第324話 想定外だ!

 耳に心地よい音に絆されることなく、燐木りんきは両腕を腰に当てて不満の色をだした。


「遅い起床でなによりだよ。何週間寝てたと思ってるんだい?」


「仕方ないよばーちゃん。俺の体にぼくちゃんの呪いかかってるんだから。今だってちょっと動くだけでも命削ってるんだから。寝るくらい大目に見てよ」


 阿子木あこぎが力なく笑うと、燐木りんきは鼻で笑い、怒りを露わにした。


「この色ボケ男が! 息吹戸いぶきどに執着するならまだしも、魂を消滅させる禁忌を犯したとか馬鹿者め。説教したくて私はうずうずしてたんだ! 即死でもおかしくないぞ、命を粗末にすんな! ちゃんと清栄様に阿子木あこぎはあんたで途絶えるってことを説明すんだよ! まぁもう分かってらっしゃったけどね!」


 阿子木あこぎは眠たそうに目を細めて、へらっと笑った。


「流石、清栄様」


「報告すんだよ!」


「はいはい。分かってますよぉー」


「軽すぎだクソ孫が!」


「まぁいいじゃん。まだ生きてるんだから。起きてすぐのお説教は勘弁してよぅ」


 阿子木あこぎは両手で耳を塞いでぷくっと頬を膨らませた。

 まるで子供にようだと呆れた燐木りんきがため息をつく。


 禁忌を扱うことは今に始まったことではない。ただ今回扱った禁術は全ての世界の禁忌だったため回避が出来なかっただけである。


「たった一か月程度寝込むだけで済んで良かったわい。悪運が強いのはお前の長所だなぁ。それで、寿命はどこまでありそうか?」


「うーん。八十年は残ってるよ」


「ならばよし。次にやることは分かっておるよな?」


 燐木りんきが眼力を強めて確認すると、阿子木あこぎはだるそうにソファーに沈んだ。


「適当な女を攫ってきて新たな神に捧げて孕ませて逃がす、だよね。それか奪って育ててから頃合いを見計らってアメミットに保護させる? ってその場合は俺が育てるの?」


 めんどうだよー。と間延びした声を上げて、だるそうに片手で顔を隠す。


「どっちでもええわい。私としては女を逃がして勝手に育ててもらった方が楽だとおもうぞ」


 燐木りんきは冷蔵庫からオレンジジュースのペットボトルを持ち上げて、封を開け、これまたラッパ飲みをした。

 一気に飲み干してから、げぇっぷ、と息を吐く。


「しかしまー、それだけの代償を払っても息吹戸いぶきどを仕留められなかったのは惜しいもんだ。あちらも悪運が凄まじい。お前といい勝負だよホントに」


 阿子木あこぎが「ん?」と声を出し、怪訝そうに眉をひそめると、腕立て伏せをするように身を起こした。


「何ってんのばーちゃん。瑠璃ちゃんの霊魂は消滅したよ。残っているのは肉体だけ。今頃病院の集中治療室に寝かされてるんじゃない?」


 燐木りんきは首を左右に振って否定した。


「いいや。息吹戸いぶきどは現場で大暴れしているよ。何故か神鏡を使えるようになっているから脅威が増したわい」


 阿子木あこぎが驚愕な表情を浮かべて強く否定する。


「そんな馬鹿な! 確かに俺は瑠璃ちゃんを消滅させたのに……」


 自身の発言きハッとして、ソファーから立ち上がった。


「そうか、霊魂が消滅した隙に、誰かが勝手に体の中に入り込んだ。そうに違いない!」


 燐木りんきがジト目を向けて肩をすくめた。


「たまたま入り込んだ魂が空気を読んで息吹戸のように振る舞いあまつさえ神鏡能力で参戦しておる。そんなうまい話があるもんかねぇ? 魂に傷を負った副作用というのが自然じゃなか?」


「絶対そうだって! でないと瑠璃ちゃんの肉体が動けるはずがない! そもそも彼女に神鏡能力はないから! それこそが偽物の力だよ。どうせ生に未練たらたらの死霊が入り込んだんだ。ムカつくっ!」


 阿子木あこぎは牙をむいて怒鳴った後に、地団太を踏んだ。


「くっそー! 人工霊魂を突っ込んで恋人にする計画だったのに横取りされてしまうなんて想定外だ! 変態な霊魂が入ってたらどうしよう。ビッチとかになってたらどうしよう! 初体験は僕のものだと楽しみにしていたのに畜生! あの時、無理してでも持って帰るべきだった!」


 相打ちになりそうだったが、一瞬だけ力が上回ったことで息吹戸いぶきどの霊魂を殺すことができた。


 昏睡状態の肉体を持ち帰れば御の字だったが、自らの霊魂を半分以上削るほど力を出しきってしまい、そんな余力が残っていなかったうえ間が悪いことに、祠堂しどうの気配がビルの中に漂ってきた。

 異空間迷路になっているとはいえ、鼻が利く彼が追ってくるのは目に見えている。


 衰弱した状態で出くわせば確実に負けると懸念し、息吹戸いぶきど回収を後回しにして早々にその場から脱出した。


 結果だけで言えば、阿子木あこぎの判断は正しかった。

 

 ビルから出た直後――時間にすれば五分も満たない――に、菩総日神ぼそうにちしんの呪いが発動して意識を消失。

 近くで待機していた中間がすぐに彼を保護したため最悪の事態は免れた。


 とはいえ、手に入ったはずの獲物が予想に反して勝手に動いていると知り、阿子木あこぎは怒り心頭であった。


「あああ想定外にもほどがある! 持って帰れなかったのは祠堂しどうのせいだ! あいつマジウザイ! なんであそこに居たわけ!? 筋金入りの瑠璃ちゃんストーカーだなぁ!? ほんとにイミフなんだけどもー!」


「まぁ……お前の判断は正しいと思うぞい。祠堂しどうの追跡能力は厄介だからのぉ……」


 燐木りんきがしみじみと同意した。

 鉢合わせの確率はとても高い上、瀕死になっても攻撃を止めないしつこさは頭痛の種であった。


「あああもう悔しい! せっかく色々用意した服を着せようと楽しみにしてたのに、まだお預けとか最悪!」

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