第2話 美月

 7月の頭ごろという奴は、大概の学校はすでに夏服に衣替えをしていて生徒をはじめ教師も涼しげな格好をしているものだ。友貴と美月の通う高校も例にもれず、夏服に衣替えしていた。その夏服に身を包んだ友貴と美月が、放課後の部室に向かっていた。二人は、同じ合気道部に所属しているのだが、美月は小学生からの経験者で、友貴は高校に入ってから始めたド素人だ。「前から武術をやってみたかったのと、護身術として強いって聞いたからやってみたい」ということで始めたらしい。

 「うっしゃぁ!今日もご指導頼むぜ美月!」

 部活の前になると、友貴はいつもこんな感じになる。部活の頻度は多くはないが、幾度に新しいことを学べるのがうれしくて楽しいらしい。

 「それはもちろんいいけど…前から気になってたんだけど、なんで友貴は合気にしたの?友貴のキャラだったら空手やるとか、喧嘩の腕とか磨いてそうだけど」

 「空手はまだわかるけど、喧嘩てアンタ…どんだけ俺をヤンキー予備軍にしたいんだよ…」

 苦笑いしながら友貴は、「そうだなぁ」と言って話し始めた。

 「そりゃあ俺だって最初は空手とかボクシングも考えたけど…あんまり人ぶん殴るのは好きじゃねぇしなぁ…できるだけ穏便に、喧嘩やるにしても相手をあんまり傷つけずに勝ちてぇからなぁ…一番いいのは喧嘩しねぇことだけど」

 「意外だ…喧嘩上等なタイプかと思ってたのに…」

 美月は、まだ少し友貴がヤンキー予備軍だと思っていたらしい。友貴も発言に美月は戦慄していた。

 「まぁとにかくそういうこった!今日もよろしく頼むわ!」

 「はいはい、やる気のあるお前みたいなのだったら教えるほうも楽しいしね」

 「お!?美月、うれしいこと言ってくれるねぇ。じゃあ今日も頑張って行こうぜ!」

 顔を見合わせて、お互いニカッと笑うと武道場への道を急いだ。

 その数十分後…

 「と、友貴大丈夫?」

 「ゲホッ!ゲホッ!…大丈夫、ちょっと受け身ミスった」

 稽古の中で派手めに投げ飛ばされた友貴は、強めに背中を打って撃沈していた。たいていの人は、腹や背中を強く打つと呼吸がうまくできなくなり、咳込むことがよくある。現に友貴もそうなっていた。

 「少し休む?友貴」

 「ありがと…けど大丈夫、この程度何のこたぁねぇ…」

 ゆっくり立ち上がると、友貴は先ほどまで稽古の相手をしてくれていた先生に「よろしくお願いします」と言って向かっていこうとした。先生自身も「大丈夫か?」と心配していたが、友貴は「大丈夫っす、行けます」と答えた。

 その後は、特にド派手にぶん投げられることはなかったものの、友貴はしこたま地面に背や腹をつけることとなった。その様子を、美月は自分の稽古の合間にちらちらとうかがっていた。

 「みっちゃ~ん、友くんのことが気になるの~?」

 「魅桜(みお)先輩、すみません大丈夫です。失礼しました…」

 いつもは自分が教えているのに、この日に限って顧問の先生と稽古をしていた友貴を気にしていた美月に声をかけたのは、二人より一つ年上の魅桜という女子の先輩だった。フレンドリーな人物で、美月と友貴のことを、それぞれ{みーちゃん}、{ともくん}と呼んでいる。かなりの実力者で、この日の美月の稽古相手だった。

 「いいよいいよ~。みーちゃんは友くんの先生だもんね、気になるのはしょうがないよ~」

 「いえいえ、そんなたいそうなものじゃないですよ。まぁ確かにアイツを引き込んだのは私ですけど…」

 美月がそう言うと、魅桜はうなずきながら聞いていた。すると、魅桜が「休憩しよっか!もっと話聞かせて?」と言ったので、美月と魅桜は、武道場の隅に座って、休憩をとることにした。友貴は二人には気づかず、一心不乱に稽古をしていた。

 「いつも思うけど、みーちゃんと友くんってほんとに仲いいよね~。もしかして二人って付き合ってるの~」

 座るや否や、魅桜はフワフワした調子で美月に尋ねた。

 「いえ?アイツとはそういうのはないです。確かに友達としてはかなり仲良い方な自信はありますけど…」

 美月の返答に、魅桜は目を丸くした。意外な返答だったのだろう。いつも柔らかな表情の魅桜の表情が珍しく驚きの表情を浮かべていた。

 「えぇ~意外~!?だっていっつも一緒にいるじゃん。学校で見かけたときとか移動教室の時とかもずっと一緒じゃん?」

 「それは確かにそうですけど…。アイツとはまた違うんですよ」

 美月の言うことと、日ごろの行動にどうしても魅桜は納得がいかない様子だった。

 「む~…どこか友くんに不満でもあるの?確かに目つきはよくないしたまに口調が荒いけどいい子じゃない?なかなかの優良物件だと思うけどなぁ…」

 「賃貸みたいですね…まぁ確かに、背も高いし友達思いだし、なんだかんだ言って優しいし顔もそこそこですけど…とにかく違うんですよ!」

 割と友貴のことをしっかり見ている美月の発言に、魅桜はニヤリと満足そうに笑った。

 「そっかぁ~とにかく違うんだねぇ~じゃあ友くんが他の女の子と付き合ってもいいんだねぇ~?」

 魅桜がこう言うと、美月の顔色が少し変わった。

 「い、いや…それはちょっと困る…かもです…」

 「ん~?違うのに困るの~?なんでぇ~?」

 魅桜の顔が、悪だくみをしているような、何か企んでいるような、悪い笑顔になった。水を得た魚のごとく、美月に詰め寄った。

 「違うなら他の子と付き合っても問題ないよねぇ?なんでぇ?みーちゃ~ん」

 「も、もう!しつこいですよ!いくら魅桜先輩でも怒りますよ!?」

 返答に詰まった美月は、強引に話題を切ろうとした。

 「おっとぉ…ごめんごめん、みーちゃん。あんまりにも気になったしみーちゃんが可愛かったからつい…ゆるしてぇ?」

 「別に、やめてくださるなら怒りもしないですよ」

 涙目になった魅桜が「ありがとぉ」と言ってハグしてこようとしてきたときに、ちょうど友貴のほうの稽古が一段落したようだった。

 「いってぇ~…やっぱ松木先生(顧問の先生)容赦ねぇわ~…あれ?魅桜先輩と美月休憩中っすか?先生の相手どっちか行きません?」

 「私はもうちょっとだけ休憩したいかなぁ…」

 「じゃあうちがいく」

 美月が立ち上がって先生のほうへ行くのを見送ると、魅桜は友貴の名前を読んでから、自分の座っている隣の床をポンポンと叩いた。「座れ」ということなのだろう。友貴は、水筒を取ってきてから隣に座った。

 「お疲れ~。友くんは、合気道部に慣れた?」

 「そっすね、同級のみんな面白れぇし先輩方優しいし、マジで入ってよかったっす!誘ってくれた美月には感謝しかないっすよ」

 特に話題を振るまでもなく美月の話題を出した友貴に対しても、魅桜は、何か企んでいるような笑みを浮かべた。

 「さっきみーちゃんとも話してたんだけど、友くんとみーちゃんってすごく仲いいよね?付き合ってない…よね?」

 「はい?付き合ってないっすよ?なんで俺がアイツと付き合ってると思うんすか?」

 キョトンとした顔で逆に友貴が聞き返してくる結果となった。ほとんど美月と同じような返答となった。

 「えぇ~、だっていっつも一緒にいるし、みーちゃんて可愛いから友くんもそういうみーちゃんのことが好きなのかなぁって…」

 「あー、確かにアイツのことは好きっすよ?まぁあくまでダチとしてですけど…美月は俺にとって一番大事なダチの一人ですから」

 美月の時と同じく、友貴の返答にも魅桜は納得がいかない顔だった。

 「けど、美月ちゃんは恋愛対象としてもすごくいいと思うよ!?美人だけど可愛らしいとこもあるし、たまにおっちょこちょいさんだけどそこが可愛くない?」

 「いや、確かに美月は可愛いと思いますよ?先輩の言った通りだし、人当たりもいいし、面倒見もいいし、モデルみたいな体型してますもんね。けど、そういうのとはちょっと違うんっすよ」

 またも美月と同じような返答が帰ってきた。魅桜は、次に言おうとした質問にも似たような答えが返ってくるのではと予想し始めた。

 「じゃあもし、みーちゃんが他の男の子と付き合ってもいいの?」

 「そうっすねぇ…まぁアイツがいい人見つけんのは全然いいと思いますけど…それで絡みが減ったらちょっと寂しいかもしんないっすねぇ…アイツと一緒にいると…なんつうか…心の底、腹の底から笑えるんっすよ。だから、今すぐにいい人ができるのは…ちょっと困るっすね…」

 二人の発言を聞いたうえで、魅桜はやはり二人が付き合えばいいのにと思わざるを得なかった。なのに二人はあくまで友達としていたいといったことを言い張っている。二人の後輩を気に入っている魅桜としては、おせっかいというのはわかっていながらも、二人には一緒になって幸せになってほしいと思わずにはいられなかったのだ。

 部活が終わってからのこと、家が近い友貴と美月は、二人は並んで夜道を歩いていた。街頭や家の光は、星々の光が地上に降ることを遮っていたが、月だけははっきりと美しく優しい光を放っていた。並んで歩く二人の距離は、いつでも手と手を重ねることができる距離だったが、歩くたびに揺れる二人の袴以外のところは、どこも重なることがなかった。

 「いやぁ気持ちいぐらいバカバカ投げられたわ~帰ってからメシ作る体力ねぇや」

 「お前今日エグいの一回食らった後も何度も先生にお願いしてたもんね」

 今日の部活の気になったところや、学校で面白かったことなど、とりとめのないことを話しながら、和やかに二人は家路を歩いた。少しだけ会話が途切れた時ふと、友貴があることをつぶやいた。

 「この町は、あんまり星が見えねぇなぁ…」

 その言葉を口にする友貴の表情は、寂しげだった。高校進学のため、故郷を離れ一人暮らしをしている友貴は、故郷への思いを強めているのだろう。美月は、日ごろから一緒に過ごしているため、なんとなくその気持ちは察していた。美月の故郷は、高校のあるこの町だが、田舎に住む祖父母の家に遊びに言った感覚から、友貴の故郷も素敵な町なのだろうと想像していた。

 「ねぇ、友貴のふるさとってどんなとこ?」

 美月の質問に、友貴は少し考えた後、ゆっくりと答えた。

 「そうだなぁ…こことは方向性の違ういい町だぜ?俺の地元は山が近くてな…けど風がちょっと強い日なんかは、潮の香がするんだ…。風がない日は木の香がして、学校終わりなんかは、地元の友達と近くの川にザリガニ釣りとかウナギ取りもやろうとしたっけ…。夏は蝉がうるさかったけど、{夏が来た!}って感じがして、休みの日なんかは近くの浜まで泳ぎに行ったなぁ…」

 故郷について語る友貴からは、純粋かつ強い地元愛が伝わってきた。そんな友貴の地元を想像して、美月も言ってみたい気持ちが強まった。

 「いつか連れてってよ!友貴のふるさと!絶対楽しいじゃんそんなことできるなんて!!」

 「そうだな…アンタが来てくれたら、きっともっと楽しくなるだろうなぁ…」

 しみじみと、少しの間だけ立ち止まって友貴は目を閉じた。美月も立ち止まった。美月も目を閉じて、友貴の故郷を想像してみた。

 「けど…月ってやつはどこでも優しく見ててくれるもんだなぁ…見え方は多少変わっちまうけど…少しだけ、故郷に帰ったような気になれる…」

 「確かに、どこにいてもお月様だけは優しく見ててくれるよね~」

 そう言って二人はまた歩き出す、歩いていると友貴が口をまた開いた。

 「そういやぁ美月の名前って{美しい月}って書くよな?どういう理由があるんだ?」

 「うちの名前?まぁいろいろあるらしいけど大きくは二つかな…」

 「話してくれよ」という友貴のために、「もちろんいいよ」と言って美月も話すことにした。

 「まず一つは、文字道理お月様みたいに清らかな美しい女の子になってほしい見たいな願いをかけたんだって~…」

 「もう一つは…?」

 月を見上げながら一度言葉を切った美月に、友貴がもう一つの意味を訪ねた。

 「もう一つは、お月様みたいな優しさで、周りの人と接することができる人になってほしかったんだって」

 「そっか…ならアンタは親御さんが願った通りに育ったんだなぁ…」

 美月の話を聞いた後、友貴はこう口にした。美月にとって、最初それはどう意味なのか分からなかった。

 「え?どういうこと?」

 「は?だって、純粋で優しくて綺麗じゃん、アンタ」

 友貴の補足を聞いてから、見る見るうちに美月の顔が赤くなった。

 「?どしたの?そんな茹でダコみたいに顔、耳まで赤くして」

 「何でもない!それよりお前なんでそんなセリフを面と向かって言えるわけ!?」

 意味がよく分かっていない様子の友貴の背中に、強めの平手が飛んできた。バチンッと子気味のいい音がして、友貴が「いってぇぇぇぇぇ!」と言いながら背中に手を伸ばした。

 「あ!?ごめんつい…」

 「俺今日にいたってはアンタに手ぇ出されるようなことした覚えないんだけど…?」

 背中を庇いながら訴える友貴に対して、美月はしばらくひたすら謝った。もちろん友貴は、すぐに許したが、美月が真っ赤になりながら平手を飛ばしてきたのかはわからないままだった。

 しばらくすると、友貴の住むマンションに先に着いた。

 「あ、じゃあ今日はここまでだね友貴。またあしt…」

 「美月、今日は家まで遅らせてくんないか?」

 すぐさま帰るだろうと予想されていた友貴は、予想外の提案を美月にしたのだった。

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