靴をはいても弱音ははくな
違和感は目に見えていた。
大きな変化であればすぐに気づくことができただろうけど、少しずつ背景に溶け込むように変化していれば気づきにくい。
気づいた時、ゾッとした。
およそ十年間、通っていた靴屋の店内の大半が、革ジャンになっていたのだから……。
「店長……、なにも言わずにリニューアルしないでくださいよ……」
「二年前からこんなもんじゃなかったか?」
確かに、革ジャンのコーナーができた、と初めて知った時は僕も店長に聞いてみたし、靴屋に革ジャンって、完全に店長の趣味じゃないか! といじったりもした。
その時は盛り上がったのだ……、革ジャンはあくまでもおまけ程度でしかなかったはず……なのに今や、靴の方がおまけになっている。
革ジャン専門店?
靴を置いているコーナーは、レジ横の僅かなスペースだけじゃないか。
「安心しろ、売り場規模は縮小したが、修理や手入れは今まで通りに受け付けてるからな」
「それは安心しましたけど……縮小、ですか。し過ぎでは? 革靴、運動靴、スニーカーの三タイプしかないじゃないですか。しかも有名どころのメーカーの一種類だけしか置いていませんし……、サイズも充分にあるとは思えません……。たぶんですけど、バックヤードも革ジャンの在庫ばかりで靴なんてないですよね?」
「うるさい常連客だな。仕方ねえだろう、近くに大手の靴屋ができたんだ。ここの数百倍の品揃えで、併設されたスポーツ用品店の客も取り込める……、
個人経営のここが勝てるわけがないじゃねえか」
「……地元の常連は、あんなチェーン店にはなびきませんよ」
「そう言ってくれるのは嬉しいが、今のところ通ってくれている常連はお前だけだぜ」
スマホをぽちぽちといじりながら、店長は僕に視線も向けない。……革ジャンを見るな。店内にこれでもかとあるのに、どうして手元の小さい画面の中のそれを見る。
「靴屋じゃなくて、革ジャン屋になってる……」
「どうせ近い内に潰れるなら、好き放題やってみようって思ってな」
気持ちは分からないでもないが、それでも靴屋をしていたなら元々は好きだったはずなのだ。……熱量が、そこにはあったはずなのに……。
初心を忘れ、靴屋でい続けることを諦めてしまっている……、
「靴が、好きだったんですよね……」
「昔はな。作っていたりもした。地元ではかなりの腕前だったんだぜ」
まあ、機械の大量生産には敵わなかったがな、と苦笑する店長……。
機械には出せない、あなたの味があるでしょう……!
「靴に熱を与えるのはもうやめにした。蒸れるだけだぜ」
「上手いことを言ったつもりですか。上手くないですよ」
うるせ、と、店長が僕の鼻をぺし、と叩く。
いた、と思って見てみれば、鼻を叩いたそれは、靴べらだった……。
「これでもお父さん、立ち直った方だよ」
と、奥から顔を出したのは制服姿の女の子だった……、僕が初めてこの店にきた時は、ランドセルだって背負っていなかったのに……大きくなったよなあ……。
「こんにちは。……やっぱり売り上げが下がって店長も落ち込んだんだ?」
「そりゃもう酷かったよ。年齢以上に老けてきちゃって。あたしが作った料理も喉を通らないくらい……、一時期、病気で入院したことがあったけど、あのまま死んじゃうんじゃないかって本気で心配しちゃったし……」
その時は僕も知っている。気を遣って冗談でも『店長がいなくなった後』のことは話題には出さなかったが……、この子が店の跡を継げばいい、とは思っていた……それは今でも思ってる。
「あたしは臨時の手伝いならするけど、ガッツリと働く気はないからね」
「と、この一点張りだ。娘が跡を継がない以上、こんな死にかけの店は素直に殺してしまった方がいいだろう……、革ジャンを扱って延命しているのは、俺の趣味もあるが、万が一、これがきっかけで跳ねるかもしれないからな――、これはこれで、最後の戦略なんだよ」
だけど革ジャン専門店としても、あまり需要はないらしい。
店長の知り合いの人は数人、通ってくれているらしいが……、
なかなか、この町には革ジャンに喰いつくロックな客はいないのだ。
「……あの時は、ずっと俯いたままだったんだ……、俺にできることはもうねえってな。靴を作り、売り、良さを広め、靴に興味を持ってもらう……。だが俺にできることは、大手であればもっとできる。個人の力の限界なんだろうな……、俺の役目は、もう終わったんだ」
「店長……」
「お前みたいな男がまだいてくれたことに感動したよ。お前も靴が好きなんだよな……、だからこそ、未だに店に通ってくれている……、
でももういいんだ……限界だ。これ以上、俯いて悩んでいたって、前には進めねえ。だから俺は、靴の次に好きな、この革ジャンで! 前を向いて進むことにした!
――もう、俯かねえ!! 足下なんか、見たくねえ!!」
「腐っても靴屋なんですから、足下は見てくださいよ?」
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