虫喰いドンキホーテ その1

 金色の高級車オープンカーが荒野を走っていた。元々は平原だったのだろう……しかし大地は干からび、生い茂っていた森も枯れ、今は風化しかけている痩せた大木が数本、立っているだけだった。見上げれば暗雲に包まれている……、夜が明けないと言われているのは世界を包む何層にも重ねられた分厚い雲のせいだろうか。


「やっとだよ……やっと君の魂を取り戻す第一歩を踏み出せた」


 運転席に座るのは金髪の青年だった。見た目だけを言えば、だが。

 髪をかき上げ、ワックスで固めた髪型を作り、好戦的な顔つきをしている。

 服装はタキシードにも見える黒衣である。そして助手席に座っているのは、花嫁衣装を身に纏う、銀髪の美少女だった。彼らはつい先日、結婚したばかりの若い夫婦である。


 しかし、


「…………」

「頑張って、と言ってくれているのか、アメリア……ありがとう、俺、頑張るからな!」


 彼女、アメリアは目を瞑ったままだった。眠っているわけではない。死んでいるわけではないのだが……と、彼自身はそう思っている。一度、土葬された彼女ではあるのだが。


 彼女の体には今、魂がない。心臓が動いていないのは確かだが、死体とは思えない血色の良さである。彼は知っている。彼女が持つ温もりは、まだ失われていない。


 買ったばかりの新車のアクセルを強く踏み込み、障害物がほとんどない荒野を走り抜ける青年・オードリーは、背後から聞こえてくる呻き声に気づく。


 トランクが、どんどんっ、と内側から叩かれている音だ。


「ちっ」と舌打ちをしたオードリーが車を止め、後ろのトランクを確認する。

 見えたのは、アメリアと同じ銀髪を持つ、男装をした女学生だ。


 両手両足をロープで縛られ、口にテープを貼った状態の少女。犯罪の匂いがぷんぷんするが、最初にオードリーを襲ってきたのはこの少女である。

 その証拠ナイフはもうないが、その場で殺しもせず放置もしなかったことを褒めてほしいくらいだ、と彼は溜息をついた。


「どんどんうるさいな……アメリアとの大事なデートを邪魔するなよ」

「んーっ! むうーっ!!」

「はは、ごめんな、なに言ってんのか分かんねえ」


 オードリーが少女の腕を掴み、トランクから引きずり出す。

 それからロープを取り出し、少女の足に巻きつけ……それを車の後部に――


「んん!? むーっむーっ、ううッ!!」

「そこまで速度は出さない。だから安心して引きずられて大丈夫だ」


 そこで少女が跳ねた。縛られた両足を、オードリーの後頭部に向けて突き出す。

 しかし、片腕で防がれてしまった。両足が乗った腕を払ったオードリーは、ロープが千切れ、少女が遠くまで飛んでいく様子を眺めていただけだった。


「あ……、まだ力の加減ができないか……」


 放物線を描き落下した少女は、怪我の功名か、足のロープが解け、口のテープも剥がれていた。だから叫ぶことができた、犯罪者へ向かって。


「――お姉ちゃんを返せッ!!」

「返せって……俺のだろ。俺の奥さんだ」

「わたしのお姉ちゃんなんだけど!!」


 少女・ラウナは、姉の墓が掘り起こされている状態を見て飛び出した。まず夫であるオードリーを探したのだが……、そこで見てしまったのだ。彼自身が、姉の死体を運び出している場面を。そして彼を追いかけ、ここまできたのだが――、


「……ねえ、それよりも、ここ、どこ……? こんな不気味な場所……」


 知らないんだけど、と言う前に。


「ここは吸血鬼の世界・ドミニオンだ」


 吸血鬼……? と首を傾げるラウナに、わざわざ一から説明をするオードリーではなかった。


「お前を途中で捨てなかったのは、ここが既に危険地帯だからだ。一応、お前はアメリアの妹だしな、俺だって蔑ろにはしたくないし。言うことを聞くなら知り合いの吸血鬼に保護を頼んでやる。嫌なら置いていく……吸血鬼に襲われようが知ったことじゃない」


 冗談を言って、死体泥棒の件から話題を逸らしたいわけではないらしい、とラウナは気づいた。見回しても人工的な光が一切ない、闇の世界……。

 かろうじて、車のライトと彼自身が持っている赤いランプで周囲が見えるが……、ラウナが見知った世界と比べれば、圧倒的に光がないことが分かる。


「え、本当に……?」

「乗る気がないなら勝手にしてくれ。俺はアメリア以外に干渉する気はないんだ」

「ま、待ちなさいよっ、死体泥棒を逃がすわけには……ッ!」

「泥棒ではあるが、アメリアは死体じゃない」


「……悲しいのは分かるけど、認めてよ……。

 だって、あの時、お姉ちゃんは確かに殺されたじゃない……っ!!」


「殺されてない、奪われただけだ……だからこれから、取り戻しにいくんだよ」


 オードリーが運転席に乗り込む。そして、アクセルを踏み込んだ――。


「え、あのっ、わたしまだ乗ってな」

「真っ直ぐ進めば国が見える。……入り方は自分でどうにかしろよ」


 高級車が遠ざかっていく。やがて、車のライトも見えなくなり……、

 ぽつん、と。

 なにも見えない暗闇の中で、ラウナは一人、取り残された。



「……嘘じゃなかったことは、感謝するけどね……」


 暗闇の中、手探りで道を進むと、赤い炎が見えた。燭台に灯り、この世界での光の役割を果たしているらしい。道の左右の脇に立てられたそれは先の道を示してくれている。川で囲まれた国へ向かうためには、この橋を渡る必要があるみたいだ。


 道幅が広いので、車も通れるようで安心した……、まああの人のことだ、通れなければ車を捨てるか、片輪走行でもして入国するだろうけどね。


 暗いので勘違いしそうになるけど、別に夜ってわけじゃない。時間の感覚が狂いそうになるけど、今はまだ日中のはず……。つまり国は稼働中だろう。


「待て、貴様、何者だ?」


 と、門番に止められた。

 あの人、どうここを切り抜けたのか……。


「ここから先は第六位・レンフィールド様の国となる。通行証がなければ通ることはできんぞ」


 あ、そっか。

 あの人は通行証を持っていたから……? でもいつの間に手に入れて……?


「貴様、通行証を見せなさ」

「ちょっとだけ失礼します」


 わたしは手袋を取り、右手で門番の体を射抜いた――、肉を抉ったわけじゃない。そこに抵抗感は一切なく、まるで立体映像を通り抜けたような――。

 譲り受けたこの右腕は、他人の魂を引っこ抜くことができる。


 それがあの日、あの時、お姉ちゃんを失ったと同時に手に入れたもの――。

 だからって、全然、釣り合ってないけどさ。


 魂を抜き取ると、男の体が倒れた。抜き取った魂はその場に離してあげる……漂う魂はまるで蝶々のように周囲を徘徊してから体に戻るだろう。

 その間にわたしは橋を渡ってしまえばいいわけだ。


「えっと……お邪魔します」


 不法入国である。

 いやそもそも、この吸血鬼の世界にだって、許可を得て入ったわけじゃないけど。



 門の前で異物が弾かれるのであれば、中に入ってしまえばそれこそが安全の証明とも言えるわけで、こそこそとする必要もなかった。なので堂々と道を歩いていると、目立つ高級車が停まっていた……分かりやすい……、あの人である。


「おねがいしますっ、たすけてくださいっっ!」


 と、オードリーに助けを求める少女がいた。綺麗に整えられた髪、肌、容姿……服装も高級品と言えるようなものだ。それを身に着けていながら、助けて……?


 少女は服が汚れることも構わずに膝を地面につけて頭を下げる。


「なに不自由ない幸せな生活を送っているように見えるけどな」

「これは……、人が、牛や豚を食べる時に血生臭いまま食べないのと同じです……わたしを綺麗にしているのは、味を、整えるために――」

「吸血鬼に狙われているのか」


「あの人にわたしたちは逆らえませんっ! この国で不自由なく暮らすためにはあの人の餌でい続けるしかないんですっ! もう嫌です! 見たくもないしされたくもないっ! わたしたちは――愛されることが幸せなわけじゃないッ!」


「知るか」


 と、彼は言った。……え?

 泣きながら助けを求めている女の子を、言葉で突き飛ばした……。


「お前の事情に俺を巻き込むな。不自由なく暮らすために餌でい続ける必要がある? 当たり前だろ、不自由がないことをなんの代償もなく当たり前に手に入れられると思うな」


「そん、な、こと……だって他の国ではそれが普通に――」

「じゃあ他の国へいけばいい、解決策は見えている」

「旅費も、手段も、わたしたちには力がないし……っ」


「それをどうにかするのが、まずはお前がやるべきことだな。人の手を借りるのはいいが、お前は俺になにを差し出せる? 悪いが俺はお前から得られるものはなにもないと思っている――時間の浪費で、労力の無駄遣いだ。俺の幸せの邪魔をするなよ、クソガキ」


「……っ、なん」


「こんな小さな子になんてことを言うのよあなたはッッ!!」


 わたしは思わず飛び出していた。

 やっぱり……ッ、こいつはクズ野郎だ。お姉ちゃん以外の女性に厳し過ぎる……。

 暴言は当たり前、なにかを与えるにしても得るものを求める。当たり前と言われてしまえばそうかもしれないけど……でも人と人だ……、困っていれば協力する、そういう気持ちが一切ないのか、あなたには!


「利害で動く人間こそ信用できると思うけどな」

「善意で動く人間は嘘吐きだって言うの?」

「いや? 裏があるとは思っているが」


 どうしてっ、お姉ちゃんはこんな男のことを……ッ。


「……いい、もう、いい」

「待って! あなたはっ、餌になるのよね……?」


 吸血鬼の、餌に。

 それってつまり、血を吸われて、食べられるってことじゃ……。

 死ぬって、ことじゃ――。


「ううん、レンフィールド様は女性を殺したりしないよ。女性を愛するの……全員をね」


 思えば、彼女の整えられた服装は、どこから取っても剥きやすい仕様になっている。

 年端もいかない少女、色気を出すような化粧、肌の露出が多い高級服ドレス


 愛される、餌。

 つまりこの子は吸血鬼に吸血される食欲の餌ではなく、


 性欲の、餌、なのかもしれない――。


「待ってっ、いかないでっ!」


 諦めた表情で去っていく少女を呼び止める、けど、


「大丈夫。わたし、愛されるだけだから」


 ……愛される?

 愛される側が、そんな悲しい顔、するわけないじゃない!!



「部屋にいないと思えばこんなところにいたのかい。ちょっとした散歩かな?」

「はい……すぐに戻ります、レンフィールド様」


 少女の先に立っていたのは、緑髪の男だった。

 見比べてみれば、瓜二つ、だった――。


 まるで、


 髪を下ろした、オードリーのように見えて……



「レンフィールド?」


「ああそうさ、僕がこの国の王子、吸血鬼・第六位のレンフィールドさ」

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