第3話 曾祖父 3

私は子供の頃から、虐待的な英才教育を受けていた。


父親は友人が少なく、たまにうちに来て囲碁をしていた。


私は週に7以上の塾や家庭教師、その他習い事もさせられていた。


その上、曾祖父より祖父のほうが囲碁は強く、祖父よりも父親のほうが


囲碁に関しては強かった。県の代表で新聞に載る事も多々あった。


私は日々疲れていた。基本的に、塾や習い事、その他の決定は


母親に一任されていた。父親は元々愛情の薄い人間である事は知っていた。


そして、母親は狂乱者だった。その為、人にやらせたほうがいいと、


言われれば、私と弟はどんどん習い事や塾が増えていった。


そして母親は、私に父親より強くなるはずだと言い、


疲れ切った私に、木の上に正座させられて3時間ほど意味も解らず


座らされていた。


少し考えればわかるだろうと、私は何度も思った。思う度に殴られた。


ある塾では、100点を取らなければ差点数分だけ、プラスチックの太い定規で


顏になると問題になるからと、太ももを毎週叩かれた。


50点なら50発叩かれた。私は事の事情を親に話して辞めたいと懇願したが、


母親は狂人である為、それが将来に役立つと言い、


かなずちで自分は泳げないのに、私と弟を一番トップのプロになる為の


クラスにいきなり入れられた。私も弟も泳ぐこと自体初めてなのに


母親は上のガラス越しから私たちを見ていた。


あれは化け物の化身であると何度も思った。


家ではテーブルマナーをミスしただけで殴られ、顏から血が出た。


ソースを一滴、テーブルに落とした時にも、顔面を殴られた。


これらの話は全て、私が幼稚園から小学生の低学年の話だ。


父親の教育はひとつだけだった。それは喧嘩だ。


弟と私はそりが合わず、よく喧嘩をしていた。


家は広く、鉄筋コンクリートでステレオの音量Maxでも外に漏れない


程の作りで、今はよくある話だが、日本で初めて、デザイナーが設計して


建てられた家だったらしい。確かに創りは独創的で、普通には無い


防火扉なども家にはあった。約100坪の建坪で五層を四階建てで作り、


天井を高くしていた。


父親は私と弟に、物を使わないなら何をしても良いと言って、


私と弟は度々、対立し喧嘩をしていた。


弟とは年子で、少林寺拳法も二人で通っていた。


私が書いている格闘小説も、北斗の拳や、蒼天の拳も


少林寺拳法を基にして書かれていて、衝いてはいけない


場所がある。北斗の拳で経絡秘孔というのは実際にある。


あんな死に方はしないが、弟は平然と狙って来た。


喧嘩は一応少しくらいはしておいた方が、私は良いと思っている。


いざと言う時は必ず来るからだ。

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