ある女優のお話

長船 改

ある女優のお話

 昔、ひとりの女優が映画界へ鮮烈なデビューを果たしました。

 人々は女優を口々に絶賛しました。


 絶世の美女現る。映画界に革命が起こった。その美貌に見つめられたならば死んでもいい。


 女優の出演する映画は大入り続き。CMに起用されればその商品はすぐさま店頭から姿を消し、お店に貼られた女優のポスターはそのことごとくが盗まれました。

 そしてデビューしてわずか2年で、女優は映画界の頂点に立ちます。

 当時の銀幕のスターたちは、次の映画で自分の恋人役をやって欲しいと、あの手この手を使い女優を口説き落とそうとしたものです。もはや女優の地位は永遠のものと思われました。

 しかし齢を重ねるにつれて少しずつ女優の人気は落ちていきます。そして30代に差し掛かる頃には仕事のオファーはほぼ無くなっていました。

 その頃の事を女優はこう述懐しています。


「自分で言うのもなんですが、当時の私の人気というのはそれはもう……恐れすら覚えるほどのものでしたよ。そしてそれは私に、私以外の何かになることを許さなかったのです。ですから私は、私を保つためにあらゆる努力をしました。あの頃は周りの仲間が羨ましかったですよ。自分の可能性を自分で広げられるんですから。

 しかし、人間というものは変化していくものですからね。まず としを食う事にはどうやっても抗えません。大人の風貌になって、皺が出来て、声が低くなっていきます。

 それに映画界には若い子が続々と出てきますね。私という商品の魅力が急速に薄れていっていることを私は理解していました。」


 デビューから10数年間の女優の出演した映画を見ると、そのほぼ全てが恋愛もしくは青春群像ものであることが分かります。野に咲く一輪の小さな花、それが世間のイメージだったのです。


 仕事が無くなった女優はそれまでの自分からの脱却を図りました。事務所との契約を打ち切り、3年間の放浪生活を始めたのです。


「私は役者としてスクリーンに戻りたかったのです。そのために、まずひとりで生活をする事から始めました。それまでは周りの方々が私の身の回りのすべての面倒を見てくださっていましたからね。出来る限り自分ひとりで生きていこうと考えたのです。」


 放浪の後、女優は復帰の第一歩として小さな劇団の脇役として舞台に立ちます。当然オファーがあったわけではありません。自らオーディションに申し込んだのです。

 そしてそのオーディションで勝ち取った役、それは主人に媚びへつらい、主人公をいじめる家政婦の役でした。

 この舞台は当時の演劇雑誌でちょっとしたニュースになりました。かつて映画界の頂点に立ち、落ちぶれ、ある日忽然と姿を消したあの女優が、舞台女優としてカムバックしたのですから。

 しかし女優に対する人々の評価は散々なものでした。


 堕ちたプリンセス。かつての美貌はどこへ。あのまま引退してしまえばよかったのに。演技にも見るべき所はない。


 そんな酷評の嵐にも女優は挫けませんでした。ただひたむきに、ひとつひとつの役と向き合いました。陰口を叩かれても、笑われても、嫌がらせを受けても。


 ――それから40年もの歳月が流れました。いつしか女優は舞台にも、そして映画にも、無くてはならない名脇役として名を馳せるようになっていました。


「女優業に復帰して初めて映画に出る事が出来たのは、私がたしか55か6の頃だったかしら。やっと私の大きな目標が達成できたと、主人と一緒にそれはもう大喜びしたものです。」


 そして女優は最後にこう言いました。


「31の時に私は、みなさんからの期待に応える事よりも、自らの期待に応える事を選びました。人々が持つイメージというものはなかなか変わりませんので、最初の頃は苦労しました。

 だけど幸せでしたよ。それからの私は私以外の誰かを演じられるようになったんですから。」

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