第31話 反撃

 窓から差し込む眩しい夕焼け。外からは運動部の元気な掛け声や、ブラスバンドの楽器の音色が聞こえてくる。


 夕暮れ特有の少し冷たい風が頬を撫でる。

 放課後の屋上はやけに静かで、俺は一人でとある生徒を待っていた。


「……」


 その生徒が誰かなんて説明は不要だろう。


 勢いよく屋上の扉が開け放たれる。そこから一人の女子生徒が現れた。


「ごめんなさい。少し遅れちゃった!」


 黒の長髪を揺らして、慌てた様子で女子生徒は謝る。相当焦ってここまで来たのか、肩で息をして頬も赤く上気している。


「大丈夫だ。気にすることない」


 特に責めることもせず、俺は待ち人───譎玲奈にそう言った。


 少し遅れたぐらいでネチネチと嫌味を言うほど俺は器の小さな人間じゃない。5分、10分程の遅れなら誤差だろう。

 それにこれからすることを考えれば尚更だ。


「ありがとう、ちょっと先生に頼まれ事をしてて……」


「譎はいつも誰かの手伝いをしてるよな。本当に偉いと思うよ」


「えへへ、そうかな……?」


 労いの言葉に譎は嬉しそうに微笑む。


 本当にここだけ切りとって見てみれば、普通に可愛い女の子だ。しかし、その中身は底なし沼のように深く、ダークマターよりも黒い。


「そ、それで大事な話ってなにかな?」


 そんなことを考えていると、譎がモジモジと手遊びをしながら聞いてくる。

 俺は深呼吸をして、緊張していた気持ちを落ち着かせる。


 さて、なぜ俺があんなにも毛嫌いしていた譎を、放課後の、しかも金曜日で直ぐに帰りたいであろう今日、屋上に呼び出したのか?


 その理由はもちろん。これまでの全てに決着をつける為だ。

 5限目の重との話し合いを経て、俺は行動を起こすならば直ぐだと思い至り譎をこうして呼び出した。


 そんな本日は奇しくも金曜日。

 タイミングがいいと言うか、縁起がいいと言うか……昔から、決戦は金曜日とよく言うだろ? それだよ。


 とまあ変な理由付けをしては見たが、結局のところもう我慢の限界だったし、もう我慢する必要も無いし、重の気持ちも確かめたし、それなら今日ラスボスに凸するか、みたいな軽いノリだ。


 そしてなぜ譎がこんなに今から告白を受けるような女子のようにソワソワしているのかと言うと。

 単純に彼女がこの呼び出しを『告白』と勘違いしてるからだろう。


 まあこのシチュエーション的にそう思わない方が不思議だ。

 夕暮れの誰もいない屋上、男女二人きり、そしてトドメの『大事な話』、まあ勘違いしない方がおかしい。


 だが、この女に関しては自意識過剰だと言ってやりたい。よくよく、今まで自分がしでかして来た悪行の数々を思い返して欲しい。

 誰がお前みたいな性悪女に告白するというのか。


「……そうだな。変な前置きはせずに単刀直入に言わせてもらうか───」


 心の内に秘めた奴への怒りをフツフツと煮え滾らせ、俺は本題へと切り出す。


「───もう、俺に付き纏うのはやめてくれないか?」


「…………え?」


 直球真ん中どストレートな拒絶の言葉。俺はずっとこの女にこれを言いたかった。


 予想していた言葉とはだいぶ違っていたのか、譎玲奈は俺の言葉に大きく目を見開いて困惑した顔をする。

 だが、俺はそれを気にすることなく言葉を続ける。


「譎には悪いけど、正直もううんざりなんだ───」


「ちょっ、ちょっと待って!!」


「なんだ?」


 譎は焦った様子で俺の言葉を遮る。


「な、なんの冗談かな啓太くん?」


「冗談なんかじゃない。今言ったのは俺の本心だ」


「う、嘘! 意地悪なこと言わないでよ啓太くん…………なんでそんな事言うの?」


「逆に聞くが、なんで今まで譎は俺に好かれてると思ってたんだ?」


「えっ…………」


 俺の質問に譎玲奈は気の抜けたような無表情になる。


「いや、実際俺は譎が好きだった時もある。けど今の俺はお前に恋心なんて抱いていない。むしろその逆だよ」


「ぎゃ、ぎゃく?」


 見る見るうちに絶望し、今にも泣き出してしまいそうな譎玲奈。


 この女は本当に自分が何をしたのか覚えていないのかだろうか? 自分の仕出かしたことの重大さを自覚していないのだろうか?

 もしそうなのだとしたらもう狂っているとかの話じゃなくなってくる。


 それはもう───


「ああ。俺は譎のことが嫌いだ」


「う……嘘よ……」


「嘘じゃない。俺は譎のことが嫌いだし、恨んでさえいる」


「なんでそんな意地悪なこと言うの? 私なにか啓太くんを傷つけるようなことしちゃった?」


「譎は俺を……俺達をたくさん傷つけただろ」


「そっ、そんなことしてない!」


 ───心の病だ。


 譎玲奈と言う少女は自分が犯してきた過ちを自覚していない。それが悪い事だとも思っていないのだ。自分が良ければ周りがどうなろうと関係ないのだ。


「全部私は啓太くんの為を思って……啓太くんに私を見て欲しくて…………」


「俺の為? ふざけたこと言わないでくれ。仮にそうだとしても、あんな事をしていいと思ってたのか?

 ありもしない他人を傷つける悪意ある噂を吹聴して、人の日常を滅茶苦茶に破壊して、その人の人生を終わりに追いやるようなやり方。

 そんなことが許されるとでも?」


「違う! 私は悪くないの! 全部…………そう! 全部あの女が悪いのよ!」


「「あの女」って重のことか?」


「そう! 重愛! アイツが私の邪魔をしなければ……アイツさえいなければこんなことをしなくても済んだの!!」


 標的を見つけたと言わんばかりに譎玲奈は重に責任転嫁をする。


 この後に及んでまだ人の所為にするのか。この女にもう救いようはない。完全に腐りきって、行くところまで堕ちてしまっている。


 どこで彼女は道を踏み外してしまったのだろうか? 初めて人の気持ちを踏みにじった時だろうか? それとも元々壊れてしまっていたのか?


 考えてもそんなことは分からない。

 見ているだけで怒りが募る。もうこの無駄な争いに決着をつけよう。


「残念だよ譎。お前がここまで最低な女だと思わなかった。二度と俺に関わらないでくれ」


 ハッキリと聞こえるように俺は譎玲奈に言い放つ。奴は声も出ないのか、顔を俯かせて何も言うことはない。


 それでこの話は終わりだと判断して、俺は屋上を後にする。


 予想に反して呆気なく終わった。

 もう少し言い訳をしたり、姑息な手を使って俺を引き止めてくると思っていたが……まあ、これで全て終わるのなら良かった。


「ふざけないで───」


 背後から譎の短い言葉が聞こえてくる。


「ふざけないで───ふざけないで───」


 何度も何度も囈言のように呟き、その声はどんどんと大きくなる。

 やはりこのまま「ハイ終わり」という訳にはいかないか。


 もう本当に終わりにしよう。執拗いのは嫌いなんだ。この手は使いたくなかったが、奴が最後まで足掻くというのならこちらも本気で息の根を止めに行く。


 そう判断し、扉に向かう足を止めて俺は譎の方へと振り返る。

 瞬間、俺は目を疑った。


「ふざけないでッ!!!」


 眼前には大声で怒鳴り散らす譎玲奈。いつの間に距離を詰めていたのか、彼女は俺に目と鼻の先まで迫ってきおり、その手には───


「啓太くんは私のモノなのッ!!」


「あっ────」


 ────果物ナイフを持っていた。


 叫びと共にグサリと腹に鋭い何かが突き刺さる。短く漏れ出た声と共に鮮烈な痛みが脳を支配する。


「どうしていきなり私の事を見なくなったの!? どうしていきなりあの女に靡くの!? どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてッ!!!」


「うぐっ─────!!」


 狂気の叫びとともにナイフは更に俺の腹を抉って来る。


 久方ぶりの感覚だ。あの時は包丁だったが、どうしてかあの時より痛く感じる。小さい面積の方が痛みがより集中してしまうのだろうか?


 譎にナイフを突き刺された勢いで地面へと倒れ込む。


「許さない…………そんなの許さないよ…………私が先に目をつけたんだ、私が先に啓太くんを好きになったの、あんな女なんかに絶対渡さない、渡すぐらいなら───」


 譎は俺の上に跨り突き刺さしたナイフから手を離すと、手に着いた俺の血を見て恍惚と笑みを零す。


 その奴の表情に既視感を覚える。

 本当に懐かしい光景だ。まさか二度も誰かに腹を刺されるとは思ってなかった。

 まさか譎がこんな行動に出るなんてな……。


「───貴方を殺して、私だけのモノにする」


 それはまさに狂気であった。


 その言葉は以前の彼女と重なる。

 まだ無知であった時の愚かな自分を思い出す。


「安心してね。啓太くんに寂しい思いはさせない。全てをグチャグチャに壊してから私もすぐそっちに行くから」


 "全てを壊す"

 それはきっと重の事を言ってるのだろう。この女は尽く俺の大事なモノを潰した後に俺と一緒になろうとしている。


「天国で一緒に幸せになろうね」


「ははっ……」


 譎のその一言に俺は思わず笑ってしまう。


 まさか、ここまで狂ったヤンデレが出てくるとは思わなかった。これと比べれば重なんて可愛らしい方だ。


「っ! 私の気持ちに気づいてくれた!? 笑っちゃうほど嬉しかった!?」


 譎玲奈は笑った俺を見てそんな見当違いな事を言い出す。


 ふざけんな。

 誰がお前と天国に一緒になるのが嬉しくて笑うもんか。そんなの絶対に御免こうむる。

 この笑みはお前を終わらせる為の最後のピースが揃って嬉しくて笑ったんだ。


 そのことを伝えるために俺は嘲笑うかのように譎に一つの物を見せる。


「残念ながらお前の悪ふざけもここまでだ」


「何言ってるの啓太くん? 恥ずかしがらなくてもいいんだよ?」


「これ、なんだと思う?」


「……………え?」


 ポケットから取り出したのは一つの細長い機械。それは俗に言う録音機──ボイスレコーダーであった。

 譎は突然目の前に出されたボイスレコーダーを見て困惑した表情を見せる。


「このボイスレコーダーには今話した会話が全部録音してある。これを学校中にばら撒けばどうなると思う?」


「ふっ、ふざけないで! それを渡して!!」


 煽るような俺の口調に譎はまんまと乗せられて俺の手からボイスレコーダーを奪い取る。

 そして彼女は奪ったボイスレコーダーを地面に叩きつて、証拠の隠滅を測ろうとする。


 しかし、それは無駄な努力である。


「あーあ……滅茶苦茶にしてくれちゃって……どうしてくれの? これ結構高かったんだけど?」


「こ、これで証拠は無くなったよ? それで、何をばら撒くって?」


「まあいいんだけどさ、データはちゃんと保存できてるし。最近のボイスレコーダーって凄いな。外部のパソコンと接続して直接そっちにもデータを保存できるだもん」


「は…………?」


 安堵しきった譎に、俺は笑いを堪えながら説明をする。


 アドレナリンが出ているのか腹に刺さったナイフも今は気にならない。

 俺は依然として跨っている譎を退けて立ち上がる。


「他にも色々とあるんだぜ? 今まで俺や重に嫌がらせをしてきたヤツらの証拠写真とか。昔のから最近のまで」


 見本として俺は数枚の写真を取り出す。

 その写真には醜悪な笑みを浮かべながら、数々の悪事を働く生徒たちが写っていた。


 俺は裏でコツコツと今までのイジメの証証拠を色々な方法で集めていた。いつか、必ず譎を追い詰めるための切り札として。

 最初はバレないようにコソコソと裏で集めていたのだが、最近ではバレる気配も全くないので堂々と写真を撮っていた。


「まあ正直、嫌がらせの証拠とか会話の録音なんて無くてもこの腹に刺さったナイフを見せたらお前は一発で終わりだろうさ。でもこういうのは徹底的にやった方が確実性がある───」


 尻もちを着いて立ち上がろうとしない譎に俺は両手を広げて、彼女に刺された腹を見せる。そんな俺を見て彼女は表情を恐怖の色に染める。


 段々と楽しくなってきた。もう完全に腹の痛みなど感じない。気の所為なのは確実だが、今は不快感に襲われないのが何よりも楽しい。


 更にこれで俺のターンは終わりなんかじゃない。最後の仕上げと行こう。


「───もう出て来ていいぞ、善」


「はあ……やっとか……」


 合図を出すと屋上に一人の男子生徒が入ってくる。

 その男子生徒は片手でビデオカメラを構えて俺たちの方に向けている。勿論、絶賛撮影中だ。


「えっ……………たかなし…………くん?」


「どうも」


 呆然とする譎に呼ばれた男子生徒───小鳥遊善は気まづそうに挨拶を返す。

 挨拶も程々に俺は話を続ける。


「譎の悪事を暴くには写真や音声だけじゃまだ弱いと思ってさ。だから、ここにいる善には今まで扉の隙間から俺たちのやり取りをカメラで撮ってもらってた。勿論、譎が俺の腹をグッサリと指したところもバッチリ撮ってる」


「あ、あぁ────」


 もう完全に助からないと、流石の彼女も気がついたのか漏れ出る言葉は意味を成さない。

 そんな彼女を見て少し可哀想に思えてしまうが、それでも俺はこの女を許す考えはもう持ち合わせていなかった。


「お前はやり過ぎた。その罪を今ここでしっかりと償え」


「ああああぁああああああああああああぁぁぁあああああああぁぁぁぁ!!!!」


 最後の決めゼリフで譎は発狂して屋上から走り去っていく。


 逃げてももう無駄なことはわかっているはずなのに、それでも逃げられずには居られなかったのだろう。


 激しく開け放たれた屋上の扉を見て一息つく。すると突然、腹部が激しい痛みを訴えてきた。


「うぐっ…………」


「っ! 大丈夫か啓太!?」


「くっそぉ〜、めちゃくちゃ痛え……」


 譎を撃退して気が抜けたのか倒れそうになったところ善に肩を掴まれて、何とか地面とのキスは回避する。


「たく……無理すぎだ。刺される必要はなかったんじゃないか?」


「いやいや、まさか俺も譎がナイフを持ってるとは思わなかった。無様に刺されはしたが……まあこれはこれで結果オーライだ」


「流石の誠実君主さまも今回ばかりは修羅になっちまったか……」


「誰が修羅だ……あと誠実君主もやめろ。てか、変なことに付き合わせて悪かったな…………」


 突然にも関わらず善は部活を休んで俺の「カメラマンをしてくれ」という頼みを聞いてくれた。善が居なければあそこまで譎を追い詰めることはできなかっただろう。


「気にすんな。親友の頼みだ、これぐらいどうってことない」


「……今度飯でも奢るわ」


「楽しみにしとくよ」


 不覚にも善の漢気ある言葉に感激してしまった。持つべきものはやっぱり親友だ。


「んじゃ病院行くぞ。それ以上血を流し続けたらシャレになんないからな」


 善の一言で俺たちは夕陽が落ちて少し暗くなった屋上を後にする。

 階段を降りる最中、腹部の痛みは激しさを増し俺はいつの間にか気を失ってしまった。


 これで、全部終わったんだよな?


 意識が薄れる中、妙な安心感と達成感に俺は満足して眠った。

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