遅れまして事故物件

 駅まで徒歩五分の場所にあるワンルームのアパート……、

 そこへ、一週間前に引っ越してきた大学生がいる。


「……告知義務があると聞いていますけどっっ!?」


 玄関に上がって早速、何段階もすっ飛ばしたであろう言葉を聞いて、彼に部屋を紹介した不動産屋の男が首を傾げた。

 朝一に電話で呼び出され、内見以来に訪れるその部屋は、現在住居している彼らしさを魅せる部屋になっていた。

 家具家電が置かれ、まさに若者の部屋、である。

 不動産の男は十五年前を思い出していた……――当時はテレビがもっと分厚かったけれど。


「なにか問題でもありましたか?」

「ありますよ……ここ、事故物件ですよね?」

「いえ」


 男は否定する。事故物件ではない。

 この部屋で自殺、他殺、事故など起きてはいないのだ。仮にそういう事例があったとしたら、間違いなく部屋を貸す時に伝えているはずだ。

 三年が経てば告知義務がなくなる、という話もあるにはあるが、この物件は新築である。一年どころかまだ半年も経っていないだろう。

 もっと言えば以前の住居者でさえいないのだ、事故物件だ、なんて言われるのはあり得ない。


「じゃあどうして毎夜毎夜、金縛りで動けなくなったり、ラップ現象が起きたり、置いておいた皿が割れたりするんですかっ! きちんと締めたはずの蛇口も緩みますし、二階には誰もいないはずなのに足音が聞こえてきたりして……幽霊がいるとしか思えませんけど!?」


「事故物件でないことは間違いないですが……」

「近くに墓地だってないですよね!?」


 墓地から幽霊が流れてきた、という可能性もない。

 住居者からすれば元々この部屋に幽霊がいた、としか解釈ができないわけだ。


 不動産の男もなんとなく察してはいたのだ。新築、駅近、なのに家賃が四万円を切っている。

 事故物件ではないから首を傾げていたが、全体的に機能に比べて価格が安くなっている時代だ。今でこそ高機能で、小さく安い家電が増えてきている……、なので賃貸も似たようなもので、立地も良くて、狭くて安価、な部屋があってもおかしくはないはず……。


 まあ、なにかしらのデメリットがあるとは思っていたが、不動産の男はあくまでも仲介であり、この物件に細かく詳しいわけではないのだ。

 持ち主に聞いてみる手間を惜しんだのは、貸す側の落ち度でもあるが――、


 しかし、あまりにも安い家賃に「どうしてこの値段なのか?」とは、彼も聞いてこなかった。

 間取りと立地、値段だけを聞いて判を押したような軽率な若者である。これで一方的に文句を言われるのは、こっちだって少なからず文句を言いたくなるものだ。


「家賃三万八千円、管理費・共益費なしで、事故物件でないと思うことがミスということも」

「いまっ、事故物件だと認めましたね!?」

「事故物件ではないですよ。いくら探してもそんな記録はありませんし」


 そこは自信を持って言える。どうぞ警察に駆け込んでみてもいいですよ、と視線で言ってみる。どれだけ探されたところでこの部屋で自殺、他殺――どちらにせよ死体が置いてあった、という事実はないのだから。


 告知義務はない。

 そもそも告知するべき記録がないのだから、出せる情報がないのだ。


「でも! 完全に心霊現象が起きているんですよ! まさかあれが人為的なイタズラだとでも言うんですか!?」


「……まあ、この物件自体、昔からある地面に建てたものですし……」

「……なんですか、不穏な空気が漂っていますけど……」

「それは心霊現象に敏感になっているあなただけが感じているものです」


 もしかして一発目の異変を心霊現象と思い込んで、それ以降の違和感を全て心霊現象で片づけてしまっているのでは……? 調べてみれば偶然が重なって彼を惑わせているだけかもしれない……。上階の足音は気になるけれど。


「私たちが立つこの場所は、以前は別の家が建っていた場所でしたし、もっと遡れば、道だったわけです。もしかしたら墓地だったのかも……。別に、この場所に限らず、日本中、時代を問わなければ、あらゆる場所で自殺と他殺は起きているわけで……、その地縛霊たちが今になって暴れていてもおかしくはないでしょう?」


 直近三年間に死体がなかったとしても、遡れば百年前に、この場所に死体があったかもしれないのだ。否定はできないだろう。

 遅ればせながら眠り続けていた幽霊が、彼が住居して目覚めたのかもしれない――となると不動産側に告知義務はない。告知どころか認知さえしていないのだから教えるのは不可能である。


 ただそうなってくると、なぜ安価で部屋を貸し出しているのか――、

 持ち主の観察眼がより怖く思えてくるが……。


 幽霊がいると知っていた? 

 知らなかったとしても、夢を追う若者のための部屋、みたいな、『安価』という極端な善意は中身が分からないと幽霊と同等に怖いものだ。


「と、とにかく! もうここには住めませんよ! 解約します! 違約金なんていくらでも払いますから、これ以上ここに住んで呪い殺されたくありません!!」


 幽霊事情の事実がどうあれ、実際に心霊現象が起きているのであれば、受け入れるのは難しいだろう。住んで一週間で解約されることはそう珍しいことではない。

 今回も、そのつもりで書類は既に持ってきているのだ。


「では、こちらに――」

 カバンを開けようとしたら、ぴた、と不動産の男の手が止まる。


「あの」と声をかけた若者の足も止まった。


「……すみません、まさか今これ、心霊現象が起きていますか?」

「はい……毎夜毎夜ガチガチに体が固まる金縛りですね……」


 起きていながら金縛りに遭う、ということは、これは睡眠障害ではなくガチで心霊現象のそれだろう。


「……ちなみに、数分で解けたりするものだったりしますか?」

「寝る時間はずっとなので……、十二時間はこのままだと思いますけど……」


「ふざけんな寝過ぎだよバカ野郎」


 こいつ、駅近に甘え過ぎだった。

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