第26話 重愛の心境 その3

 ある日、とあるウワサが流れ始めた。


『夜の街で見知らぬ男と一緒に歩いている重愛を見た』


『重愛は学校の教室と寝ている』


『重愛は金を払えばヤラせてくれる』


『重愛は────』


 それは全て私に関する根も葉もない噂であった。


 久しぶりの感覚だった。

 悪い噂なんかを流されるのは中学2生の時以来だ。


 この噂を知って、私が抱いた感情は無関心特段、気にする必要も無い噂であった。

 このような噂はだいたい面白半分で流している。まともに反応する方が噂を流している元凶は喜んでしまうのだ。だから無視を決めんでいた。

 少し気分は良くなかったが我慢をした。


 けれども、彼が怒ってくれた。

 あんなに近くで彼が怒るのを見たのは初めてだったかもしれない。

 その上彼は、私が楽しい学校生活を送れるようにとこの噂を消し去ろうと奔走してくれた。


 とても嬉しかった。

 とても心が満たされていくのが分かった。

 自分のために憤慨し、行動してくれるのがとても愛おしかった。


 彼が傍にいてくれるだけで全てが満たされて、本当に噂の事なんてどうでも良くなった。


 こんなことを言っては罰が当たるかもしれないが、私はこの噂に少し感謝もしていたのだ。


 だって、この噂のおかげで彼の私を思う気持ちを知れて、今までよりも彼と過ごす時間が増えて、その時間がとても大切なものなのだ実感できたからだ。


 自分のクラスで自分が作ったお弁当のおかずを彼に食べさせた時は幸せで胸が張り裂けそうだった。


「私の好きな人はこんなに素敵なんだ」と自慢ができたような気がして、いけないと分かっていても彼に我儘を言ってあんなことをしてしまった。

「こんなに幸せでいいのか?」と不安になるぐらいに幸せだった。


 けれども幸せはいつまでも続くことは無かった。


 きっと罰が当たったんだと思う。


 ある日を境に、私の噂と同時に彼の悪い噂も流れ始めた。

 最初は些細なものだった。まだ確証が持てず、半信半疑、周りはその噂に戸惑っているように見えた。


 けれどもその噂は直ぐに火がついた。

 それは一人の女の発言によってだった。


 それを皮切りに彼への酷い嫌がらせが始まった。


 最初は彼の下駄箱に大量のゴミや泥が入れられていたり、廊下を歩く度に彼に集まる憎悪の視線と陰口、毎日机の周りは汚されていたと聞いた。


 そこには私でも経験したことの無いイジメの数々があった。


 けれども彼はそれを気にした様子もなく。笑っていた。寧ろ、自分の悪い噂が大きくなる事に喜んでいたと思う。

 まるで────


「自分の噂で私の噂を掻き消せてよかった」


 ───と言わんばかりに。


 いや、今思えば彼は本当にそう思っていたのだろう。

 優しい彼は自分を犠牲にしてでも私の噂を消し去りたかったのだ。


 どんどん激化していく嫌がらせに、彼は決して私の前では弱音を見せることなく。普段と変わらない様子で、楽しそうに私と一緒にいてくれた。


 そんな彼を見ているのがとても辛かった。

 嫌いがらせを受けている話を聞くのが耐え難かった、彼の陰口や悪口を聞くのが耐え難かった、何よりも彼からその苦しみを取り除いてあげられない自分に吐き気がした。


 彼は私の為にあんなに頑張ってくれたのに、私は彼に何一つしてあげられない。

 その事実が何よりも許し難かった。


 私の好きな人は本当に素敵な人なのに、どうして彼がこんな目に遭うんだ。彼が何をしたというのか? 何か悪いことでもしたのか? 恨まれるようなことをしたのか?


 どうしてこうなってしまったのだろうか?


 そう思った。


 そして一つの結論へとたどり着いた。


 それは彼と帰っている最中の彼の一言がきっかけであった。


「ココ最近は重の変な噂も、俺の噂で無くなって無事に問題が解決したと思ってたけど、重は何故か暗いままだし。何かまだ心配事があるのかと思ったんだよ」


 その一言で全て理解してしまった。

 彼がこんなことになっているのは全て自分が原因だと。


 どうしてそう思うのか?

 理由は簡単だ。

 私の悪い噂を流したのは、きっと私のことが嫌いな人だ。

 私のことが嫌いな人は、全く噂を気にしていない私に憤りを覚えて標的を私の近くに常にいる彼へと変えた。

 そして見事にその人の思惑は成功して、彼は私よりも酷い状態へと陥ってしまった。


 全て私に関わったから、私と一緒にいたから起きてしまったことなのだ。

 彼が私なんかといなければこんなことにはならなかったのだ。


 それに気づいた瞬間、私は悲しくてたまらなかった。彼に申し訳なくて、謝りたくて、懺悔の思いで埋め尽くされた。

 もう彼の傍には居てはいけない。二度と彼に近づいてはいけない。彼の顔を見ることができない。


「…………」


 涙が止まらなかった。


 身勝手な自分の考えに腹が立った。


 こんなこと思ってはいけないと分かっていても、私はそうしたかった。


 彼と────


 でも、全てを無理やり押し殺して、覚悟して私は決断をした。


「もう啓太くんと一緒にいてはいけない」


 私が彼の傍から消えれば、きっと彼はまたいつも通りの生活を取り戻すことが出来る。


 もう辛く、苦しく、悲しい思いをしなくて済む。


 そんな思いをするのは私一人で十分だ。

 今までが幸せすぎたのだ。そのツケが返ってきたと思えば納得もできる。


 彼には幸せでいて欲しい。

 その傍にいることができればよかったが、どうやらそれは神様は許してくれないらしい。ならば私は諦めよう。


 大丈夫。素敵な思い出は彼から沢山貰えた。それだけで満足だ。


 それに、彼が幸せでいてくれるのならこの上ない喜びだ。


 本当に充分だ…………本当に、本当だ。


 我慢なんかしてないし、無理もしていない。


 本当にもう私は彼から貰いすぎてしまったから、だから私は───


「さよなら」


 ───最後に別れの言葉だけを言って彼の元から消えればいいのだ。

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