匿名希望。

 近くの山には墓標のように並ぶ、たくさんの立て看板が地面に突き刺さっている。

 それは山のふもとから頂上まで続いていて……、

 森が生い茂った時期は分かりにくいが、季節によっては葉が落ち、山が痩せ細って見える時期もある――その時期の山は遠くからでも人の出入りがよく分かる。


 立て看板は定期的に取り換えられている……、なぜならいつまでも放置しておけば邪魔になるからだ。野生動物もいるので、壊されているか、持っていかれているかで数は減っているが、やはり定期的に管理をしておかないと歩く幅もなくなってしまうだろう。


 雀の涙かもしれないが、せめて自分が立てた看板くらいは自分で交換するべき……なんて思っているのは僕くらいなものだろう。交換、という名目で、さりげなく他人の立て看板を見ることができるのだから、得をしている、とも言える。


 他人、とは言っても特定ができるわけじゃない。名前なんて書くわけないし、書いてあったとしても偽名が大半だ。直接の連絡手段として使っている人もいるみたいだけど、天気や野生動物によってなくなる可能性がある以上は、好んで使う人は少ないはず……、

 だから手紙で伝えるほどではないけれど、でも立ち寄った時に近況として見てくれていれば好都合、な考えの人は利用しているのだろう。


 赤の他人に見られてもいいような内容を……。中には、意外と残しておいた伝言(日記のような内容もある)に共感してくれる人もいて、看板の空いたところに返事をしてくれる人もいる。

 もちろん、顔も知らない赤の他人だが。

 そういう、直接は会わない交流も楽しかったりするのだ。



 新しい立て看板をいくつか持った僕は、山を登りながら、立て看板に書かれた『情報』を見ていく。個人の近況もあるが、村で店を出している商人が書いた宣伝もある。

 この看板の『合言葉』を伝えれば、全商品が値引きされる――、自分の村で宣伝すると新規は取り込めない。だから他の村へ向けた宣伝であることが分かる。


 だからこそ、僕の村ではない商店の宣伝が、僕の村から山へ入れる入口の近くに置いてあるのだろう。別に村に入って大声で宣伝すればいい、とも考えたけど、こういう『秘密』的な書かれ方をすると、興味が湧いてしまうのも事実だった。


 先着何名様まで、なんて書いていないし、いってみようかな……あ、ダメだ。期限が昨日までだった。裏にも別の宣伝が書かれていたけど、それも期限切れだった。よし、この看板は回収だ。代わりに持ってきた新しい看板を立てておこう。


 僕がする必要はないんだけど、どうせ頻繁にこの山に出入りしているのだ、これくらいの手伝いはするべきだ。

 この場所がなくなったら僕が困る……、

 ここで情報を集めるのが日課にもなっているのだから。



 中には個人情報が漏れている看板もあった。遊郭の遊女の一人(しかも名指し)が同じ値段で客によって態度を変えている、だの、ある村の飲食店では不衛生な食材を利用しているなど書かれている。嘘か真かは、この文面だけでは分からない。

 客が嫌がらせをしたいがためにここに書いているだけの可能性も充分にある。これが本当なら、まず店に突入して言うべきだ、それくらいの内容ではあるし……。

 だけど真実であると広まってはいなかった。

 ということはあくまでも噂止まり、ってことになるのかな。


 ただ、後ろめたいのか、木と木の間に挟むように置かれた看板は、少数の人にだけ見つかるように仕組んでいるようだった。情報漁りが好きな、僕みたいに、狭い集団でのみ情報共有をする人に向けて投げかけているのかもしれない。

 この話題で、身内で楽しんでくださいね、みたいな? あまり堂々と看板を置いてしまうと多くの人の目に触れることになってしまう。

 そうなると厄介なことになるし――店側ではなく、書いた側が。


 いくら誰が書いたのか分からないようになっているとは言え。



「おい、見ろよこれ」


 と、先客がいた。名前を書かずに看板に伝言を書くという仕様上、人目を忍んでやってくるのが当たり前の中で、一つの看板に集まる男たちがいた。十人、近いかな? 看板同士の間隔が狭いので、周囲の看板は人に押され、根本から折れて倒れてしまっている。


「書かれている名前……容姿も書いてあるな……俺の娘だ」


 伝言に、他人の名前が書かれてあることは珍しいことじゃない。誰かと饅頭まんじゅう屋にいった、など、日記の形を取った看板だってあるのだから、おかしなことではない。

 だから彼らが問題視しているのはその内容である。


 内容には気を遣うべきだ。それは当たり前のこと……、面と向かって悪口を言わないから陰口を言う……その陰口さえばれてしまっては意味がない。

 悪意を抱くな、とは言わないけれど、せめて見つからないように隠すべきだ。嫌いな相手を好きになれ、とまでは言わないし、言えない……、相手が従う決まりだってない。

 だけど、他人を傷つけてしまうと分かる文言は、始めから避けるべきなのだ。


 この看板を利用する上で、守るべき最低限の決まり……良心だ。


 だけど中にはそれを守らずに、広く開示してしまう馬鹿もいる。

 飲食店への狙った苦言(だけど攻撃的になってしまう言葉)を残した人は、気を遣って見えづらい場所に看板を立ててくれている……、本当は立てるべきではないんだけど(個人同士のやり取りが最善のはず)、少数の人には共感してほしかった、という気持ちも、分からないでもない……。だからこそ見えにくい場所へ立てた……よく分かる。


 でもこれは違う。


 他者を批判し、陥れようとする看板は、堂々と人の目につきやすい場所に立てられてあった。

 これは文言にあった女性を狙った、攻撃である。



「あの……」

「なんだよ、見世物じゃねえぞ」


「いえ、その看板の文字とこの看板の文字が、似ているなと思って――」


 僕は看板を多く見てきている。だからどの看板にどういった癖の文字が書かれてあるのかがよく分かる。特定の女性を批判した文字と、登山中に見つけた日記の看板の文字が似ていたので気になり、回収してきたのだ……、そして比べてみると……やっぱり。


「同一人物ですね」


「……日記から分かるのは……なるほど、南の村の、二番地の悪童か。そう言えば複数の女を軽く齧っては捨てて、を繰り返している糞野郎だと噂されてるな」


「噂じゃないですね。事実です。複数の看板から被害者の女性……かもしれない人の、憂さ晴らしの文面がありました。並べてみれば、もっと細かく事情が分かると思いますよ」


 あ、でも、その看板はさすがにもう回収されているかな?


「よく分かるな……お前、全ての看板の内容を覚えているのか?」


「収集癖がありまして。もちろん悪用はしませんよ。意識して記憶しているだけで、書き記しているわけでもないですし……、いいんですよね? こうしてここに書いて置いている時点で、人の目に触れて記憶されることは想定済みだと思っていますけど……」


「まあ、な……覚えているやつがいるとは誰も思っていないだろ。それに、誰がどれを書いたかなんて、普通のやつじゃ特定できるわけがない。

 お前だけだ――誰が書いたのかを特定するのはな」


「癖を消そうとする癖も分かりますから……、あ、でも完璧じゃないですからね?」


 当然、間違っていることだってあるから……復讐もほどほどに、お願いします。



 その後、南の村で放火事件があったらしい。

 二番地の悪童の家が、豪快に燃えていた。山の中からでもよく分かる火柱である。


 たった一言、看板に書いただけで、あそこまで燃えるとはねえ……、口は災いの――おっと、口じゃなく、文字か。


 胸の内で留めておけば、僕みたいな物好きに見つからなかったのに……。



 数日後、ある看板が強く訴えていた。


 それは、筆跡など見なくとも、家が炎上した彼のものだと分かった。


『匿名希望!!』


 人の手で書いて出力する以上は、無理だろうね。

 今後、遠い未来――、筆跡が残らない出力方法があれば……もしかしたら。


「こんな揉め事もなくなるのかもね」

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