第29話 我慢の限界
6月も終わり、本格的に夏が始まった。
空は快晴。雲ひとつなく、青く澄渡るその景色は壮観だ。
制服も衣替えとなり、道行く同じ学校の生徒たちはクールビズで涼し気な格好となっていた。
かく言う俺もワイシャツから学校指定のポロシャツへと衣替え、肌触りの良い生地で一年中このポロシャツでもいいのではないかと思っている。
「……はあ」
まあ正直、夏だ海だ衣替えだ、と今の俺にはどうでもいいことであった。
普通の高校生ならばイベント目白押しで、どうでもいいことなんてないはずなのだが、俺は全く乗り気しなかった。
そんなことよりもこのモヤモヤと居続ける悩みを早急に解決したい一心だった。
その悩みとは説明するまでもなく、重との関係が全く修復できていないという一点に尽きる。
重と挨拶は疎か一緒に行動することが無くなってから早2週間。その間に俺の周りは随分と変化した。
一つ目は譎玲奈が執拗に絡んでくるようになった。
謝罪された次の日から、譎は行動に出始めた。とにかく俺に話しかけて、一緒に行動しようとしてくるのだ。
やれ、休み時間になれば俺の席へ来て無駄話をしてくる。やれ、移動教室だから一緒に行こう。やれ、お弁当を作ってきたから一緒に食べよう。
もうウザったくてしょうがなかった。仕舞いに、譎は俺のことを「啓太くん」と下の名前で呼ぶようになってしまった。
厚顔無恥とはまさにこの事だ。
どの面下げてお前は俺と一緒にいれると思ってるんだって話だ。
しかも周りは何故か譎のこの行動を後押ししているようで全く意味がわからない。
「お前ら譎に洗脳でもされてんの?」と思わず口から出そうになった。
事実、その協力ぶりは異様であった。
今までの俺の噂や、譎が襲われた事(虚言)を全て記憶から消去したとしか思えなかった。
そんな流れか知らんが一時期、手のひら返しで俺に直接的な嫌がらせをしてきた奴らが謝罪をしてきたこともあった。
あの時は「人間ってなんて恐ろしい生き物なのだろう」と人間不信になりそうになった。なんで許してもらえると思ってるの?と言わんばかりの耳障りの良い言葉を奴らは吐き捨てて言った。
まあ当然俺は奴らを許すつもりなどないので、適当にあしらって謝ってきたヤツらの顔と名前を全部覚えた。
わざわざ「僕がやりました」と名乗り出るとは馬鹿な奴らだ。
しかし、こんな事がどうでも良くなるぐらい。俺の悩みを増やす種があった。
それは変化の二つ目、重の噂の悪化と周りの行動のエスカレートだ。
再浮上してしまった重の噂は更に尾ひれはひれが付いて、酷いものへとなっていた。もうただの罵詈雑言だ。朝っぱから羅列するのは不適切な内容から、単純な憎悪がこもった内容など様々である。
それに付随して、ここ最近では重に実害的な嫌がらせをする者まで現れてきた。
目の前で繰り広げられているコレなんて良い例だ。
「ゴミはゴミ箱に入れないとな」
「うわ! お前ひで〜」
「善人ヅラすんなよ。お前だって昨日やってたじゃねーか」
「そりゃゴミ箱にはゴミ入れるだろ?」
「言ってること滅茶苦茶だな」
二人組の男子生徒が重の下駄箱に何やら適当な紙くずを入れて、クスクスと腹の立つ笑みを浮かべている。
俺はそんな楽しそうな彼らをスマホのカメラで親切に撮影してやって、そいつらに尋ねる。
「なあ、お前らなにやってんの?」
務めて冷静に、人当たりの良いにこやかな笑みを心がけて二人組のクズ共に話しかける。
決して出会い頭に殴り掛かるなんてことをしてはいけない。ここはまだ我慢の時だ。
「「は?」」
いきなり声をかけられて軽く驚いた様子の男子生徒たち。
そのとても間抜けな顔を再びパシャリと写真を撮ってやる。
「なんだよいきなり……てか何撮ってんだよ。今撮った写真消せよ」
「え、なんで?」
焦った様子で詰め寄ってくる男子Aに俺は首を傾げる。
「なんでって……いきなり写真撮られて気分なんか良くないだろ……」
「なんでだよ? お前ら楽しそうにしてたじゃん。こっちはお前らの楽しそうな姿を見て思わず写真を撮ったんだ。趣味なんだよ楽しそうな人を撮るの」
まごまごと煮え切らない返事をする男子Aに俺は更に首を傾げる。もちろん今言った趣味は嘘だ。俺にそんな変人の基質はない。
というか、なんだそのクソみたいな言い分は? つい先程、自分がしていた行動をよく思い返してから発言した方がいいぞ? 次、クソみたいな言い訳をしようとしたら問答無用で殺す(社会的に)。
「安心しろ、もちろん今撮った写真はお前たち2人にもやるよ。最高な笑顔をどうもありがとう」
「え、は……いや……」
ニッコリと笑顔を浮かべて、フレンドリーに男子A、Bの肩を組みに行く。
A、Bは唐突な俺の行動に驚くが、肩に組まれた腕を退けようとはしない。というより、完全に硬直している。
だが、そんなこと知ったことではない。
全く自分たちの過ちを認めようとしないコイツらにチャンスはもうやらん。
オイラ、キレちまったよ……。
「この写真ばらまかれたく無かったらさっさとその下駄箱に入れたゴミを回収して消えろ。そうすれば今言ったことは無かったことにする」
俺の小さく低い声にクソ共は勢いよく首を縦に振る。
そして肩を組むのをやめるとそそくさと重の下駄箱に入れたゴミを回収して、走ってどこかへと行ってしまう。
「晒される度胸も無いんなら最初からそんなことするなよ……」
見事な小物ムーブをかました彼らを見送り、思わず独り言ちる。
本当に朝から気分の悪いものを見てしまった。
……と、まあこのように重への嫌がらせをする生徒が増えた。しかも学年も違えば、重と全く関わりのない生徒までもがだ。
今のように、まるでそれが当然と言わんばかりに重の嫌がらせをしていた。
これは本当に由々しき事態であった。状況の悪化が酷すぎる。
何かとああいう輩を見つければ今のように注意したり脅しをかけたりしてはいるが、焼け石に水。俺一人では効果が薄い……というかどうしようもなかった。
こんな状況で重は安全に学校生活を送れているわけが無い。すぐ傍で彼女を助けたいが、彼女は俺に姿を全くと言っていいほど見せてくれない。
今の俺にできるのはこうして陰ながら重の手助けをするだけ。
なんともやるせない。歯がゆい気分だ。
「はあ……」
まだ大量に下駄箱の中に入っているゴミ共を回収しながら、俺は大きな溜息を吐いた。
・
・
・
ただいま俺は本日最大の危機に直面していた。
時は昼休みが終わったあとの5限の英語の授業。
そこで俺は机を合わせて、何故か譎玲奈と一緒に英語のスピーチを作っていた。
別に俺と譎の席は近くない。
普通、今回のようなグループ学習を行う場合、無駄なゴチャゴチャ感を産まない為に近くの席の奴とペアを組め、と言ったノリになりやすいのだが───
「どんなスピーチの内容にしようか?」
「…………」
───何故か、妙にアクティブな男の英語教師は「いつも近くの人とじゃ面白みがないから、今日は好きな人とペアを組んでいいよ!」と馬鹿なことをのたまいやがり、こんなカオスな状況が完成してしまった。
「啓太くん聞いてる?」
「え? ああ……まあ、譎に任せるよ……」
ニコニコと楽しそうな笑みを浮かべる譎から目を逸らして、俺は適当に誤魔化す。
何が嬉しくて俺がこんな女とペアを組まなきゃならんのだ。ふざけるのも大概にしろ。
俺は一瞬でもこの女と一緒にいたくないんだ。
タダでさえ、ココ最近はずっと譎に付きまとわれて俺のストレスがヤバいのだ。さっきも憩いの昼休みが目の前の女に潰されて機嫌が悪いのだ。正直言って勘弁して欲しい。
加えて、周りの視線も俺の苛立ちを加速させる。
「見て見て!あの二人いい感じじゃない!?」
「確かに!ラブラブって感じ?」
「玲奈ちゃん頑張れ〜」
まるで相思相愛の付き合いそうで付き合わない男女を見守るような腹の立つ視線。
今のやり取りのどこを見てお前らはいい感じだと感じた?目腐ってんじゃないのか?そもそも、そういう内緒のお話は当人たちの聞こえない所でするのが最低限のマナーだろうが。
「えへへ……なんか注目されて恥ずかしいね……」
「……」
そして追い打ちをかけるような譎の恥ずかしそうな表情。
もうホントなんなの?お前らは俺をブチ切れさせる遊びでもしてんの?ならその遊びは大成功だよ。
だって俺、今めちゃくちゃ機嫌悪いからな!!
周りのウザったらしい反応に内心でそう叫び。
俺は頼みの綱である善に助けを求める。
「踏ん張れ、啓太……」
しかし、この状況を筋肉バカの善にどうこうできるはずもなく。奴はただただ俺の武運を祈るのみ。
───本当にどうしてこうなった?
改めて考える。
───最初はただひっそりと重に恩を返そうとしていただけなのに、なんでこんなに面倒な状況になってしまったのだ?
きっかけは重に殺されてから、そこからすべては始まった。
───そもそも譎がこんなに俺に執着している理由がわからなかった。俺以外にもお前に言い寄る男なんて山ほどいるだろ……。
現金な話だと自分でも思う。今俺がやっていることは、俺がこの世で一番嫌いな人種がやっている事だ。
───重も重だ。いきなり「さよなら」なんて言って全然姿を見せなくなって、そんなので納得できるはずないだろ。あんな顔見せられてほっとけるわけないだろ。
一度助けてもらったと分かったら手のひら返しで煙たがってた女に恩を返したいと言って、その女に付きまとう。
本当に自分で自分に吐き気がする。
───ここ最近は腹の立つことばかりだ。よくここまで耐えてきたと思う。
重と一緒に屋上でお昼を食べていた頃がとても懐かしく感じてしまう。あの穏やかな時間がとても愛おしく思えてしまう。
なんとも歪で、突拍子もない感謝の形。それでも俺は全部を引っ括めて重を
それなら仕方がない。
やりたいと思ったのなら我慢せずに自分の思ったように行動するべきなのだ。
親友は俺のことを〈誠実君主〉と呼ぶ。けれども俺は別に誠実でも無ければ、聖人なんかでもない。
自分の欲望に忠実な、ただのガキだ。
けれどそれでいい。
もう、我慢するのはやめよう。
ここまでよく頑張ってきたでは無いか。そろそろ俺が好き勝手やっても怒られやしないだろう。
きっと神様も許してくれるさ。
「本当に、どうしてこうなった……?」
「啓太くん?」
長い独白の後にボソリと湧いて出た言葉。それを譎は不思議そうに聞き返してくる。
全てに決着を付けよう。
もうこんなクソみたいな気分でいるのはうんざりだ。
「なあ譎。今D組ってなんの授業か分かるか?」
「えっ? D組? どうしたのいきなり?」
「いいから教えてくれ」
俺の唐突な質問に譎は更に表情を困惑させる。だが、俺はそれを気にせず質問を押し通す。
妙な迫力が通じたのか譎はそれ以上は何も言わずに質問に答えてくれた。
「確かD組は現国の授業だったと思うけど……」
「現国か……わかった!」
譎の返答を聞いて俺は席を立ち上がり、そしてそのまま走って教室から飛び出す。
「え、ちょっと、啓太くん?」
「Hey、ミスター潔! どこへ行くのですか!?」
俺の突然の行動に譎は疎か英語教師、教室にいた全員が驚く。
だが今は全部無視だ。この瞬間を逃せば、俺は彼女に会うことが出来ない。
「激しい腹痛に見舞われたので保健室に行ってきます!!」
バレバレな嘘を英語教師に大声で言って、全速力で廊下を駆け抜ける。
向かう場所はもちろん保健室などではない。
俺が全速力で向かう先は───
「逃げずに大人しく待ってろよ、重!」
───重愛がいるであろう2年D組である。
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