寝るべきニルエ その2

 発見現場である河川敷にいってみると、そこには多くの警官がいて、思わず隠れてしまいそうになったが、ニルエが俺の手をぎゅっと掴んでいて、逃げられなかった。


「おねえっ」


 ニルエが声をかけると、振り向いた女性がいた。町で見かける警官の制服ではなく、スーツだ……捜査一課とか、そういう部署か? ドラマでしか見ない雰囲気だ。


「ん、ニルエか……そっちの――ああ、品川梓か。やっぱりニルエに助けを求めたのね」


 俺の顔も名前もばれている……当然か。俺は容疑者なのだから。

 だが、俺の動向も予測できていた、とも言えるセリフだった。

 しかし、ニルエに助けを求めた……なんて、簡単に予測できるか?


「お前を見失った場所から考えれば、探偵事務所に駆け込むことが予測できる。で、お前の依頼を無下にするニルエじゃないからな」

「……場所が分かったのに、乗り込んではこないんだな」

「どうせ現場に戻ってくるだろ。今みたいにな」


 無駄な労力は使わない、ということか。


「お姉、死体のこと、見てもいい?」

「構わない。どうせ勝手に見るだろ。それに、断ったらお前は父親に告げ口するだろうからな……世界一の名探偵を敵に回したくはない」


「名探偵?」


 俺が呟くと、ニルエがスマホを取り出した。


「わたしのお父さんは世界各地を飛び回る名探偵なのよ。山吹ニライ――、事件に遭遇したら最速で謎を解く探偵。わたしが探偵業を始めたのも、パパに憧れているから――」

「まあ、実力は遠く及ばないがな」


 自覚があるのか、ニルエは抗議を一切しなかった。


「……詳細を聞いて一瞬で答えを出せる芸当、わたしには無理だもん」


 スマホの画面に映る男性は、ニルエと同じく金髪、碧眼――幼きニルエが隣にいるからなのか、際立ってその名探偵が大きく見える。二メートルは、越えているか?


 それに、俺はその名探偵に、見覚えがあった……。


「そりゃそうでしょ。だってパパは有名人だし」

「いや、そういうことじゃなくてだな――」

「で、あんたたちは雑談をしにきたの? 死体を見にきたんでしょ?」


 そうだったっ、とニルエが死体に近づいていく。

 俺も観察しようとしたが、ニルエがお姉と呼ぶ警官に止められた。


「……なんだよ」

「子供に見せるものじゃないな」

「ニルエは見てるだろ」


「あいつは探偵だ。あたしにとっちゃあガキだが、年齢上は成人している。あれでもアダルト動画を見れるし煙草も吸えて酒も飲める。ただしあんたはダメだ。……煙草、吸ってないようで安心したよ」


 嗅覚が鋭いのか、そう言い当ててきた。……煙草は吸わない主義だ。別に年齢が引っ掛かるから、ではないが……単純に体に有害だと思っているからだ。


「……ニルエは、探偵として優秀なのか?」

「及第点以下ならあんたは依頼を取り下げるのか?」

「いや……」

「なら、必要ない質問だな」


 その通りだった。

 しばらくしてから、ニルエが捜査を終え、戻ってくる。彼女は戻ってきてもぶつぶつとなにかを呟いており、俺のことも見ずに走り去ってしまった。


「おい――ニルエッ!」


 俺の声は届かず、あっという間に河川敷から姿を消してしまうニルエ……、

 事務所へ戻ったのか?


 死体を見て、なにかに気づいたのか、それとも、掴みかけたのか――。


「先輩」


 と、別の警官が近づいてくる。

 用があるのは俺ではなく、隣に立つ『お姉』だろう。


「結果、出ました」

「そうか……で、どうだった?」


「はい、間違いありません。死体の首にべっとりと指紋がついていました。死体は溺死ではなく、絞殺になります。指紋はやはり――彼、


 しばらく、時が止まった……そう感じるほど長い一瞬だった。


「…………は?」

「だ、そうだ。――連れていけ」


『はっ』と、周囲の警官が声を揃え、俺を拘束する。


 ――ふざけんなっ、俺は、殺してなんかッッ。


「気持ちじゃ無罪は勝ち取れない。べっとりと付着した指紋が、お前を犯人だと決定させたんだ。悪く思うなよ……あたしは中立だ。あんたが無罪である証拠があれば、あんたを疑わない……いくらでも頭を下げよう」


 屈強な警官に組み伏せられ、俺は背中で両腕を手錠で繋がれる。


「て、めえ……ッ!」


 俺が睨むのは、『お姉』と呼ばれた警官だけだ。


「ニルエを、買収したのか……っ」

「するかよバカか。買収なんかであいつが買えると思うな、ガキ」


 乱暴に扱われ、パトカーの中に詰め込まれる。

 俺の隣に、どかっと座った女が言った。


「依頼したならニルエを信じろ。あいつは途中で投げ出すやつじゃない」

「……今更、なにができるってんだ――」


 完璧な証拠がある。それを覆すのは、不可能だろう。


「あいつはなにがなんでも探し出すはずだ。お前を救い出すための証拠をな。まあ、がんばり過ぎて、よく不眠不休で倒れているのが玉に瑕だが」



 ……三日、である。

 ニルエと別れてから、だ。

 あいつ、サボってエクササイズしてるんじゃないだろうな?


 俺はいま、真っ白でなにもない部屋にいる。判決が出たわけではないので、刑務所ではないのだろうけど……、『お姉』が言うには、まだ時間があるらしい。その間にニルエが俺の無罪を証明する証拠を持ってこなければ、めでたく俺は少年院いきだ。


 まさかここまで不良になるとは思わなかったな……ガワだけを利用したかったんだが――まあ、仕方ないリスクか。


 さて、することもないし、何度目か分からない昼寝を――、

 そこで、扉が開いた。入ってきたのは二メートルを越える長身の男……線は細い。

 金髪、碧眼……この人、世界一の、名探偵……?


「山吹ニライだ。久しぶりだね、少年……今は青年になったのだな」

「……どこかで会ったことが、あるのか……?」


「そういう思い出話は後で、だな。今はとにかく、ここを出るんだ。私が手引きをする――だから一刻も早く、ニルエの元へ向かってくれ」

「は? なんで俺が――」


 礼服を着こなした異国の紳士風の男に手を引かれ、俺は警察署内から出た……え、出れた? こんなにもあっさりと、まるで誰も俺に気づいていないかのように。


「さあ、早く、ニルエの元へ」

「……あんたは、こないのか。娘なんだろ……」

「事情があるんだ。だから、君だけでいくんだ」


 名探偵は俺の背中を軽く押した。それだけで、俺の足が、自然と前に進む。


「娘を頼んだぞ、青年」


 ぼそっと聞こえた彼の声に返事はしなかった。


「あの子は、がんばり過ぎてしまうから」



 外に出た俺を追いかけてくる警官はいなかった。だから堂々と町中を走り、山吹探偵事務所へ辿り着く。……扉は開いていた。部屋に入れば、案の定である。


 散乱している大量の書類。洗濯もせずに溜まった衣類。食べ終えてそのままのインスタントラーメンなど……、窓も閉めて換気もしていないようで、空気が淀んでいる。


 そして薄暗い部屋の奥。

 パソコンの画面に照らされている、デスクに突っ伏しているニルエが見えた。


「おい、ニルエっ」


 肩を揺らすが起きる気配はなかった。……眠っているだけだったから安心したが。いや、頬がこけ、目の下には深い隈。三日間、風呂も入っていないのだろう、髪はベタベタで手にはインクの黒い痕が残ってしまっている――。


 俺が連行されたあの時から、こいつはずっと、調査をしてくれていて……。


「これ、死んだやつの……」


 ニルエが調べてくれていた、死体の情報。生前の行動、人間関係、住所や氏名などの個人情報から、どうでもいいような行動パターンまで全て網羅している。足下に落ちている書類を拾って見ながら、俺は見覚えがあることに気づく。


「こいつ……見たことがあるぞ……?」


 死体として、ではなく、生前に――。


 俺はこいつに襲われたことがある。その時に、正当防衛として確かに相手の首を絞めた事実はあるが、でも――それは俺が中学三年の時だ。つまり、である。


「……どういうことだ……? 二年前につけた俺の指紋がまだ残っていて……。それとも二年前、俺に首を絞められ、川に落ち、昨日の河川敷に流れついたとでも……?」


 あり得なくもないが……いやあり得ねえ。二年もあれば川の中で死体がどうなっていてもおかしくはない。それに書類の中では、この男が昨日に、よく利用するコンビニに訪れていたこともきちんと書いてある。昨日までは生きていたのだ――じゃあなぜ?


 俺の指紋が死体にべっとりと付いている?


「あの男を殺したのは間違いなく君だよ。ただし、二年前の君が、数日前、殺したんだ」

「ッ!?」


 背後に立っていたのはニルエの父親――名探偵だった。


「山吹、ニライ……」


「シチュエーション自殺はニルエから聞いているだろう? 異世界転生後の特典のために過酷な死に方をする学生の自殺者が増えているって……学生に限らずだがな。漫画やアニメに影響されて――と言えば原因をエンタメに押し付けられるが、そもそもそういう行動へ『逃げ』たいと思わせる社会にも問題はあるだろう。ネットは怖いね……いや、こっちの世界は武力行使ではない水面下の攻撃が盛んで、魔法よりも脅威だ」


「あんた……」

「噂を広めたのは私だ。そして私には説得力がある。私は異世界人だからね」


 と、言った。


「異世界人が分かりやすい魔法を見せれば、人は信じるものだろう。証拠がなければ警察が動かないように、証拠さえあれば人を操作することはできる」


「……待て、理解が追いつかねえ……っ」


「私が世界一の名探偵と呼ばれているのも、自作自演なだけだ。正確には少し違うが――私は謎を解いたわけじゃない。私が出した答えに謎が歪んで形となっただけだ」


 他人が見れば事件を最速で解決しているように見えるわけか……違う、そういうことに納得したいんじゃない!


「――異世界人ってなんだよ!?」

「そこはいいだろう。人間がいるんだ、宇宙人や異世界人がいてもいいではないか」


「じゃあニルエは――あいつも異世界人なのか!?」

「彼女は私と日本人の子だよ。どっちとも言える――今はこの世界の子だ」


 頭がぐちゃぐちゃだ。信じられるわけがないが、俺を連れ出したことを考えれば――それに、二年前、確かに俺は夜、非合法なアルバイトでこの名探偵によく似た男を見ている。服装と髪型が違うので間違いない、とは言えないが……その金髪と碧眼は、同じだ。


「なにが目的だ……俺を、殺人犯に仕立てあげてッ!!」

「二年前の君に接触し、昨日にタイムスリップし、死体を作ったことか? そんなの、君をニルエに接触させるためだ」


「なんでニルエに接触させるのか聞いてんだよッ!」

「この惨状を見て、なんとも思わないか?」


 散乱した書類、三日間、まともに寝ていないし、食事も満足に取っていないだろう……、いくら俺のために調査してくれていたとは言え、ニルエ自身が倒れてしまえば意味がない。


 彼女はがんばり過ぎなのだ。


「セーフティ。もしくは制御をする人物が必要だった。私を追うことばかりに目がいき、自身を蔑ろにするその癖は、自身ではどうにもできないものだからな」


「……なら、あんたが見ていればいいだろ……娘よりも仕事か……ッ?」


「私の体内には多量の魔力が流れている。それを『事件』として放出しなければ、傍にいる大切な人間に悪影響を与えてしまうのだ。……ニルエの母親が実例だ。娘まで失うわけにはいかない。だから私は、傍にはいられない」


 異世界人の証拠である魔力が、世界各地で事件を起こし……だからこそ彼が自分の足で、その事件を解決している、と――必要悪のマッチポンプじゃねえか。


「で、俺に白羽の矢が立ったのか……なんで、俺なんだよ……」

「君は理解者を欲していただろう。そして、自身を強く見せることで他者を守る献身的な正義感がある。ニルエの傍に置く騎士としては、これ以上ないくらいの人材だ」


「…………」

「格闘技の経験もあるだろう。それに調査には向かないが、並べられた情報から答えを導き出すことに長けているようにも見えた。だからニルエと組めば、娘はもっと羽を伸ばせるんじゃないかと思ってな――」


「期待されても困る」

「責任感は人一倍強いだろう? 君は文句を言いながらも渦中に放り込んでしまえばなんとか事態を収めようとするはずだ。だから巻き込ませてもらったよ、梓」


 男が笑みを作った。


「あんた、俺を脅すつもりか……?」

「ほら、もうそこまで考えが及んでいる。頭が良いってのは、勉強ができるからってだけじゃないんだよ――君みたいに、今ある情報から相手がどう動くか予測できることも、頭の良し悪しに関わってくる。そういう意味だと、ニルエは君以下だ」


「……どうせ、ここで断れば、あんたは俺を殺人犯にするんだろ? 最初から俺は、あんたに従うしかないってわけか――」


「言いながら、君はもうニルエを放っておけないだろう? 自分のためにここまでがんばってくれた可愛い女の子を見捨てられるか? 今後もお仕事がんばってね、と言ってお金だけを払って関係を終わりにできるか? できないね、君はそういう男の子だ――それに、ニルエは高いぞ。君に払える額ではないはずだよ」


「そんなもんは、どうとでも――」

「できない。君の借金は増えるばかりだ」


「てめえっ、また俺を、はめようと……ッッ!」

「回避の方法は一つだ。『ニルエを守れ』……それが私からのお願いであり、契約だ」

「…………」


 最初から、俺に選択肢はない――ここで従わなければ、俺は殺人犯として少年院いきだ。そうなればニルエに礼金を払うこともできないし、彼女のこんな生活を正すこともできやしない――父親に追いつきたいって夢も、手伝うことができない……。


『殺していない』という俺の言葉を信じてくれたのは、ニルエだけなのだ。


「俺が、ニルエに惚れたらどうする……あんた、嫌がるだろ、こういうの」

「順序を踏めば文句はない。無理やり襲えばどうなるか、想像できないわけでもないだろう?」


 と、実の父親からその言葉を引き出せたことに、安心した。

 襲えば容赦なく、俺であろうと始末する、そんな覚悟が見えた。


「――分かった。ニルエの面倒、見ておく」

「契約成立だ。では君にかけられた冤罪……、でもないのだがな。まあ過去の君は正当防衛だったわけだし、私で処理をしておくよ、警察は気にしなくていい」


「あんたは、これからどうする?」

「世界に飛ぶよ。私の魔力の悪影響でニルエを衰弱させるわけにはいかない」


 言って、山吹ニライは部屋から出ていった。

 残されたのは俺と、ニルエだけ――。



「起きろ、バカ」


 ぴん、とでこぴんをすると、ニルエが目を覚ました。


「……いま、痛かった」

「部屋、片づけるぞ。あと飯も……ちゃんと食え。死ぬぞお前」

「うん……。ねえ、なんで君が主導権を握ってるの!?」


 俺は言ってやった。


「今日から俺が、お前の助手ワトソンだ」

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