寝るべきニルエ その1
「――止まりなさい! ここで逃げるのは、認めていることと同じだぞ!?」
「うるせえッッ! どうせ信じねえだろッ! だったら――従うだけ損じゃねえか!」
パトカーのサイレンを背に、俺は狭い路地を抜けていく。相手は訓練を重ねた警察官とは言え、年齢的な差もある。地理の把握はどっこいどっこいだろうが、不良連中との追いかけっこで鍛えられたアドバンテージがある分、俺に利があるだろう。
「……クソッ、俺は殺してねえぞ……ッ!!」
たまたま死体の傍にいただけだ……、クソ、思い出すと腹が立つ。どいつもこいつも、警官も教師も俺の説明なんて一切信じやがらねえ――あいつらが吐き出す言葉はいつだって『本当のことを言いなさい』だ。諭している時点で俺が犯人だって決めつけている……。
疑っているを越えて、既に犯人として処理しているのだ……このままあのパトカーに連れていかれたら俺は逃げられねえ。だったら――自力でなんとかするしかねえ。
「はぁ、はぁ……ッ」
自力とは言ったが、協力者は必要だ。俺にはなんの知識もない。河川敷に流れていた死体――、警察に管理されている『それ』を探るのは、俺には無理だ。そもそも逃げている最中の俺に、現場へ戻る選択肢はまずあり得ないのだから。
だから――頼るしかない。
専門家がいる看板が、目に入った。
築年数五十年にもなりそうな建物だった。赤いレンガの壁、生い茂った
ノックしたが返事がない。扉の先がエントランスであれば、聞こえない場合もあるか。
イメージ通りの鍵穴がついている塗装が剥げた扉を開ける。きぃ、と蝶番が悲鳴を上げていた……味がある、と言えば良い意味にも取れるが、単純にこれはリフォームした方がいいと勧めるくらいのボロさだ。ちょっとの地震で倒壊しそうでもある。
部屋に入ると、なんというか……自宅の玄関、って感じだった。一応、健康診断で使われるような布の仕切りがされてあるが……さすがに音までは遮断できていない。部屋の奥から、ぜえはあと、全力疾走していた俺よりも息を荒くしている声が聞こえてくる。
いるのかよ……こっちは急いでいるのにノックしたんだぞ。そんな文句をぐっと押さえ、俺は部屋の奥へ――そこには、
かなり前に流行ったエクササイズビデオを見ながら、画面に映る黒人と同じポーズを取っている少女がいた……金髪の……外国人か? タンクトップとショートパンツを身に着け、露出していた白い肌に汗が乗っている。背後にいる俺には気づいていない様子だ。
体が固いのか、画面のポーズとはかけ離れた体勢だ。一本足で立つその体勢から、徐々にバランスを崩して横に倒れる。「いっ、たぁ……っ」と声を上げた少女が天井を見たついでに、やっと俺のことも認識し――、
「え?」
「……ここ、探偵事務所だよな?」
がたがたばたん!? と俊敏な動きで後退した少女が、背中をテレビ画面に当てる。台から落ちたテレビが暗転し、意気揚々と喋っていた黒人の声も聞こえなくなる……。
「ああっ!? まだ途中なのにーっ!!」
「仕事の依頼、したいんだが――」
いや待て、そもそもこの女が看板にあった山吹探偵事務所の探偵か? 年齢も俺より下に見えるし、制服によっては高校生にも中学生にも見える。外国人なら、発育が早いと言うし、まさか小学生ってわけじゃないよな……?
あり得るか。となるとこの子は留守番を任された探偵の子供か。
ちっ、急ぎの用事なのに探偵不在とか、ツイてねえ。
「まっ、待って! シャワーっ、浴びてくるから少しだけ待ってて!!」
「悪いが急ぎだ。あとお前じゃなくて、ここの――探偵に用事がある。お前じゃないよ」
「わたしが探偵ですけど!!」
と言った。
……は? お前が、探偵……?
山吹探偵事務所の、店主だと?
「……代理、でもねえか。学校にもいかねえで、探偵かよ――」
「学校とか、嫌なこと思い出させないで……浪人経験者なんだから。あと、いつも通りに勘違いしているみたいだけど、わたし、こんな見た目でも二十歳だから! 制服を着てるってことはわたしよりも年下でしょ! お姉さんっ、なんだからね!」
立ち上がった少女は俺よりも随分と小さい。俺も大きい方だが、それにしたって――こいつが小さいからだろう。
「まったく、見た目で人を判断しないでよねまったく――」
「仕事の依頼を」
「汗だくなの! シャワーを浴びてくるから待ってなさい!」
「――殺人の冤罪をかけられている。あんたに、助けを求める――それが依頼だ」
シャワー室へ入られる前にそれだけを伝える。
すると、彼女が部屋の扉に手をかけたところで、足を止めた。振り返り、汗だくのまま戻ってきて、ソファに腰をつける。
そして、トラウマを思い出すその碧眼を俺に向けてきて――言った。
「それ、詳しく聞かせて」
俺は学校をサボり、近くの河川敷を散歩していた。日向ぼっこをしている間に眠ってしまい、気付いたら近くに、川から流れてきたのだろう、男子生徒の死体があった――。
そこで偶然、パトロール中の警察に見つかった。死体と、傍にいる俺――、当然、警察は俺を容疑者として見た。建前上は第一発見者だが、あいつの目は確実に俺がこいつを殺したと思っているのだろう……学校をサボっている俺も悪い。
それに、学校に連絡をされて、俺という個人がどういう人間なのかを警察に提出されたのだ、巷を騒がす不良だと分かれば俺への疑いの目はさらに強くなった。
「ふうん、
「ああ……あんたには、俺の疑いを晴らしてもらいたいんだ……金は……どうにかする。金額は気にしない。とにかく、今はこの冤罪をなんとかしないと、俺は殺人者だ」
「本当に冤罪なの?」
と、探偵が言った。
山吹探偵事務所の探偵――
「冤罪って主張しているけど、品川くんが殺した可能性はあるんだよね」
「…………」
――彼女とは初対面だ、だから当然、こうして疑われることも、ないわけじゃない。依頼者が犯人だった、なんて、探偵なら一度は考えることだろう……依頼者だから事件の犯人ではないと除外するのは、探偵としては失格だろう……だから必要なことなのだ。
と分かってはいても、だ。
「…………お前もかよ」
お前も。
どいつもこいつも――俺の言うことなんか、信じてくれねえじゃねえか……ッッ。
「俺はっ、やってねえっっ!!」
「うんうん、分かった。だからそんな、涙目にならないでよ」
「なってねえよ!」
頭に乗せられた彼女の手を払う。子供扱いすんじゃねえ――っ。
「信用されないのは日頃の素行の悪さが原因でしょ。自業自得じゃない」
「……うるせえ、分かってんだ、そんなことは」
信用がないことは、痛いほど実感している。
「すぐに反省するんだね。あれ、意外と良い子なの?」
「……少なくとも良い子じゃねえだろ。まあ、本場の不良ほど悪くもねえよ」
喧嘩慣れこそしているが、強いわけじゃないんだ――格闘技なら習ってはいるが、あれを喧嘩に使うと相手を本当に傷つけてしまう……そこまでする度胸は俺にはない。
「不良というパッケージが必要だったの? ……まあ、今はいっか。じゃあ、今はとにかく冤罪を晴らしたいわけよね? だったらそうね――まずは死体になった子の情報を探ってみないと、詳しいことが分からないわね」
「……依頼は、じゃあ引き受けてくれるってことだよな?」
「うん。お金はもちろん取るからね? ひとまず品川くんのことは容疑者とは考えないことにする。事件を見ていく内に犯人候補として上がるかもしれないけど――それは別に君を信用していないってわけじゃないからね」
ぱちっ、とウィンクをしてくる。
「じゃあ、死体が発見された河川敷へいく――前に」
と、彼女――山吹ニルエが後ろで束ねていたポニーテールを解く。
鮮やかな金髪が彼女の腰あたりまで落ちた。
「ほんとにちょっとだけ、シャワー浴びていいよね?」
シャワーで汗を流し終えたニルエと共に俺たちは河川敷へ向かった。
ニルエはカジュアルスタイルである。
道中、ニルエはこんなことを話した。
「最近ネットで流行っているんだけど……都市伝説? でも実際に数件、被害が出ているみたいなのよね――『シチュエーション自殺』って。バカな話だと思うけど……ねえ品川くんはライトノベルを読む? 軽い小説――エンタメ重視の小説なんだけど」
「漫画しか読まねえな」
「あ、漫画も最近、取り入れているから分かるかも――異世界転生ってジャンル、知ってる?」
あー、現実世界でのおっさんが今の記憶を保持したまま異世界に赤ん坊として生まれて無双をするってやつか……あれって小説が始まりだったのか?
特別な力を得て、前世の記憶、知識を使い、人生の二周目を楽しむ物語……というイメージが強いが……ニルエが頷いているので合っているらしい。
「その転生方法がね、不慮の事故だったりするのよ――トラックに轢かれたり、後ろから刺されたり――まあようするに死ぬことで転生するんだけどね……。ある時期からネットでこう言われるようになったの。過酷な死に方をすればするほど、生まれ変わった時の特典が豪華になる、って。バカな話よね。つまり凄惨な死に方をすれば、来世で無双できると思って自殺する学生が最近、多いのよ――」
自殺。元々、学生の自殺は少ないわけではない。簡単に死を選ぶことができる思い切りがあるし、そういう行動に出やすい環境に置かれているとも言える……実際、同じクラスのやつがそういう選択をしたこともある。あんなバカなことを――まさか、たかが来世の特典を目当てでするやつが本当にいるのかよ。
「なんでそんな噂に信憑性があるのか分からないけど……信じている学生が多いの。だから最近は、学生の自殺が突出して多い……つまり」
ニルエは推測した。
「品川くんが殺した、と思われているその死体の子、自殺だったりして?」
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