第4話 ジュリオ、絶体絶命!
こんな筈じゃなかったと、目の前の男が魔物に食われながら言った。
それはこっちのセリフだとジュリオは思った。
月も星も食らう濃紺の雲がどろりと広がる、気味の悪い夏の夜である。
鬱蒼とした森の中にある一軒のボロ小屋の中では、凄惨な事件が起こっていた。
小屋の室内で、粗末な板壁に背を預け、絶望と悲壮にぶん殴られたような顔のジュリオは、力無く座り込んでいた。
こんな筈じゃなかった、こんな筈じゃなかった……と、ジュリオは何度も心の中で繰り返す。
舞踏会にて立て続けに騒動を起こしたバカ王子のジュリオは、一週間前ついに国王から追放処分を受けていた。
そして、追放先の隣国にて偶然出会った冒険者パーティに運良く転がり込めたのだが、その冒険者パーティもたった今、凶悪な魔物による奇襲攻撃を受け壊滅してしまったのだ。
こんな筈じゃなかった、こんな筈じゃなかった……と目の前の光景を否定したところで、現実は何も変わりはしない。
パーティメンバーの男が魔物に食われる光景は、揺るがざる事実であるのだから。
パキパキ、ゴリゴリ……と、嫌な音がする。
男の骨が魔物に食い砕かれる恐ろしい音を聞きながら、ジュリオは恐怖で息もつけずにいた。
そんなジュリオを全く無視して、四足の魔物は目の前の男をぐちゃぐちゃと捕食している。
その魔物は、ヒグマと言う動物に非常に似た、アナモタズと呼ばれる魔物であった。
アホのようにデカイ頭と巨体は、立ち上がればこのボロ小屋の高さよりも大きい事だろう。
男を一心不乱に貪り食う口もこれまたデカく、時折覗く牙は悪魔の角かと言うほどに禍々しかった。
生臭さと獣臭が充満し、嗅覚が壊れていくのを感じる。
アナモタズの強靭な顎により、男の骨が噛み砕かれる音を聞くたび、次はお前の番だと言われているような気がしてならない。
絶体絶命が極まるこの状況にて、ジュリオはヤケクソ状態でこの世界の女神に心の中で問いかけた。
ああ、女神様。女神ペルセフォネ様。
この世界を正しい幸福へと導いてくれる……と、みんなが信じる優しい女神様。
ねえ女神様。
貴女って本当はただの意地悪なクソ女なのではありませんか。
ジュリオは心の中で女神に文句を言ったが、そんな事をしたところで、状況は何一つ変わりはしない。
この絶体絶命な状況を切り抜けられる可能性など皆無であった。
何故ならば、ジュリオは初心者ヒーラーであり、使える技は最弱回復魔法のヒールのみという、全くの戦闘ド素人である。
パーティメンバーからも控えのヒーラーとして回復薬代わりにコキ使われていただけなので、当然前線には出ていない。
故に、初めて魔物と対面したジュリオに、人を食う凶悪なアナモタズを倒せる可能性など、何一つ無いのだ。
今のジュリオは、アナモタズの餌でしかない。
恐ろし過ぎて声すら出ないなんて、そんなの初めてだった。
目の前で仲間が食われているというのに、願う事は「どうかアナモタズが満腹になって、僕へ興味を示しませんように」である。
薄情にも思えるが、ジュリオがそう思うのも仕方が無い話だった。
現在、魔物に食われている異世界人勇者は、ろくでもない男であった。
この男は、自分がチヤホヤされていないとすぐに不機嫌になり、周りに当たり散らかす迷惑な存在だったのだ。
ひどく不機嫌な状態で酒を飲むと暴れ始め、仲間の美少女が一人殴られもした。
魔物に食われたところで、悲しいとか悔しいといった感情は一切湧いて来ない。
しかし、だからといって、アナモタズに生きたまま食われ、骨を砕かれ肉を食い破られながら絶叫して死んでいった凄惨な最期を見て、流石にざまあみろとは思えない。
ほんと、この世はクソである。
だが、そんな呑気な事を考える余裕も無くなってきた。
男に降りかかった不運は、だんだんとジュリオの喉元にも迫ってきている。
遺体はどんどん食い尽くされて、最早原形はとどめていない。
残るは片腕と片足、そして毛髪の生えた肉片のみ。
アナモタズは男を完食する寸前であった。
ああ、もう駄目だ。
次は僕が食い殺される。
ジュリオは頭を抱え、目を瞑ってうずくまった。
食うのはせめて、一撃で殺してからにして欲しい。
生きたまま食い殺されるのは絶対に嫌だなと思う。
そんな事を考えていると、殺意に満ちたアナモタズのおぞましい咆哮が聞こえてきた。
いよいよか、と思う。
思い返せば、恥の多い人生だった。というか、恥さらしな人生だった。
周囲からはバカ王子と蔑まれ、生まれてきたせいで母を不幸にした。
例えば、もし自分が男ではなく女として生まれ、優秀な大聖女になれていたなら、どんなに良かったか。
大聖女の母デメテルは、次世代の大聖女を望まれていたはずが自分を産んだせいで『男腹』として蔑まれた。
しかも、ジュリオを出産した時に体を壊して二度と子供を産めない体になってしまったのだ。
それを理由に、父を含む周囲からボロクソにされて来た人生だった。
そんな母も、ジュリオが八歳の時に、救国の儀とか言うワケの分からん儀式に連れて行かれて帰らぬ人となった。
母の人生は、ひたすら人から雑に扱われ、ボロ雑巾の様な一生だったと息子のジュリオは思う。
自分が大聖女か聖女として生まれていれば、母は周りからも大事にされ、幸せな人生を送れたのだろうか。
自分さえいなけりゃ。
ああ、疲れた。
俯いて座るジュリオの耳に、男の死体を食っている筈のアナモタズの咆哮が聞こえてきた。
何事かと思い顔を上げると、先程まで男を食っていたアナモタズは、己が壁をぶち破って空けた穴へと向いており、ジュリオには背中を見せている状態である。
え、なんで?
戸惑うジュリオの耳に、風を切るような鋭い音が一筋聞こえた。
瞬間、アナモタズが地鳴りのような咆哮をあげ、崩れ落ちるように地面に伏せたのだ。
「え……?」
あまりの一瞬の出来事なので、状況が理解できなかった。
ただ、アナモタズは『倒れた』のか『死んだ』のかが無性に気になった。
様子を注意深く見ると、針金のように逆だっていた黒い体毛がペタリと萎びたことがわかる。
「死んだか」
女の声が、小屋の穴の向こうから聞こえてきた。
鈴の音のような、甘く寂しげな声色である。
足音はこちらに向かっているようで、どうやら自分は助かったのだと知った。
全身から力が抜け、けたたましく鼓動する胸が妙に懐かしい。生きている実感を味わった瞬間、呼吸すら忘れていた体に新鮮な空気が染み渡った。
「邪魔くせえ」
女の雑な言葉と共に、何かを蹴るような音がした。
アナモタズの死体がゴロリと転がる。暗闇でいまいち把握できないが、多分、女がアナモタズの死体を蹴ったのだろう。
随分と乱暴な奴だなあと思った。
小屋の中に入ってきた女は、アナモタズに食い殺された仲間の荷物を漁り、何かを取り出したその瞬間。
女の片手にある水晶が、小屋の中の暗闇をぼうっと鈍く照しだした。
濃紺の闇にぼやっとしたオレンジの光が発生する。
松明の代わりにもなる水晶は、冒険の必需品として人気の高い照明道具だ。
「酷いなこりゃ……。ヤバいことになったもんだ」
女が吐き捨てるように言った。
「あの……君は……」
その女は、容姿こそ儚げで可憐な美少女ではあるものの、言動や佇まいは完全に『ならず者』という、不思議な雰囲気をまとっていた。
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