第349話 自由すぎる時間

「さてさて、さっそく一杯ひっかけるかねぇ」


 比良南良ひらならは食材が入っている箱から二〇〇ミリリットルの濁り醸造酒を取りだした。


 磐倉いわくら金合歓きんごうかんは驚いて声を失う。任務中に堂々と酒を取り出す職員は見た事がない。


「ほぉう。会いたかったぞ」


 比良南良ひらならは紙に包まれたお猪口を取り出すと、しげしげと眺めた。まるで恋人に巡り合ったように甘い溜息をつき、目尻を波立たせる。


「あの……それは……任務中にお酒は……駄目なんじゃない、でしょうか?」


 金合歓きんごうかんが躊躇いかちに、至極まっとうなことを述べたが、比良南良ひらならは瓶のふたを開けて鼻で笑う。


向精神薬こうせいしんやくだよ! コーヒーと同じさ! 仕事中だって飲めるやつだ!」


 堂々とした態度に、金合歓きんごうかんはあんぐりと口を開けた。

 磐倉いわくらが眉間にしわを寄せつつ、酒瓶を指さす。


「いや。アルコールは精神刺劇薬じゃなくて抑制剤の方では? モルヒネとかの鎮痛剤の」


「だから疲労回復だっつーの! 酒は命の源だ! 水がない時は酒を飲んで生き伸びてきたんだ。安心しな、私はのんべぇだから酔わないさ」


 にやりと不敵に笑って、比良南良ひらならはおちょこに酒を注ぎキュッと飲み干した。

 とろりんとりんとし目に恍惚の光が宿る。


 ちびちびと一人酒を楽しみ始めた比良南良ひらならを眺めていたが、


「見なかったことにするか」

「そうしよう」


 あれこれ言っても聞く耳がないのなら無駄だと諦めた。しかし何かあったときに告げ口してやろうと心の隅には留めておく。


「センセーが酒飲んでるなら、俺はこれで遊ぼっと」


 金合歓きんごうかんはポケットから持ち運び型ゲーム機を取りだした。

 スイッチを入れると音が流れる。大きい音だったので部屋に響いた。

 慌てて音量を小さくするが、数人の女性が『いつまでも恋の寸止め』と可愛らしく囁くセリフが響いて、磐倉いわくら比良南良ひらならが物言いたそうにジト目になる。


「すみませーん」


 金合歓きんごうかんがにへらと笑うと、比良南良ひらならは興味を失った。

 磐倉いわくらも興味がなかったので解析に戻ろうとしたが、


「氷見妃美ちゃんがもうすぐ攻略できそうなんだよねー。みてみて」


 と金合歓きんごうかんが邪魔をしてくるため、磐倉いわくらは物言いたげな目を向けた。


「俺は解析したいから話しかけるな」


 仕事をしていると伝えれば引っ込むはず、そう考えていたが。


「なーあ磐倉! 手伝ってくれー! これー! これみてー!」


 金合歓きんごうかんが泣きそうな声を出しながら縋ってきた。それだけでも鬱陶しいというのに、磐倉いわくらの頬にゲーム画面を押し付けている。


「やめろ」


 イラっとしながら払いのけると、金合歓きんごうかんが画面を指し示した。


 画面にアニメタッチの青いツインテ少女が映っていた。頬が染まり怒ったような表情をしており、セリフ欄にツンデレっぽい言葉が並んでいる。


 これがいま、金合歓きんごうかんが攻略したいキャラクター氷見妃美であった。彼は恋愛趣味レーションゲームにドハマりしており、彼女がいない寂しさをこれで埋めていた。


「氷見妃美ちゃんいっつもあと一歩なんだよ。セリフ選び間違えたり好感度上げ切れなかったりで告白してもらえないんだよー。助けてくれーアドバイスよこせ!」


 磐倉いわくらが鬱陶しそうに視線を逸らすと、金合歓がガシっと彼の肩を掴んで顔を近づけてくる。磐倉いわくらの目に怒りが宿った。


「殴るぞ」


 しかし金合歓きんごうかんは怯むどころか全く気にしない。


「このセリフはどっち選べばいいと思う? 今までの会話の積み重ねがあるから、同じセリフでもルートによって好感度の上がり下がりが違ってくるんだけどっ! どう思う!?」


「……呆れた。たかがゲームでそこまで必死になれるのか?」


「お前ならどっちだと思う? アドバイス!」


 磐倉いわくらは深いため息をついた。

 自由時間と言い渡されたゆえ遊んでもいいが、どうも釈然としない。

 モヤモヤする気持ちがあるものの、深呼吸をして洗い流した。


「未習得のゲームで好感度が上がるセリフを選べるわけない」


「よし聞け。氷見妃美ちゃんはエーントララレスリーノという架空世界にあるニーニノーホという国にあるマズアスリウリョウ学園に通う名家のお嬢様で、厳しく育てられてしまったせいで両親の愛情を受けていないと思い込み、恋とか愛に否定的でだな」


 聞いてもいないのに、キャラの生い立ちやイベントの流れや好感度の上がりやすさが熱く語られ始めた。

 どうやら絡みからウザ絡みに進化したようだ。


 磐倉いわくらは心底うんざりしたように手で額を押さえる。

 耳に吐息がかかる位置で聞きたくもない情報がつらつらと並べられてキレそうになるが、任務中に喧嘩してはならないと理性が働く。


 そこでポケットからL版サイズの手帳を取り出してページを開き、挟まっていた一枚の写真を見つめた。 

 これは息吹戸いぶきどが二十歳になった記念に玉谷たまやが撮った写真である。


 一軒家の庭先、ラフな姿でピースをしている磐倉いわくらと、スーツ姿で直立している息吹戸が並んで映っている。

 息吹戸いぶきどが明らかに嫌がっている顔をしているため、お世辞にも仲良しには見えない。


 写真をジッと見つめる磐倉いわくらの表情が、だんだん穏やかになっていく。

 この写真は磐倉の精神安定剤であった。


 気持ちが落ち着いたので、手帳を閉じて胸ポケットに収めると、ちょうど金合歓きんごうかんの話が終わったようである。


「ってことで、どっち選んだらいいと思う?」


 磐倉いわくらはチラッと画面をみた。

 全く聞いていなかったが、ウザ絡みレベルを上げないため選択肢を適当に選ぶことにする。

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