紫陽花は雨の日に

rapipi

いつか晴れるまで

 ガタン、ゴトン。

いつもと変わらない電車の音。

ドアの窓をつたって流れ落ちる雨粒をただ眺めていた。

時折窓の外の景色を何の意味もなく眺める。

ドアの横の手すりに寄りかかり、何をするわけでもなく雨音を聞く。

どんよりとした濃い灰色の雲が空を埋め尽くしている。

雨は傘を持ち歩かなくてはならないし、それにぬかるんでいたり水たまりになっている道もあって歩きにくい。

多くの人にとって、雨は歓迎されないものなのかもしれない。

けれども私は雨が好きだ。

雨だからという理由で図書室で本を読んでいても惨めだと思われない。

昔から友達の少ない私には雨の日は特別な日のようにさえ感じた。

雨音は心を落ち着かせ、まるで本の世界へ誘うかのように私に味方してくれる。

 だから今日も放課後は図書室に向かった。

窓側の席に座り、読みかけの小説を開く。

うん、やっぱり雨の音は心地いい。

すぐに物語の内容に集中することができた。

物語の内容はよくあるラブコメで、物語の主人公が幼馴染の好意に気づかず、恋愛相談をしてしまうという場面だ。

主人公が鈍いのはラブコメのお約束だ。

しかし、主人公ではなく私は幼馴染の方が気になった。

幼馴染はとまどい、時に間違えながらも主人公に全力で恋をしている。

私には程遠いな。

随分と前から恋をすることをあきらめた気がする。

自分の性格は決して積極的ではないし、叶わない恋はつらいだけだ。

 中学のころ唯一の親友に自分の初恋について相談した。

彼女は真剣に私の相談に乗ってくれた。

「私、絶対成功するように応援してるから。」

そう言って心配する私を励ましてくれた。

 なのにあの時。

私の好きだった人は親友に告白し、親友はそれを受け入れて付き合うことになった。

それからというもの、私は恋をすることと人と関わることが怖くなった。

嫌なことを思い出した。

 気分転換に本棚の本を眺めようと、ブックカバーを本に挟み顔を上げる。

横を見ると、隣には同じクラスの秋山君が座っていた。

秋山君は小説に出てくるようないわば「超人」タイプだ。

頭も良くスポーツもできて性格も良い。

顔は言うまでもなくイケメンである。

本を読む横顔も実に絵になる。

秋山君も丁度本から顔を上げ、私の方を見た。

「藍川さん、こんにちは。」

「こんにちは。」

私は小声であいさつする。

秋山君はとても変わっている。

クラスのリーダー的存在で校内でも人気が高く、ファンクラブまであるのではないかと噂になっている。

それにもかかわらず、こうして雨の日は図書室に本を読みに来る。

しかも私が本を読んでいるときは話しかけず、何の本を読んでいるかは聞いてこない。

いつもはあいさつや二、三言交わすくらいで特に話はしない。

初めて会ったのは梅雨入りしたぐらいだっただろうか。

始めはとても話すのが嫌だった。

そもそも自分とは住む世界が違うと感じていたし、クラスの人気者と変な噂でも立てられたらさらにクラスが私にとって居心地の悪い場所になってしまう。

思い返してみれば私は結構曖昧な返事ばかりをしていて、あまり会話をする気がなかっただろう。

それでも秋山君は私に話しかけてくれた。

好きな作家が同じことやバーチャルユーチューバーのことで話が合い、自然と私たちは仲良くなっていった。

 「あのさ。」

秋山君は読んでいた本を机に置き口を開く。

「この前すすめてくれた『君色に染まる。』って本面白かった。」

「そっか、良かった。言葉の使いまわしとか少し難しいところあるから読みにくいかなって思ったんだけど。」

「主人公の心情が丁寧に表現されていて、特に駅のシーンはよかった。」

このように本をすすめ、秋山君の感想を聞くことが習慣になっていた。

 二人で書棚の前で本を見る。

「じゃあさ今度は俺のオススメの本読んでよ。」

秋山君がそう提案する。

秋山君がすすめてきた本は『雲の向こう側』という私がすでに読んだことがある本だった。

「秋山君それ読んだことあるよ。」

「まじかー。この本のヒロインがさ、藍川に似てるなって思ったからオススメしてみたんだけど。」

似ているだろうか。

この本のヒロインは活発な女の子で私とは対照的に感じる。

「どうして。私はこの女の子みたいに活発でもないよ。」

私は疑問をそのまま口にする。

「本当はこの女の子みたいな性格じゃないのかなって思うんだ。」

どういうことだろう。

「話して分かったけど藍川って話しやすいし、好きなものについて語る藍川は輝いて見えたから。それに話してて楽しいし。」

どうしてだろう、うれしいと感じてしまった。

秋山君の言うことは半分正解で半分不正解みたいなものなのに。

どうやったって私はこの本のヒロインみたいにはなれない。

だけど、なぜか胸の中があったかくなった気がする。

初めて自分という存在を認めてもらえた気がする。

「秋山君は、秋山君はどうして私と話そうと思ったの。」

「なんだろう。本当に本が好きな感じがしたからかな。すごい本の扱いが丁寧だし。それに……。」

そこで言葉を途切れさせるのはずるい。

小説ではよくヒロインが主人公に対して言葉を途切れさせる。

そんなはずがないのに期待してしまっている私がいる。

秋山君が私のことが好きになるわけがない。

「いや、なんでもない。前から気になってたからどんな人なのか知りたかったんだ。」

「気になる」というフレーズで一瞬ドキッとしたが、すぐに、秋山君の物語の中では私は数ある友達の中の一人でしかないだろうと思った。

 その後はしばらく話し、席に戻って本を読んだ。

 時計を見るともう六時だ。

雨はいつのまにか止んでいた。

私は文庫本を丁寧にカバンの中にしまい、席を立った。

どうやら秋山君も丁度帰るところのようだ。

「あのさ、本屋に寄って行かない?」

 秋山君の提案で帰り道、本屋に寄った。

その間も本を手に取って選んでいる秋山君の横顔を見て、胸が鳴りっぱなしだった。

 「俺さ、編集者になりたいんだ。」

書店を出た後、突然秋山君が口にする。

「編集者って作家の作品を本にする仕事の人?」

「そうそう。俺自身は物語とか書けないから編集者になろうかなって。」

「どうして編集者になりたいの?」

「俺さ、実は中学の頃色々あって、三年になったタイミングで不登校になったんだ。でもさ、高校入るちょっと前にある本に出会って、衝撃を受けたんだ。」

「それで本にかかわる仕事がしたいんだね。」

「うん。今まで【人生を変えてくれる出会い】っていうのは物語の中の話だけだと思ってた。」

私は今でもそう思っている。

いやでももしかしたら……。

「だけど、それって人だけじゃなくて本だってそうなんだなって思えて。その本がなければ今こうして藍川と話をしていないわけだし。だから、みんなが出会う機会ができる限り多ければいいなって思ったから、俺は編集者になりたい。」

ああいいなあ。

秋山君は夢に向かってまっすぐ前を向いている。

まぶしくてかっこよくてあこがれる。

私も、変われるのかな?

秋山君はひまわりのような人で私は到底そんなふうにはなれない。

隣に居続けるなんてもっと無理だ。

それでも、ひとつずつ変わっていきたい。

そうだ、明日クラスメートに挨拶してみよう。

小さなことからでもいい。

花を咲かすには小さな芽を出すところからだ。

梅雨だっていつかは終わる。

変われる、いや変わらなくちゃいけない。

ひまわりにはなれなくても、雨が降り続いてびしょぬれになっても、雲の隙間から漏れ出る光を求める花のように。

どうしてこんなにも希望が湧いてくるんだろう。

 そっか。最初から理由はわかっていた。

きっと私は秋山君のことが好きなんだ。

通学路で別れたあと、歩いていく背中を見ながら思う。

私がいつか変われたら、この気持ちを秋山君に伝えよう。

それまではこの気持ちを隠しておこう。

そこかしこに残る水滴はキラキラと陽の光を受けて輝いている。

 水たまりに映る私の顔は、少し笑っているように見えた。








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