虫喰いドンキホーテ その2

「――なんなのよあの男は!」

「荒れてるねえ、お嬢ちゃん。お酒、飲んでいないよね?」

「出せるのなら出してください、飲み干してやりますよ」


 未成年はダメよ、と言われてしまえばわたしにできることはなかった。

 結局、あの子は吸血鬼・レンフィールドに連れていかれてしまった。今頃、二人は……。

 かぁっ、と顔が真っ赤になったことを自覚し、出されたジュースを一気に飲み干す。


「……なんで、助けてあげないのよ……っ」


 利害を求めることが間違っているとは思わないけど、それだけが全てではないはずだ。

 彼が動けば一人の少女の人生を救うことができたかもしれないのに――それを、あいつは、関係ないの一言で片づけて、見て見ぬ振りをした。

 あの後だって、瓜二つの顔をしているレンフィールドに文句でも言うのかと思ったら、


「それがお前のやり方なら支持するよ――否定するほど非道じゃないしな」


 とか言いやがった。


 小さな女の子を性的に見て餌にしている時点で非道でしょ!


「ちょっとはお姉ちゃん以外に目を向けてもいいでしょ……」


「誰のことか知らないけど」

 と、わたしが飲み干したグラスの中の氷を噛み砕いていると、

 気を遣ってくれた店長が、頼んでもいないおかわりを差し出してくれた。


 女性が多い酒場だからか、未成年用のジュースも豊富にある。

 今この店にいるのは、成人済みの女性ばかりだった。未成年は、外は暗いけどまだ寝る時間ってわけでもないし……ああ、なるほど、吸血鬼様の懐にいるわけね。


 それがこの国の内部事情ってわけか。


「あんたが毒づいているその男、誠実なんじゃないの?」

「どこがですか」


「だって、あんたの話を聞いていると、その男には愛する女がいるわけでしょう? たぶんその子のことを想って、他人に厳しくしているんじゃない? まあ、少し当たりが強いのかもしれないけど、徹底している分、愛された側からすれば安心するものよ」


「……お姉ちゃん以外を、寄せ付けないため?」

「浮気の可能性を排除するために嫌なやつになっているのかもしれないわね」


 寄せられる好意を潰している、とか?

 彼自身が自制しても、相手からの好意は止められないから――、

 だから有害を示して近づけさせないようにしているってことなの……?


 あいつ、そこまで考えて言ってるのかな?


「そういう意味だと、レンフィールド様は最初からハーレムを肯定しているわ。全女性を愛してみせる、と言っているからね。

 それを実際に実行している……若い子が好きみたいで優先順位はあるけどね」


「若い子というか、あれはもう幼女なのでは……?」

「レンフィールド様からすれば七十歳も七歳も変わらず女の子なのでしょうね――だってあの人は、二百年以上も生きている不老不死なんだから」


 吸血鬼はみなそうなのだ。

 不老不死……、どうやらオードリーも……、いつの間に。


「七十歳でも他と変わらずに愛してくれるの。たった一人を徹底して愛する、あなたが言う男も素敵だけど、どんな女性でも関係なく、全員を満遍なく愛するレンフィールド様も素敵よね――比べるものじゃないわ、あとは好みの問題でしょうしねえ」


 二人を見てしまうと、ちょうどいいやつはいないのか、と思ってしまう。


 でも、その間ってつまり、中途半端な男って、ことだし……。


「あなたはどっちがお好みなの?」

「え?」


「見た目じゃなく、人柄じゃなく、その流儀で言えば、どっち派なのかしら」

「わたし、は――」



 オードリーのやり方を認めたわけじゃない。

 やっぱりあれはあれで、直した方がいい欠点だと思ってるし。


 でも、まあ――お姉ちゃん以外に目を向けないように努力しているところは、うん、偉いなって、思うかも――。



 時刻は夜である。外を見ても日中と変わらず夜なんだけど……。

 ほんと、時間感覚が狂ってきて、気分が悪くなりそうだ……。


「今日はもう宿を取って、早めに寝よう」


 あいつの高級車はよく目立つ。探し出してあいつに宿代を払ってもらおう。

 お姉ちゃんを取り返すために追ってきたわたしだけど、吸血鬼の世界まで連れてきたのはあいつなのだから、最低限の責任は取ってもらわないと!


 そう意気込んだその時だった。


 上空から、影が落ちてきた。

 人の形をしたそれは、第六位の吸血鬼であるレンフィールドであり……、

 彼の片手には、血を吸われ、干からびた少女が握られている。


「――あんたっ、その子ッッ!!」


 ついさっきのように感じられる――、半日前、助けを求めてきた少女を、わたしたちは見捨ててしまった。愛されるだけで殺されるわけじゃない――そう思って見逃したがゆえに、彼女はこんな末路を辿った――、


 ……わたしの、せいだッッ。


「あんたはっ、女性全員を愛するって言ったんじゃないの!? 

 なのにどうしてその子を、こんな目に――」


 遭わせて、まで、言えなかった。

 彼の様子がおかしかったからだ。


 目は真っ赤に染まり、牙が長く、鋭くなっている……、彼の衣服はまるで子供が作ったパッチワークだったが、それを容易く破り、筋肉が膨れ上がった……、体のサイズも一回り大きくなっている。オードリーと瓜二つとは言ったが、もうこれは似ても似つかない。


「……なに、これ……」


「禁断症状」


 と、背後から声が聞こえた。

 立っていたのはお姉ちゃんを抱きかかえたオードリーである。


「俺もペトラから言われたんだ、気を付けろってな。

 まあ、あいつの血を多量に飲んだから一ヵ月は症状は出ないと言われたがな……」


「え、え……?」


「俺を吸血鬼にした女だ。

 俺はそいつの眷属ってことになる……あ、これ秘密だったんだっけ?」


 戸惑いから覚めた後、

 質問をする間もなく、理性を失ったレンフィールドがわたしたちに襲い掛かってくる。


 近づいてくる拳を、ひょい、と躱すオードリー。


「血を吸うのをがまんしていた末路がこれか。結局、手元のそいつの血を吸って、暴走もしてさ――お前はなにがしたかったんだって話だな」


「のん気に呟いてないで、なんとかしてよ!!」


「こいつを止める気なんかねえよ。俺に得がねえし。どうせすぐに出る予定の国だ。

 いつ崩壊しようが俺の知ったことじゃねえ。勝手に自滅してろ、第六位」


「でもっ、このままこいつが暴走したら、国に住んでるみんなが……っ!」


 酒場で優しくしてくれた人たちは、悪人なんかじゃなかった。自分が一番の女ではないことに不満を持ちながらも、レンフィールド様を愛していると言っていた人たちだ。


 少女からすれば畏怖する相手でも、年を取った女性からすれば、唯一自分を愛してくれる男性だ。そういう最後の心の拠り所を失うことはもう、死ぬことと同じじゃないか。


「だからさ、どうして俺がそいつらのために命を懸けなくちゃいけない」

「…………」


「俺が死んだら、誰がアメリアの魂を取り戻すんだよ?」

「それは……」


「俺しかいねえし、俺が取り戻したいんだ――、

 好きな女と幸せになりたいために他者を蹴落とすことを、俺は非道だとは思わねえ」


 オードリーは一貫しているのだ。

 お姉ちゃんだけを愛することに――恋人以外を排斥することに。


 それはわたしのことだって例外ではない。

 だったら、さ――。


「お姉ちゃんなら、いいんでしょう?」

「……どういう意味だよ」


 突進ばかりで理性がないレンフィールドの攻撃を避けることは難しくない。

 その最中、彼の手元からするりと抜けたミイラのようになっている少女――、

 彼女は時間の問題だろう――そう、肉体は。


 であれば、

 わたしのこの右腕グリモア・パーツは、こういう使い方だってできる!!


 わたしは彼女の魂を抜き取り、お姫さま抱っこをされているお姉ちゃんへ、投げる。


 魂が、ずずず、とお姉ちゃんの体内に入っていき――、


 そして、眠り続けたままだったお姉ちゃんの瞳が、ぱちっと開いた。


「……え、アメ、リア……?」

「え、え――」


「もう一度っ、あなたの気持ちを聞かせてッッ!!」


 他人の体に入り、戸惑う少女へ、わたしは叫ぶ。


「――あなたは、死にたいの!? 生きたいの!? どうなりたいの!?!?」


「わたし、は――」


 少女が、叫ぶ。

 それは、お姉ちゃんが感情を見せてお願いしたようにしか見えなかった。



「――お願いっ、助けてっっ! この国から、連れ出してッッ!!」



 その言葉を聞き届けたオードリーは、

 わたしに向けたことなどない笑顔を見せて言った。


「アメリアのためなら、命を懸けて、叶えるよ」



 お姉ちゃんがそっと地面へ置かれたのと同時、オードリーの足下からエンジン音が聞こえ、瞬間、タイヤ痕を残しながら、彼の姿が見えない速度で消えた。


 次の瞬間、

 レンフィールドの体が後方へ吹き飛び、連続で建物を倒壊させていった。


「な、なに……これ……」

「あの人も、吸血鬼、なの……?」


 声はお姉ちゃんだけど、間違いなく半日前に出会った少女だ。

 彼女はなにかを知っているようだった。


「……吸血鬼はね、一つの能力を特化させているの。身体能力を突出させた吸血鬼がいれば、隠密に突出させた吸血鬼もいる――レンフィールド様はね、変化なの――」


 変化――つまり、変身?


 吸血鬼らしい能力と言えば、そうかもしれない。


「うん、変化の中でもさらに、巨大化までするよ」


 レンフィールドの体が膨れ上がり、その姿を、怪物へ変身させた。

 海の怪物――クラーケンである。


「その足は触手かよ、お前らしいな」


『――君、ペトラの眷属、と言っていたよね』


 周囲に響くレンフィールドの声――、

 冷静さを取り戻したようだけど……この戦いが止まることはなさそうだった。


 どちらかが倒れるまで。

 そういうルールでもできたかのように。




『ペトラが君を僕に送り込んできたのは、どうしてだろうね……国潰しかな?』

「さあ、知らないけど」

『分からないなら、念のために君は、ここで潰しておこう』


 怪物の巨大な足がオードリーを狙うが、

 彼はタイヤ痕を残すように、見えない速度で動いている。


『ペトラの眷属なら、影響力に特化しているはずだ……』


 でも、タネが分からない、と声から感じられた。


「外の世界にある車の機能を吸収した。それを吸血鬼の体に付与しただけだ」


 影響力とはつまり、吸収だ。

 オードリーは、認識したものの機能を吸収できる――?


「回転数、上げるぞ」


 オードリーのどこがどう変わったわけではない。

 だが、彼の全身は今、タイヤが高速回転しているのと同じ効果が付与されている。


 その全身のまま、巨大化したクラーケンへ突っ込めば――、


「さあ、止めてみろ。触れた瞬間、お前の触手は斬れるか燃えるか、だ」


 両手を広げて飛び込むオードリーに、レンフィールドはなす術もなく――、



 巨大化が解除され、大の字で倒れるレンフィールドの周りに少女たちが集まっていた。

 殺されるのだろうか……、死なないけど。

 恨まれていることは、なんとなく察することができた。


 自分の愛の形は、この子たちにとっては重かったのかもしれない。


「レンフィールド様」


 と、一人の少女が声をかけた。


「愛してくれてありがとうございます……でも、もう大丈夫です。わたしは、今度は愛されるよりも愛する側に回りたいです――その相手は、レンフィールド様ではなく、です」


「そう、か……」


 レンフィールドは自覚した。

 愛し続けることは、縛り続けるということだ、と。


 年老いた女性ならば愛され続けることが幸せかもしれないが、まだ未来がある少女からすれば、その縛りは過酷なものだろう。


 レンフィールドと同じように、愛した人がいるのなら。

 レンフィールドが思い込んでいる彼女たちの幸せは、一つの選択肢であって、唯一ではない。

 彼はやっと気づいたのだ――、決して悪ではなかったけれど、それでも少女たちからはあまり言えない、『余計なお世話』だったのだと。


「僕が愛さなくても、幸せならそれが僕の幸せだよ」


 そして、周りの少女たちがレンフィールドに頭を下げた。


『今まで、ありがとうございました』




「助けてくれてありがと、お兄ちゃん」

「アメリア……、今夜は、どうかな?」

「おい、中身はあの女の子だって分かってるよね?」


 外側はお姉ちゃんでも、中身は年端もいかない女の子だ、未成年を相手にさせてたまるか。


「あ、でもレンフィールドとしてるんだっけ……?」


 え、じゃあ経験済み……? 

 っ、わたし、まだなのに!?


「お兄ちゃん、わたしも連れていって――ちゅっ」

「アメリアが言うならどこまでも」

「あんた、外見がお姉ちゃんなら誰でもいいの……?」


 少女の肉体はミイラ化してしまい、あれに魂を戻したところで命が戻ることはないだろう……となるとあれに魂を戻すことはこの子を殺すことを意味する。


 わたしにはできなかった。


 だからひとまずは……、お姉ちゃんの体に入れておくことにした。まあ、いずれはお姉ちゃんの魂が入るから、押し出されることになるんだけど……その時はその時で考えればいいか。


 動かないお姉ちゃんを担いで旅をするのも大変でしょ。

 だからこの子が動かしてくれているなら楽よね。


 車のエンジン音が響く。

 気づけばオードリーとお姉ちゃん……否、女の子が助手席に座っている。


「おい、早く乗れよ」

 と手招きしてくるので、はいはい、とわたしはトランクを開け、


「そっちじゃない、こっちだ」

「え? でも二人乗りだし、どこに座れば」

「俺の膝の上でいいだろ」


 片手で首根っこを掴まれ、オードリーの股の間に座らされた。

 目の前にはハンドルがあり……、

 彼のたくましい腕がわたしを左右から挟む……はうっ!?


「あの……なんでこんな体勢で……」

「お前はアメリアの妹だ、蔑ろにはできねえよ」


「邪魔するなら置いていくって言ったくせに……」

「あれは嘘だ。放っておいてもお前はどこまでもついてきそうだったからな、危険から遠ざけるよりも手元に置いてしまった方が守りやすいと思っただけだ――」


「……お姉ちゃん以外には興味ないんでしょ?」

「ねえよ、一ミリも」


 だけど、と彼は言った。


「アメリアと血が繋がっているなら、お前もアメリアの一部だ。守る価値がある」


 言って、車が発進する。

 フロントライトが先の道を照らす――なにもないよりはマシだけど、それでもやっぱり、一寸先は闇であることに変わりなかった。


 でも、この人と一緒なら。


 この吸血鬼の世界でも、怖くない気がした。



「あ、やっぱり前が見にくいし、鬱陶しいな……、お前、次からトランク席な」


「トランクは席じゃないから!!」

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