先手必勝! ドロシー・ワーク その2
『――お前の母の名は、ドロシー・ワークだ』
「どろ、しー……?」
『ああ、彼女の遺伝子提供により、呪いを受けた肉体――、悪魔の特典を受けた彼女が子を産めば、その特典も宿るだろう……という実験だ』
言っていることはよく分からなかった。
でも、とにかくわたしには、お母さんがいる……。
『人工母体での急成長……、年齢は一気に八歳……さらに十二歳まで成長する見込みです』
『ドロシーの外見年齢は確か十九から二十二だったな……そこまで成長できるのか?』
『急成長に体が耐えて維持できるか分かりませんが……やってみましょう』
わたしは狭いカプセルの中にいる……、意識が明滅し、それを繰り返す。
体の内側からみしみしという音が聞こえ、膝や肘の関節部分が急に痛くなる。
「うぅ……やだ、助け、て……っ」
『成功です。ただ……、先手必勝が宿っているかは実験をしないことには……』
『なら、早速試してみよう。フィールドバックを出せるか?』
『はい、問題ありません』
わたしは狭いカプセルから出され、だけどまた、今度は広いドーム状の空間に放り込まれた。
目の前には黒く、どろどろとした生き物なのかどうかも分からない存在がいて……。
透明なガラスになっている天井から見下ろしているのは、白衣を着た二人の男……。
一人は若い男で、一人は白髪の老人で……。
『トト、先手必勝を使わないと死んでしまうぞ? さあ、早く使ってみなさい』
「え、で、でも、どうすればいいのか――」
『目の前のそれを敵と認識しなさい。そしてお前が拳を当てるだけで、その存在は爆発し、霧散するはずだよ――拳の威力は気にしなくていい、扉をノックするようなものだ』
言われた通り、わたしは目の前の存在を敵とした。
そもそも言われなくても、黒い存在はわたしを捕食しようと、口なのか分からないそこを開いたのだ。滴りかけた水滴が、鋭く固まり、牙にも見える……だからわたしは、これをどうにかしないと殺されてしまう。
本能的に、敵であると認識しているはず……、
だから言われた通りに拳を軽く、黒い存在に当てた、けど……、
相手が水分だからか、ずぶ、と、拳が入ってしまった。
「え……、な、むぐ!?」
『先手必勝、発動しませんね……』
『細かい条件こそ、ドロシーには聞いていなかったからのう……細部が違うのかもしれんな』
『それとも、まったく別の先手必勝になっているのかも――』
『ふむ、実験を繰り返すしかないか――』
二人は闇に沈んでいくわたしを助けてはくれなかった。
わたしを観察しているけど、見てはくれていない……。
前からそうだった。
わたしが甘えようと近づくと、殴られたり、蹴ったりしてきて……、それが愛情なんだって思っていた……でも。カプセルの中から見た小さな女の子は、白衣を着た男の人に頭を撫でられていて……ああ、愛情って、これなんだな、と気づいた。
わたしを生み出した二人は、父親なんかじゃない。
父親だとしても、殴ったり、蹴ったりすることが、愛情表現だとは思えない……。
わたしは、違うんだ。
大切にされる存在じゃない、愛される子じゃない……。
「んぐ、ひぎぃ、ぎばぁああああああああああああああああああああああっっ!?!?」
肩に食い込んだ鋭い牙。
その痛みが、わたしの体を駆け抜ける。
『……痛みの感度は下げているはずですが……』
『ふん、気を引きたいがための演技だろう、放っておけ。フィールドバックに飲み込まれても構わん。どうせあいつは実験体の一つだ。代わりは他にもいくらでも――』
その時、黒い存在が爆発し、霧散した。
まるで、さっき二人が言っていた、先手必勝の効果が出たように――。
『い、今……なにが起きたんですか!?』
『先手必勝じゃあ、ないな……しかし同じ効果だとすれば――なるほど、遺伝子によって継承されることはされるが、そっくりそのままというわけではないのか――』
『どういうことですか、博士!』
『先手必勝じゃあない……逆だ。あの子は【後手必殺】を手に入れた』
分からない、けど……わたしはなんとか、生きられた……?
『よくやったぞ、トト! お前の価値を確かなものにするために、もっとたくさんのフィールドバックを相手にしてくれ――』
そして、次々と現れる黒い存在……、
わたしは、その存在との命懸けの戦いを強いられた。
どうしてわたしがこんな目に?
どうしてわたしは、生まれてきてしまったの?
こんな世界に。こんな場所に。こんな存在に――こんな呪いを持って。
遺伝子提供さえされなければ――お母さんが、協力なんてしなければ――。
わたしは、生まれてくることもなかったのに。
こんな、扱いを、受けることも……、こうして人を殺すこともなかったのにッ!!
若い男と、老人……そして、小さな女の子。
血溜まりが広がっていく。
後手必殺。
一度でも相手から攻撃を受ければ、次に当たるわたしの攻撃は、相手を必ず絶命させる。
ただし相手から受ける痛みは千倍になっているんだけどね……。
先手必勝と後手必殺。
それが同時に発動すれば――、共倒れを狙うことは、難しくない。
―― ――
私の質問に、悪魔は「知らない」と言った。
契約でもしないと教えてくれないと思ったけれど、それ以前に知らない、と――。
まあ、悪魔は万能、ってわけでもないしね。
「……地道に足で稼ぐしかないわけか……」
「ドロシー・ワークだね?」
「はい?」
振り向くと、そこには小柄な少女がいた。
「早速だけど、死んでくれる?」
言って駆けてくるが、手にはなにもない。拳を握り締めているだけだ。
それで私を殺すつもり? 無理でしょ、ナイフでも持っているなら別だけど……、正体が魔女でもなければ――いや待て、彼女の容姿は、既視感がある。
赤毛をベースに、毛先が黒くなっている。……私の逆だ。黒髪をベースに毛先を赤くしている私によく似ていた。
姿は私とそのまま同じ……、写真でも見て真似たファンという気もするけど、そういうレベルではない気がする……。
白いブラウスに赤いリボン、短めの黒いスカートに同色のタイツ……、そして魔女の帽子(これは魔女の世界のものではなく、人間界にある商品だろう)を被っている……。
まるで幼い頃の私だった。
そう言えば、昔は肩で揃えた短髪だったなあ、と考えていると、もう目前まで迫っていた。
拳を受け止めず、斜めに逸らすことで流す。勢い余って転んだ少女が地面を転がった。
「ッ、避けるな! 先手必勝で迎撃しろよ!」
「……いや、まだあなたを敵と判断していないし……」
だから三秒のシンキングタイムも発動していない。
そもそも、私を殺す気がないあなたの生死を、選ぶわけないでしょ。
「あなた、なんなのよ……」
「トト・ブランク! あんたの娘よ!!」
「は……? 妹とか、姪じゃなくて……?」
近親者が多い赤のジャンルの家系のどこかの子かと思ったけど……私、ですって……?
「え、父親は、誰……?」
「白髪の老人」
「してねえわ!!」
私からすれば全然子供とは言え、さすがに白髪の老人と子供を作りたいとは思わないって!
「じゃあ、あっちの若い男……?」
「選択肢が多過ぎる……」
「あんたの遺伝子から作られたって、博士? が、言ってた」
「博士……? ああ、なるほど、あの二人か――」
魔女を研究……、している科学者か。
私に接触してきて開口一番、遺伝子が欲しいと言ってきた時は燃やしてやろうかと思ったけど、呪いのことが分かるなら、と調査を任せたのだった。
結局、あれから数十年、音沙汰がなく、連絡を取っていないから実験に失敗でもして死んだのかと思っていたけど……、え、じゃあ成功したの?
私の遺伝子で生まれたのが、この子……?
「娘……?」
「だからそう言ったじゃん」
「娘!?」
思わず抱きしめそうになってしまったけど、考えてみればじゃあ最初の一言は、この子の苦悩をこれでもかと表現している。早速だけど死んでくれる?
――彼女はあの科学者二人に、どれだけ酷い扱いをされていたのだろう……。
どうして生まれたのだろう……、——私が遺伝子を提供したからだ。
私さえいなければ、この子は生まれることがなかった。苦痛を受けることもなかった。別の体にその魂が入り、平穏な生活をし、幸せな毎日を送れたかもしれない。母親は私なんかじゃない……、たくさんの愛情をくれる、立派な母親に会えたかもしれないのに……。
「あんたのせいよ」
彼女が取り出したのは刃こぼれしたナイフだった。道中で拾ったのだろうか、古くから放置されていたものだろう……、だけど充分、殺傷能力はあるはずだ。
「あんたが協力しなければ、わたしは生まれなかったのにッ!」
「…………うん」
「だから殺してやる……これは、復讐なんだからっっ!」
再び、駆け出してくる少女――私の娘……トト。
古く、ぼろぼろで、刃こぼれしているナイフを持ち、私に飛びかかってきた。
明確に敵であると私は認識している……本能的に。
だから、そうだ、時計の針が進む……三秒だ。
「……いらないわよ」
三秒も。一秒さえも、一瞬だっていらない。
だって。
――だって。
「娘を殺す親が、どこにいるの?」
赤のジャンルの魔女たち――つまり私の家系だけど。
近親者が多く、基本的には不仲に近い他人行儀な家族だった。直系の親子でさえ、会話はそうそうない。子であろうと姪であろうと、全てがフラットに対応される。
……それでも愛情表現の仕方はある。分かりやすく頭を撫でたり褒めたりはしないけど、我が子を生かすために命を懸けるところは、幼かった私でも母親の愛情を理解できた。
私を庇い、死んでいった母親――。
胸に大穴を開けても、最後の一言、褒めても、愛してるとも言ってくれなかったけど。
それでも、命を捨ててまで私を助けてくれたことが、他の近親者とは違う『特別』だったのだと自覚することができた。
だから、私にはこれしか愛情表現の仕方が分からない。外の世界に出て褒めたり愛を口に出したりする文化があることを知ったけど、言われたことがない私は、それがしっかりと伝わる愛情表現であるとは判断できなかった。
だから結局、元に戻るのだ。
教わったことを教える。我が子に。
これが一番、私が感じた、愛情だったから――。
どすん、という振動がきた。
ナイフで肉を抉られた……わけではない。
彼女……トトが、私のお腹に額をぶつけた振動だったのだ……。
「撫でて、よ……」
「え……?」
「頭っ、撫でてよ! 愛してるって、言ってよ! 言ってくれなくちゃ、分からないっ! わたしは、そういう愛情が欲しかっただけなのにっっ!!」
「トト……」
「復讐するだなんて、死んでほしいって言ってごめんなさい……っ、わたしは、敵意でもいいから、構ってほしかった……っ!」
年齢や体格こそ、私とそう差はないけれど、やっぱり中身はまだ、小さな子供だ。
母親に抱き着いて泣きじゃくるほどには、まだ幼いのだ。
「撫でることで、私の愛情は、伝わるの……?」
「伝わるよ……だって心が、ぽかぽかしてるから」
「そ、っか……」
私には分からない感情だった……。
でも、じゃあ心の中のこの温かさは、この子から貰っているものなのだろうか――。
「与えることで充実することもあると思うの」
確かにそれは、私には分からないことだった。
「……トト、ごめんね。私のせいで、つらい思いをさせて――」
「ほんとにね」
え、あれ!? そこはいいよって言う流れじゃないの!?
「でも、いいの。こうして生まれたことで、お母さんを助けられるから」
「助ける?」
「うん。わたしは後手必殺の呪いを受け継いでる。お母さんが迷って、先手必勝が使えなくなっても、あとはわたしの後手必殺で、お母さんを助ける――」
「娘に人殺しなんかさせられない」
「じゃあ迷わないでね」
厳しい指摘だった。
子供に人殺しをさせないためには、私が殺すしかない、と――。
先手必勝の三秒間で、善悪を見抜き、殺すか生かすかを判断しろ……、でも、一人でいる時よりも、気分は楽になったかもしれない。
子のためであれば、親はどんな悪魔にだってなれる。
先手必勝と後手必殺――。
二人が揃えば、もう、敵なんていない。
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