第2話 バカ王子ジュリオの日常

ジュリオの追放が決定的となった出来事である。



バカ王子として名高いジュリオは、何も産声を上げた瞬間からバカ王子だったわけではない。


子供の頃は「母上のためにもみんなのためにも、頑張って立派な王子様になるんだ!」と純粋な気持ちを失わず、歯を食いしばり悔し涙を拭いながら懸命に努力を重ねていた……のだが。





「ねえ、何か勘違いしてない? 努力して結果が出せるのって、そもそも才能があるからでしょ。君がいくら女の子に好かれようと努力したところで無駄だったんだよ。鏡見て頭冷やしなって」





十八歳になり、見目麗しい美男子として成長したジュリオは、バカ王子と蔑まれる日々の中で子供時代の純粋な気持ちを完全に無くしており、いつの間にかこんなひどいセリフを吐く薄情な男になっていた。



早い話がグレてしまったのだ。



そんなジュリオは親譲りの美しい金髪を見せびらかすようにして、白く美しい手でサラリと払う。



容姿も才能でしょう? とでも言いたげな勝ち誇った表情は、妖艶な美貌も相まってバカ王子というより物語の悪役な令嬢のようだ。




その一方、大理石の床に膝をつかされ、屈辱に歪んだ顔で睨みつけてくる男は、今にもジュリオを殺しそうな程の憎しみの気配を放っていた。


黒い前髪がかかる目には、ドス黒い怒気が滲んでいる。




舞踏会の真っ最中であった城のダンスフロアの空気は、ジュリオと乱入してきた男との修羅場により完全に凍り付いてしまう。





「僕が君から女の子を寝取ったって? 僕は勇者様のパーティメンバーの女の子だからって断ったんだよ。でも女の子方から包丁持って『抱いてくれなきゃアンタを殺して私も死ぬ!』って迫られたんだよ? そりゃ抱くしかないでしょ。殺されたくないし」





ジュリオはその美貌から、とんでもなくモテていた。


無能なバカ王子と評判であったが、そんな悪評を忘れてしまうほどジュリオはとても美しいバカ王子であった。


豊かな金色と睫毛の長い若草色のつり目には、人形のような完璧な美がある。



その美しさは女だけでなく、男すらも魅了してしまうほどである。貴族のお上品な女と男がジュリオを巡って醜い殴り合いをすることも珍しくはない。




だからこそ、こんな修羅場も日常茶飯事である。


ブチ切れた相手に怒鳴り込まれるのも、ジュリオはとっくの昔に慣れてしまっていた。




「そもそもさあ、あの女の子達って君の恋人なの? 違うよね? ただのパーティメンバーってだけでしょ? 少なくとも、あの子達はそう言ってたけど」



「そんなわけない! ヤリマもサセ姉もヒチィもみんな、俺の事を大好きだって言ってたんだ! お前が無理やり奪ったんだろ!?」




黒髪の男の声は沈んでおり、泣き出すのを堪えようと踏ん張る震えが混じっている。


そんな男の哀しい訴えを、ジュリオは人形のような表情で聞いていた。





「あのね。あの子達は、異世界から召喚されてきた君を懐柔するために、国から派遣されただけなんだよ。だから、君を好きだのなんだの言うのも、全部仕事上のリップサービスだってば」



「嘘だ! そんなのありえない!! みんな俺のことが大好きだって言ってたんだ!」



「だからそれがリップサービスだって言ってるじゃん。そうやって異世界人勇者の君に気に入られるのがあの子達の仕事なの」



「そんなわけない……そんなわけ……」 





男は俯き嘘だ嘘だと呟いている。周囲には黒い靄のようなオーラが漂い始めた。


男を取り押さえる兵士達は「まずい……チート能力が」と怯み始めるが、肝心のジュリオは何も気づかずしゃべり続けてしまう。





「君をチヤホヤしてた女の子達の本当の目的は、チート能力を持った君に、貴族達がやりたがらない魔物退治とかキツイ仕事をさせること。……ちょっと考えればわかるでしょ? あの子達みたいな美少女が君みたいな男を本気で好きになると思った?」


「嘘だ嘘だ嘘だぁあああ!!!」





男の絶叫と共に、黒いオーラが一気に爆ぜた。兵士達が嘘のように吹っ飛び、貴族の女性たちの悲鳴が上がる。



夢のようなダンスフロアは一気に地獄絵図となった。





「ちょ、ちょっと待ちなって! 勇者様!! 女の子なんて星の数ほどいるんだからさ! 何なら紹介しようか?」





ようやく状況のヤバさを把握できたジュリオは、引きつった作り笑いを浮かべながら、怯えつつも穏やかに男へ話しかけた。


両手のひらを前に出し、まあまあと落ち着ける動作をしながら、視線を逸らさずゆっくりと後退る。



しかし、黒いオーラをまとう完全にブチギレた様子の男は、一歩一歩ゆっくりとジュリオとの距離を詰めるように近づいてきた。





「よくも俺を怒らせたなバカ王子……! 楽に死ねると思うなよ……。生まれて来たことを後悔させてやる!」


「ごめん、生まれて来たことならとっくの昔に後悔してるから、悪いけど他の事にしてもらえる?」





ブチギレ男をなだめようと、ジュリオはヘラヘラと作り笑いを浮かべるが、ブチギレ男は相も変わらず怒髪天である。





「それなら……そうだ。お前を殺した後、目の前でお前の女をヤってやる」


「僕の女? ごめん、彼女なら昨日別れちゃったんだけど、彼氏ならまだ何人かいるんだ! それでもいいなら別良いけど、君、ア〇ルでイケる? 僕、総受けなんだよね」


「イケるかボケ!! ケツ穴から剣ぶっ刺してバーベキュー串みたいにして焼き殺してやる!!!」


「ごめん! ばあべきゅうって何? 異世界言葉ってわからな…………あっ」





ふと気づくと、ジュリオに殴りかかろうとしたブチギレ男の背後に、眼鏡をかけた男が音も無く立っていた。





「ルテミス……」


「ご無事ですか? 兄上」





ルテミスは涼しい声で答えや否や、素早い動きでブチギレ男の首に腕を回し締め技をかける。


ブチギレ男はジタバタともがき苦しみ、自分の首に回った手を外そうと抵抗するが、それも虚しくほんの数秒で落ちてしまった。





「お見事な絞め技ですわ。さすがです、ルテミス王子」


「聖女ネネカ様にお見苦しい光景を見せてしまいました。恐れ入ります」





長い黒髪の美女である聖女ネネカに褒められても、ルテミスは表情を一切緩めず黒縁眼鏡のブリッジを中指で押し上げた。


筋張った指の爪は綺麗に短く整えられており、清潔感がある。


黒髪の短髪と賢そうな黒い瞳を持つ、ジュリオは違う種類の美男子だ。



ルテミスは聖女ネネカと少し会話をした後、突然の修羅場により混乱した場の沈静化を図った。





「来賓の皆様! 此度は大変なご迷惑をおかけいたしました事を、ペルセフォネ王家を代表してこのルテミスが心よりお詫び申し上げます!」





謝辞を言い終わったルテミスは、先程に男の黒いオーラで吹っ飛んだ兵士達を労うと、絞め技をかけて気絶させた男をダンスフロアから運び出す指示を出す。



そして、演奏家に指示を出しダンスフロアに音楽を取り戻させ、あっという間に舞踏会を再開させてしまう。とても見事な手腕だ。



周りの貴族達も、ルテミスの優秀さには感心しているようで、羨望の眼差しを送る令嬢もチラホラと見受けられた。





「さすがはルテミス王子! 彼が次期国王ならば、この国の未来は安泰だろうな!」


「賢王ランダ―陛下のご子息ですもの。優秀なのは血筋ですわ」





次々とルテミスが称賛されてゆく。


だが、この流れはジュリオにとって、非常にまずいものであった。





「それに比べてあのバカ王子ときたら……」


「あの無能ぶりでルテミス様の兄だというのだから……何とまあ」





大貴族のオッサンとオバハンが、ジュリオに一切遠慮無しの音量で話し始めた。


このように、ジュリオは周囲から聞えよがしにボロクソに言われることが日常でよくある。


あまりにも日常過ぎて、声変りが始まる頃には完全に慣れてしまっていた。





「何をさせても無能そのもの。救国の大聖女の息子だというのに、使える魔法はヒールだけ。……こんな情けない話があるか。生きてて恥ずかしくないのだろうか?」





自分のような役立たずが何で生まれてきたのか。そんなのこっちが聞きたいくらいだ。



母も、自分のような失敗作さえ生まなければ、もっと幸せな生涯を過ごせたのだろうか。



もう、ここにいたくない。





「今日は問題起こしてごめん。ルテミスにも迷惑かけたね。助けてくれてありがとう。それじゃ」 





ジュリオは気まずそうな笑い顔を浮かべ、ダンスフロアの隅へと逃げるべく足早に移動して……、そして。



くるり、と振り向いた。



視線の先には、ジュリオをボロクソに罵った貴族のオッサンとオバハンがいる。





「ねえそこのおじ様〜!! この前『頼むエンジュリオス殿下!! 妻とは別れるから一回抱かせてくれ』って誘ってくれたのに断ってごめんねえ〜!!」


「兄上!?」





ジュリオの暴露により、貴族のオッサンはオバハンに「このクソ旦那!!!」と怒鳴って見事な張り手をかました。





「……ちなみに、あのおば様にも『旦那とは別れるから抱いて』って言われたんだよ。……その翌日にはあの二人の息子からもね。…………あの一家全員と寝たら、夫婦息子揃って穴兄弟と竿姉妹になるのかな? 核家族ならぬ穴家族? それは面白そうだしヤっときゃ良かったかもね」


「兄上!! いい加減にしてください!!!」


「ルテミスが怒鳴るなんて珍しいねえ。……お兄ちゃんが取られそうでヤキモチ? 可愛いなあ〜」





つまらなそうに笑うジュリオは、ブチ切れたルテミスに手を引かれてフロアの隅へと連れて行かれる。



三歩下がった位置からネネカも続いた。

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