りを持ていらっしゃるからね。ああ素敵」





ルテミスの説教を聞き流しながら、ジュリオは自分よりも身長の高いルテミスの顔を冷ややかな目で見上げている。


ジュリオが努力を諦め完全にグレてしまった原因そのものが、目の前にあった。





「ルテミス、身長伸びたね」


「! ……兄上、話を逸らさないでください」


「子供の頃は、僕の方が高かったのに」





ジュリオが自己憐憫めいた薄笑いをする。





「勉学も剣術も背丈も何もかも、どんなに頑張っても君には追いつけなかった」


「それは……」


「お陰様で、努力して結果が出せるのは元々才能がある人だけだって、気づくのに随分と時間かかっちゃったよ。優秀な腹違いの弟を持つと苦労するもんだ」





幼きジュリオがどれほど頑張っても、結果を出したのはいつも弟のルテミスだ。


ルテミスと比べて自分は駄目だと思い知らされ続けて十八年。出来上がったのは立派なバカ王子である。





「……それに、父上が王家や君への支持率を上げるために、僕をコケにしてルテミスを持ち上げる新聞を、お抱えの新聞社に書かせてるんだもん。……もう、何やっても無駄でしょ」


「兄上、それは……」


「バカ王子を制裁する優秀なルテミス王子の痛快な記事で、『ああっルテミス様! バカ王子と違って素晴らしいお方だ! この方が次期国王ならこの国は安泰だ!』って国民に思わせるっていう、随分お粗末なやり方だけどね」





ジュリオのバカ王子っぷりは、国王お抱えの新聞社の記事によって国民にも知られていた。


バカ王子が揉め事を起こすが、それを正義なルテミス王子が華麗に制裁するという流れが、お約束の記事である。





「ルテミスが僕を制裁する記事、人気なんでしょ? そのおかげで次期国王である君と王家の支持も上がってるなんて。役に立てて光栄」



「それに関しては私の立場では何も申せませんが…………そもそも、兄上を否定するという事は、王家を否定するという事に繋がります。……賢王とも称される父上が、何故このような愚策を行われたのか……」





ルテミスが俯いた拍子に、眼鏡が少しズレてしまった。


それを正すため眼鏡のブリッジを中指で押し上げたルテミスの手の甲に、一筋の引っ掻き傷が走っているのに気付く。





「それは、父上が僕のこと死ぬほど大嫌いだからでしょ……って、ルテミス……手の甲、怪我が」


「これは……先程、異世界勇者様を締め落とした際、抵抗された時に引っ掻かれたのでしょう。この程度の傷、放って置けば」


「だめ。ほら、手を出して。……いいから」





強引にルテミスの手を取り、引っ掻き傷に手の平をかざすと、ジュリオは目を閉じて口を開いた。





「我が生命よ。生魔となりて彼の者の糧となれ――ヒール」





瞬間。


ジュリオの手の平から、淡く儚い光がふわっと放たれる。


それは一瞬で消えてしまったが、消えてしまうと同時にルテミスの傷も跡形無く癒していたのだった。


我ながらしょぼいヒールだなあ、とジュリオは思う。


どんなに頑張って魔法を学んでも、原理も詠唱もまともに覚えられなかった。



そんなジュリオが唯一習得出来たのは、最下級回復魔法のヒールのみである。



教育係からは、バカ王子にモノを教えるくらいなら、虫に教えたほうがマシと陰で笑われていたのを思い出す。



お母様は救国の大聖女だったのに、とジュリオが顔を曇らせながらルテミスの手の甲を撫でた、その時。





「ッ!!」





ルテミスは傷が治るとすぐに、ジュリオに握られた手勢い良くを引っ込めた。



戸惑い慌てるようなルテミスの態度に、さすがのジュリオもこれには悲しくなってしまう。





「……っ! し、失礼いたしました」


「!? いいよいいよ。気にしてない」





まさか手を弾かれるとは。


ルテミスに好かれている自信は皆無であったが、ここまで嫌われるとは予想もしていない。



これでも子供の頃は仲が良かったんだけどなあ……とジュリオは懐かしむ。



確か、ルテミスと最初に出会ったのは、夕方の厨房だったと子供時代を思い出した…………




その時である。





「異世界人の母親から生まれたルテミス王子が次期国王だと? ふざけんなよ……チート猿共のお仲間が」





ジュリオとルテミスに聞こえるような音量で露悪的な話をする兄妹が、ニヤニヤとこちらを見ながら近づいて来て……。



バシャン!



と手に持っていた赤ワインをルテミスへぶっかけたのだ。



ただの貴族が王子相手にこんな事をして許されるのかと思うが、ルテミスを褒め称えていた貴族達も、そうではない様子の貴族達も、この非常事態に何もせずただ見ているだけである。



まるで、異世界人の母から生まれてきた男など、こうなっても仕方無いと言いたげな顔をしている。


可哀想だが仕方が無いと諦めた顔や、こうなって当然だと馬鹿にした顔など、様々だ。




しかし、ジュリオだけは、鋭い目をして失礼な兄妹を睨んでいる。





「…………ねえ君ら、僕の弟に何してくれてんの」


「兄上。構いません。私は慣れています」





今にもキレそうなジュリオへ、ルテミスが表情を変えずに言い放つ。



この国に召喚されて来たと言う異世界人であったルテミスの母は、とても暖かく優しい人だったとジュリオは覚えている。



そういえば、とジュリオはルテミスとの出会いを思い出す。



あれは確か遠い昔の、夕方の厨房だった。


腹を空かせた幼いジュリオは、食べ物を探すために厨房へ忍び込んだ時、まだ幼きルテミスとその母が、異世界料理を作っているのに出くわしたのだ。



幼きジュリオは「お腹が空いているのかな」と思っていたが、それは半分正解であり、半分不正解であった。



異世界人の母とその息子は、ペルセフォネ人と一緒に食事をすることが許されなかったのだ。




現に、差別対象の異世界人を母に持つルテミスがこの様な目に遭っても、誰も助けてはくれない。




バカ王子ジュリオ――――ルテミスの兄ジュリオを除いては。





「ふざけんなよ。どいつもこいつも」





ジュリオは眉間にシワを寄せて口を開く。



バカ王子だと笑われてきた人生だった。



何をさせてもダメだと蔑まれてきた日々だった。



聞こえるように陰口を叩かれ、ゴミを見る目で見られてきた。



自分のことならもう慣れた。




……けれど!






「この魚面したクソ差別兄妹。その魚臭さはワインでもかけたら消えるわけ?」





ジュリオは近くにあるテーブルからワインボトルを手に取り、兄妹の頭からドボドボとぶっかけた。


ルテミスが「兄上!? 何をしているのです!?」と慌てているが、弟にここまでされて黙って引き下がれる兄貴がどこにいるものか。





「うわッ!! 何すんだこのバカ王子ッ!!」


「兄妹揃ってブッサイクな魚顔引っ提げて何しに来たわけ? 産卵なら川でやれば?」


「ひっひどい……っ!」





泣き出してしまった妹を見てもジュリオは一切罪悪感を抱かず、バカのくせによく回る口で喋り始めた。 



舞踏会の来賓の貴族達は、修羅場の次は何事かとジュリオの周りに集まって来る。


野次馬がどんなに増えたとしても、ジュリオの言葉は止まらない。





「君らって確か漁業やってる地方貴族だよね? そんな身分じゃここでは相手にされなかったでしょ。そんな君らにお似合いの場所があるんだけど、知ってる? ……クラップタウンっていうんだけど」


「ふざけるなバカ王子!」





兄が怒ったのも当然だ。


クラップタウンと言うのは、聖ペルセフォネ王国の隣国であり属国のフォーネ国の南の果に存在する、民度最悪の汚い下町のことだ。


人呼んで『ペルセフォネの公衆便所』である。





「漁業って今厳しいんでしょ。だからせっかくの舞踏会なのにろくな格好ができないんだね。ああ可哀想。でもさあ、いくら貧しい生活してるからって、心まで貧しくなったらお終いでしょ」


「漁業が厳しいのはテメェら王族が援助しないせいだろうがッ!! 最近腐った魚が増えてるって知ってんだろ!? テメェらが毎日食ってる魚は誰が獲ってると思ってんだ!?」


「別に、魚が無いなら肉を食べるし。そもそもさ、うちのお魚買ってくださぁ〜いって王家に泣きついたのは君らのお父様でしょ?」





悪意を持って兄妹の父親の真似をしたジュリオを、完全にブチ切れた兄は殴ろうとするが、そんな兄に妹は流石に暴力はと止め始めた。半異世界人のルテミスにはワインをぶっかけるくせに、ペルセフォネ人のジュリオへの暴力には躊躇するらしい。



今夜の舞踏会は、修羅場に口論という、何とも醜い出来事が立て続けに起こっていた。


しかも、その火種は全てジュリオである。


新聞記者からしたら、とてもありがたい存在であろう。





「兄上! これ以上騒ぎにしないで下さい」


「売った喧嘩に負けたこの人らが悪いよ」





苦い表情を浮かべたルテミスが止めに入ったものの、ジュリオは一歩も引く気にはなれなかった。





「まあいいや。そんなに生活に困ってるなら、可哀想だし僕から恵んであげるよ。……それっ」





ジュリオは礼服の胸元に手を突っ込むと、勢い良く大量の紙幣をバラ撒いた。



目の前で紙幣をバラ巻かれた兄妹は、ジュリオの下品な行為に愕然とした顔をしていが、だんだんとその視線は床の紙幣に移り始める。



そして、ついに妹が床に膝を付き、紙幣を一枚一枚拾い始めた。





「おい……やめろっ! 拾うなって」


「だってお兄ちゃん……このお金があれば……借金返せるし……だから」


「……クソがっ」





兄妹はすすり泣きながら、バラ巻かれた紙幣を拾い集めた。



その兄妹の悲しい姿を、ジュリオはつまらないものを見るような目で見下ろしていた。



そして、そんなジュリオを遠くから見つめる王国お抱えの新聞記者は、底意地の悪そうなニヤケ面で何かをメモしている。





その翌日。聖ペルセフォネ王国には、





『バカ王子、素行不良により追放される!』




『日頃から素行不良が目立っていたバカ王子は、異世界人勇者様の仲間の女性に強引に関係を迫ったのみならず、舞踏会に来ていた善良な地方貴族の兄妹に頭からワインをかけ、土下座をさせた』




『尚、国王はこの件に関して大変心を痛めており、バカ王子を追放処分とした! 息子であろうが悪は許さないランダ―陛下と、そのご子息である王子ルテミス様がいるならば! 聖ペルセフォネ国は安泰である!!』





という、実際の出来事を切り貼りして作り変えた新聞がバラ撒かれたのだ。





事実と違う部分がある? いやいや、それは報道しない自由なのです。





これは王国お抱えの新聞社『ヨラバー・タイジュ』の編集長フロントの名言だ。





そんな権力の手垢がベッタリと付いたクソ新聞は、国を渡り隣国へと南に流れゆき、小さな陸続きの島へとたどり着く。



新聞は、とある汚い町のとある汚い酒場にて、とある美少女の手に渡っていた。





「へえ……ペルセフォネのバカ王子、ついに追放されたのか。……つーかこれ一週間前の新聞だろ。さすがクラップタウン。情報伝わるの遅すぎ。ホントにクソだな」





赤いフード付の上着を着た小柄な少女は、新聞を読みながら片手に持った酒の中瓶をラッパ飲みしている。


ガラの悪い座り方をする様は完全に下町のチンピラだ。



少女は新聞に書かれたバカ王子の風刺画を指で弾く。


そのバカ王子の風刺画は、この世のものとは思えないほどブッサイクに描かれていた。





「しっかしブッサイクな王子だなこりゃ。これなら追放されても悪党に捕まってケツ掘られる心配もないだろ…………ん? 何だ、こんな時間に」





カウンターに置いてある、薄く小さい板の画面が光った。



その板とは、この国に召喚されて来たと言う異世界人がチート能力を駆使して発明した、離れた場所にいる相手と会話できる通信魔道具――スマートフォンである。





「何だよルトリ、こんな時間に。公務員だろお前。……え、何? 朝出勤で夕方には帰れる公務員なんてファンタジー? そりゃご苦労さん。つか、何? …………え!?」





少女の乱暴な口調が止まる。


みるみると表情が険しくなり、声も冷えきってゆく。





「……四人の強そうな冒険者と、明らかに初心者っぽい弱そうなヒーラーの兄ちゃんが、慟哭の森に入ったって? 随分ときな臭いな。そういう強そうなパーティが初心者連れて慟哭の森に入る理由って、魔物の寄せの囮にする以外にねえだろ。……ああ、わかったすぐに行く」





少女は耳に当て会話をしていた板を上着のポケットにしまうと、テーブルに立て掛けていた黒い弓を背負い席を立った。




バーテンダーに「ごめん、ツケで!」と声をかけると、店から走って飛び出して行く。




少女は汚え夜の町を駆け抜けながら、心のどこかで「そういや、追放されたバカ王子は今頃どこで何をしているんだか」と考えた。

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