第30話 重愛の本音

 教室を飛び出して、廊下を駆け抜ける。

 授業中ということもあり、廊下には人っ子一人おらずとても走りやすい。


「はあ……はあ……」


 数分と経たずに重がいるであろう2年D組の教室前へとたどり着いた。


 我慢するのはやめた。ここからは俺の好きなようにやらせてもらう。

 俺は俺の望む未来を尽く潰しに来る運命をぶち壊すと今決めた。


 しかし、その前に確認しなければいけないことがある。

 それは当然、重の気持ちだ。

 俺の望む未来には必ず彼女が傍にいなければ意味が無い。だから俺はこれから起きることに重を巻き込む形になってしまう。


 もし重が俺の望みを拒めば、俺は全てのことに目を瞑り何も行動に移ることは無い。

 彼女が悲しむ顔を見るのはもう二度と御免だ。だから行動に出る前に重に確認する必要がある。


「ふぅ……」


 乱れた呼吸を整えて、教室の扉に手をかける。


 扉の奥からは授業中とは思えないほど、生徒たちの楽しげな笑い声が聞こえてきた。まさに無法地帯と言った感じだ。まるで授業をする教師がいないかのようだ。


「やっぱりD組も自習だったか……」


 その実、教師がいないかのようというか、本当にその教室に教師は存在していなかった。


 2年生の現国を担当する教師は本日、急な風邪で学校を休んでいた。それにより本日、現国の授業は全て自習となっているのだ。だから教師が居なくても何ら不思議ではない。

 例に漏れず午前中に現国があった俺のクラスも自習だった。


 普通は自習と言っても生徒たちが羽を外しすぎないようにと監督の教師がいるものだが、大抵の教師は10分ほど様子を見たら後は「静かにしとけよ」と言って職員室へ戻ってしまう。


 教師たちも暇ではない。何かと仕事が忙しいのだろう。ただの自習の監督などしている暇はないらしい。


 不真面目な教師だと思いはするが、今はその不真面目さに助けられている。

 この状況下ならば、気兼ねなく重を連れ出すことが可能だ。


 勢いに任せて教室を飛び出した俺だが、流石に真面目に授業をしている教室に乗り込み生徒一人を連れ出す勇気なんてのはない。

 本当に自習で助かった。


「……行くか」


 なんて情けないことを考えながら意を決して教室の扉を開ける。

 物語でよくあるような「ガシャーンッ!」と言った激しい感じではなく。小心者らしくなるべく静かに気付かれないようにを心がけて扉を開けた。


 そして、飛び込んできた教室の光景に息を呑む。


 目的の生徒、重愛は確かにこの教室にいた。だが、その教室の状況は最悪だった。


「クスクス、かわいそ〜」


「ちょっと、やめてあげなよ〜」


「よーし、次は頭だ!」


「いっけ〜!」


 それは低脳を極めたゴミ共の遊び。

 自分の席で真面目に現国の自習をしている重に、丸めた紙クズを誰が一番当てられるかというものだった。


 今どき、小学生でもこんな低能な遊びなんてしないだろう。

 頭沸いてんのかコイツら?


 クスクスと腹の立つ笑みを浮かべる周り。ゲームを始めた主犯である数人の陽キャ(笑)な男子生徒たちの盛り上がる声。

 その全てが俺の神経を逆撫でし、吐き気すらも覚えさせる。


 まさか、ここまで状況が悪化しているとは思わなかった。どうして俺はこんな事になるまで行動できなかった。


「チッ…………」


 次いで自身の覚悟の遅さに後悔する。


 だが、今はくよくよと嘆いている暇なんてない。直ぐに行動にでなければ。

 幸い、周りの馬鹿共は遊びに夢中で俺が教室に入ったことに気付いていない。ならその状況を利用するまでだ。


「まずは一枚記念撮影」


 素早くスマホで教室全体の状況を撮影する。

 俺の完全なる善意で楽しそう笑みを浮かべるD組の生徒たちを激写してやった。


 感謝してくれてもいいんだぞ?


 そんなバカなことを考えながら素早く重の席へと移動する。

 ちょうど一人の男子生徒が振りかぶり、重に紙くずを投げようとした瞬間であった。


「は? なんだよお前、邪魔だよ。空気読めよ」


 男子生徒は突然の俺の登場に一瞬驚いた顔を見せるが、直ぐに高圧的な態度へ戻る。

 周りの生徒も盛り上がっていた所に水を差されて機嫌が悪いようで、こちらを睨み付けてくる。


 個では根性もクソもない小物の癖に、集団になった瞬間に自分が強くなったと錯覚して強気な態度に出る。

 まさに典型的な集団意識の結果がそこにはあった。


 そんな彼らを見て吐き気が酷くなる。

 本当にどうしようもない人間の集まりだ。ここまで来れば吐き気を通り越して笑えてさえくる。


「……」


 俺は周りの反応をガン無視して重の方を見る。背後からは「無視かよ!」と男子生徒が紙くずを投げつけてくるが無視は無視だ。今は目の前の少女に集中する。


 久しぶりに見た彼女はお世辞にも元気そうとは言えなかった。


 あまり眠れていないのか目の下に隈ができており、頬も少しコケている気がする。綺麗な銀の長髪も乱れていて、何より酷いのがその瞳だった。まるで全てに絶望して、諦めて、今にも消え入りそうな弱々しい瞳。


 どこまでの精神状態になれば人間がこんな目をすることが出来るのか。

 俺は自身の中の怒りが更に強くなるのを感じた。


「重」


「っ!!」


 名前を呼ぶだけで彼女は酷く怯えたように身を小さくする。目は疎か、顔も上げようとはしない。


「……」


 そんな重を見て、ここではまともに話は出来ないと判断する。


 周りも馬鹿みたいに喚き散らして煩いし、そろそろ延々と投げらて来る紙くずが鬱陶しい。少し強引になってしまい、重には申し訳ないが我慢してもらおう。


「悪い、ちょっとついてきてくれ」


「えっ…………」


 俺は重の手を掴み勢いよく立ち上がらせて歩き出す。

 重は驚き、困惑し、俺の引く手を拒もうとするが、それを無視して引きずるようにして歩く。


 しかし教室を出ようとすると、俺に紙くずを投げてきていた男子生徒が大変怒った様子で立ちはだかる。


「おいおい、いきなり出てきてなに人のオモチャ持ってこうとしてんの? てか無視すんなよ!」


「…………は?」


 別にいくらゴミを投げつけられようが、どれだけバカにされようが、侮蔑の視線を目線を向けられようがいくらでも我慢出来る。


 だが───


「…………誰が、誰の……オモチャだって?」


「ひっ……!!」


 ───俺の命の恩人を……大切な人を傷つける、あまつさえモノのように扱う言葉は何があろうと許さない。


 きっと今俺はもの凄い形相で目の前のクズを睨みつけていることであろう。初めて人に殺意なんて湧いてしまった。よく手が出なかったと思う。


「邪魔だ」


「…………」


「邪魔だって言ってんだよ!!」


 感情に身を任せて大きな声が出てしまう。

 しかし、そのお陰で今まで俺たちの前から退けようとしなかった男子生徒が情けない顔をして前から消える。


 それで行く手を阻む邪魔者は完全にいなくなる。


 俺は重の手を優しく引いて教室を後にした。


 ・

 ・

 ・


 教室から抜け出して、俺たちは懐かしい場所へと来ていた。

 上を見上げればいつもより近く感じる青空。心地よい風が頬を撫で、見渡す景色は壮観。


 その場所というのは俺と重にとって憩いの場である屋上だ。


「まあ誰もいないよな」


 今の時間帯は絶賛授業中。流石に漫画のように屋上でサボっている不良かぶれの生徒はいないようだ。


「こうやって話すのも久しぶりだな」


 俺は重の方に振り返って微笑む。


 ようやく彼女と面と向かって話すことが出来る。その事が妙に嬉しい。

 しかしそう思っているのは俺だけのようで、重は一向にこちらを見ようとはしない。


 いや、チラチラと盗み見るように重は俺を見てきているが、決して目は合うことは無い。自信なさげで、怯えたような彼女を見ると胸が強く締め付けられたような感覚に陥る。


『もっと早く彼女を助けていれば……』


 そんな後悔が再び沸き上がる。

 だが、今はその後悔を無理やり飲み込んで本題に入る。


「まあ、そんな肩肘張らずに気を楽にしてくれよ。別にとって食ったりなんてしない。ただ、重に聞きたいことがあったんだ」


「き、聞きたいこと?」


 冗談交じりに笑うと、ようやく重の声を聞くことが出来た。

 彼女は依然としてこちらを見ようとはしないが、それでも会話をしてくれるようだ。


 本当はちゃんと顔を見て話がしたかったが、今はそれだけで満足して話を続ける。

 そして、俺が重に聞きたいことと言うのが───


「今、重は幸せか?」


「っ…………」


 ───彼女の気持ちだ。

 今、重愛と言う少女はこの状況に満足しているのか、納得出来ているのか、ただそれだけを聞きたかった。


 まあ彼女の気持ちを聞くまでもなく。答えなどは分かりきっている。

 あんな劣悪な状況で「幸せ」と言える人間なんているはずがない。


 だが、重愛は俺の予想に反する返答をした。


「……うん。とっても満足してるよ。ちょっと辛い時もあるけど……概ね、今私は幸せだよ」


 歯を食いしばるように、全ての出来事を黙認し、耐え忍ぶ。今にも崩れ落ちそうで、泣き出してしまいそうなその微笑み。

 ようやく顔を上げてそう言いきった重の表情は、見ているだけで辛かった。


 思わず目を背けたくなったが、俺は重から目を離すことなく。質問を続ける。


「どうして、いきなり俺の前から居なくなったんだ?」


「……啓太くんといるのがつまんないからだよ。ただそれだけ……」


「俺の事、嫌いになったのか?」


「……そう、だよ。啓太くんのことなんて嫌い。もう顔も見たくない」


「もう弁当は作ってくれないのか?」


「っ……なんで、私が啓太くんにお弁当を作ってあげなきゃいけないの?」


「もう一緒に水族館に行ってくれないのか?」


「行くわけない……じゃない。啓太くんとなんてもう行き……たくない」


「噂の事で責任を感じてるのか?」


「……そんな、わけない。むしろ、啓太くんが……そんな最……低な人だと思わなかった。だから君から距離を……取ったんだよ」


「俺とは一緒にいてくれないのか?」


「居たくない……もう私の前から……消えて……」


「本当か?」


「っ……本当だよ……」


 そこで問答は終わる。

 どれも簡潔で、重はバッサリと俺の言葉を切った。

 しかし、俺はそれでも納得出来ない。

 だって───


「ならなんでそんな苦しそうで、今にも泣きそうな顔してんだよ」


「っ…………!!」


 ───言葉に反して重の表情はとても幸せとはかけ離れていたから。

 だから俺は少し、重の態度に腹が立っていた。


 俺が聞きたいのはそんな無理やり納得したような偽りの答えなんかじゃない。

 俺が聞きたいのは重愛の本当の声なのだ。こんな巫山戯た答えで納得できるはずがない。


「最後の確認だ。重愛という女の子は本当に今、幸せか?」


 しっかりと聞こえるように、大きな声で俺は重に確認をする。

 彼女は再び顔を俯かせて、俺の質問に答えない。


 静寂が広がる。

 永遠にも感じる無言が俺の心を焦らせる。

 今言ったことが全て重愛の本当の気持ちだったらと思うと不安で仕方がなくなる。


 それでも俺は静かに彼女の答えを待つ。


 そして、重は小さく呟いた。


「─────ない……」


「……聞こえない。もっとはっきり言ってくれ」


 か細すぎて全く聞き取れやしない。だから俺はもう一度尋ねる。


「────じゃない……」


「もっと」


「───せじゃない……」


「もっと!」


「幸せなんかじゃないよッ!!」


 俺のしつこい聞き返しで、ようやく重は顔を上げて怒鳴る。

 その瞳には大量の涙が溜まっており、今にも溢れだしそうだ。わなわなと肩を震わせて、怒っているのがよく分かる。


 だがその怒りは俺にでは無く。別の特定のできないモノへだ。


「啓太くんの前から居なくなりたく無かった! 啓太くんのことなんて嫌いになるわけない! 寧ろ死ぬほど大好きだよ! お弁当だって毎日作ってあげて一緒に食べたい! 水族館にだってまた行きたい! もっと啓太くんと色んなとこに行ったり、色んな事を経験したい!」


 溢れ出した言葉は涙と一緒になって止まらず。彼女は今まで溜め込んでいた気持ちを全て吐き出す。

 それでもまだ彼女は戸惑っていた。


「でも……私と一緒にいたら啓太くんが傷ついちゃう。私の為に頑張って、いつか壊れちゃう……私の所為で啓太くんが傷つくのを見るのは嫌だよ…………だからこうするしかないの! 

 !!」


「ふざけんな!!」


 重の言葉に思わず、俺は声を荒らげる。重は俺の声に驚いて、言葉が止まってしまった。

 だが、今の俺にそんな彼女を気にする余裕はない。


 ふざけるな。本当にふざけるな。

 なんだその理由は、なんでそうなるんだ、なんで重が居なくなれば俺が幸せになれると勝手に決めつけるのだ!


 重に詰め寄り、至近距離でその綺麗な瞳を見つめて大きな声で言う。


「俺は! 重と───重愛っていう女の子と一緒じゃなきゃ幸せじゃねぇんだよ!!」


「っ!!!」


 俺の言葉に彼女は目を見開き、そして更に激しく泣きじゃくる。

 それでも俺は言葉を続ける。

 よく、俺の言葉を言い聞かせる。


「いいか! もう一度言うぞ! 俺はお前と一緒じゃなきゃ意味が無いんだ! 幸せじゃないんだ! 重はどうだ!!?」


「啓太くんとずっと一緒に居たいっ!! 私も啓太くんと一緒じゃなきゃ幸せじゃないよ!」


 俺の問いかけに重は力強く答えた。


 ようやく聞きたい言葉が聞けた。俺はその言葉が聞きたかったのだ。


 ならばもうそれ以上言葉は必要ない。

 彼女の気持ちはこうだ。


 〈重愛は潔啓太と一緒に居たい〉


 俺はその彼女のに全力で答えるだけである。


 泣きじゃくる重の頭を優しく撫でて、俺は覚悟を揺るがないものにする。


 さあ、反撃と行こうか。

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