第21話 不穏な気配
6月も半ばへと差し掛かり、太陽の光が本気を出し始めてきた今日この頃。
青く澄み渡る快晴の空とは裏腹に俺の心は曇天模様だった。
いつも通り重の手作り弁当を食べて、のんびりと日向ぼっこをした後の午後の授業。眠たさマックスで、しかも5限の授業が数学ということでテンションが駄々下がりするには十分な内容であるが、俺の心が晴れないのは別の理由であった。
「でーあるからしてー───」
「……」
この前の重との水族館デートから一週間が経とうとしていた。
あのデートを重はとても喜んでくれて、元々の目的であった日頃のお礼もなんとか成功した。
加えて、あの日から重との仲は前よりも良くなったと思う。
毎日のお昼の弁当はもちろんのこと、あの後も放課後に何度か遊びに行った。
駅チカショッピングやカラオケ、ボウリングなど重の″お願いノート″に書いてあるお願いごとを叶えるべく、俺達は以前よりも更に一緒に居る時間が増えた。
日に日に重が幸せそうに笑う日が増えて、順調に目的が果たせていると思っていたのだが、3日ほど前からこんな噂が流行り始めていた。
『夜の街で見知らぬ年上の男と一緒に歩いている重愛を見た』
根も葉もないタチの悪い話しだ。
また別の場所でこんな話が聞こえてきた。
『重愛ってウチの教師と寝てるらしいよ?』
『それほんと?』
『うん。教師に媚び売ってテストの答案とか、成績良くしてもらってるだって』
『マジ?サイテーじゃん!』
話はどんどんと飛躍していき、拡散して言った。
さらに別の場所でこんな話が聞こえてきた。
『重って金払えばヤらせてもらえるらしいぜ』
『マジかよ!俺も払えばチェリー貰ってくれるってこと!?』
『お前みたいなブスは無理だろ……いや、大金積めばいけるのか?』
これまた下世話でふざけるなと言いたくなるような噂話だった。
どれもこれも、少し考えれば嘘だと分かるような話ばかり。
だが、殆どの生徒が重愛と言い人物の本当の姿を知っている訳ではなく。この噂を面白半分で信じて重に奇異の視線を送り始めた。
これによって普段から孤立気味だった重はさらに腫れ物のように浮いた存在となってしまった。
これが目下の俺の悩みの現況であった。
「はあ……」
一体なぜ? どうしていきなりこんな話が沸いて出てきたのか? 誰が、なんの目的で度の過ぎた笑えない事をしたのか?
こんな巫山戯た噂話の数々を聞いた時は怒りで我を忘れそうになった。勝手に体が動き出して噂話をしていた奴らに殴り込みそうになった。
血迷った俺を重が止めに入ってくれたお陰で事なきを得たが、あの時は本当にヤバかった。
しかも何が困ったかって、噂の中心にたっている重愛本人がこのことを全く気にしていないということだ。
いや、下手に気にして精神的に不安定になるよりかはマシだが、全く否定せず、怒らないのは少しお人好しすぎる。
重曰く、
「啓太くんが私の事を分かってくれてばいいから言わせておけばいい」
とのことだが…………違う、そういうことじゃないんだ。
とても俺の胸にキュンとくる嬉しい一言ではあったそういう話では無いのだ。
根本的に重のスタンスは間違っていない。人の噂も七十五日とよく言うだろう。言いたいやつには言わせておけばいいと俺も思う。
けれどもある程度、牽制的な意味も込めて噂の否定はする必要があると思うのだ。
もし、今流れている噂を否定せずにいたら、いずれ本当に噂を信じた馬鹿共が重に危害を加えるかもしれない。それで本当にシャレにならない事が起きてしまっては遅い。それだけは何としてでも避けなければいけない。
だが当の本人はこの話に全くの無関心と来たもんだ。
その強靭メンタルは尊敬するが、自衛が必要な時もあるんですよお嬢さん。
「はあ……」
「潔くん、先程からため息が多いですね?何か困り事ですか?」
考えることが多すぎて本日何度目かのため息を吐いていると数学教師に目をつけられる。
露骨に態度に出過ぎてしまった。
「うぇ!?い、いや特には!悩みがないのが悩みですかね!?」
「そうですか、それじゃあこの問題を解いてもらいましょう」
「うっ…………」
適当な事を言っていると教師に問題を振られてしまう。
周りは俺の失態を見てイジるように笑う。
くそっ、考え事に集中しすぎてた。次からはもっと気をつけなければ……。
なんて反省をして俺は教師の顔をまじまじと見る。
そうして俺はこういってやるのさ───
「さて、どうですか?」
「分かりませんっ!!」
───授業なんてマジメに聞いていないのだから分かるはずがない。
潔く堂々と正直に俺はそう言い放って再びクラス中の笑いを掻っ攫う。
……なんだか自分の無力さが情けなくて泣けてきた。
・
・
・
「それじゃあ気をつけて帰れよー」
ホームルームが終わり、生徒達が蜘蛛の子を散らすように散開する。
俺もそそくさと荷物をまとめて席を立つ。
今日も重と帰るのは決定事項だ。
既にスマホのトークアプリでやり取りは済ませており、昇降口で落ち合う手はずとなっている。
駆け足で教室から出ようとすると1人の男子生徒に呼び止められる。
「今日もカノジョのところかい、啓太くん?」
「ん?ああ、善か。そうだよ」
その生徒は説明するまでもなく、俺の悪友の小鳥遊善である。
全然は茶化すように俺の隣を歩き始めた。
「……最近の啓太はからかいがいが無いなあ〜。少し前はちょっと茶化すだけで否定してたのに、今では無反応ですか……もしかして本当に……!?」
「違ぇよ。俺と重はそういう関係では無い。もういちいちお前のおふざけに付き合うのも面倒になっただけだ」
「おいおい、そんな悲しいこと言うなよ〜。もっと俺を楽しませてくれって〜」
「うぜぇ……」
能天気にだる絡みしてくる善に少々の怒りを覚えて、廊下を歩く。
だる絡みしてくる善を無視していると何処かから話し声が聞こえてきた。
「あの重愛が────」
「マジで!?俺はこんな話を───」
それはもう既に聞き飽きてしまった重の根も葉もない噂話である。
「……」
無関心を装っても話が聞こえてしまえば気になるし、腹が立つ。
今の俺は相当な顰めっ面になっていることだろう。
「ま、冗談はさて置いて、あんまり無理しすぎんなよ」
「は?」
何処から聞こえてきた男子生徒達の話し声でかなり最悪な気分になっていると、珍しく真面目な声で善が言う。
「一人で抱え込みすぎるなって言ってるんだよ。曲がったことが大嫌いなお前のことだ、今広がってる噂をどうにかしようとでも思ってるんだろ?」
「なんで分かっ───」
「分かるに決まってんだろ。いつからの付き合いだと思ってんだって話だ。お前は本当に昔から変わんねえよ」
少し驚いた顔をすると善に笑われてしまう。
そんなに俺は顔に出やすいタイプだろうか?
「一人じゃどうしようもねえと思ったら必ず相談しろ。俺はバカだがバカなりにお前の力になってやる」
そう言うと善は急に肩を組んできて快活に笑う。
……本当にこの男は変なところでカッコイイというか、男らしいというか……流石はスポーツ大好き大会系様だ。
だが、善の言葉は今の俺にはとてもありがたかった。
「別にそんな大それた事をするつもりはねえよ。けどまあ……なんかあったら助け呼ぶかもしれんからその時は────頼むわ」
「おう!任せとけっ!俺もこういう辛気臭い噂話は大嫌いなんだ。いっちょ、昔見たく悪ガキども正論で懲らしめてやってくれや、誠実君主さま!」
「……その呼びた方やめろって言ってるだろ。てか、いつの話してんだよ」
調子よく善しか呼ぶことのないあだ名に俺は溜息をついて肩に乗っかった奴の腕を退ける。
「ほら、さっさと部活行け。気い抜いて怪我とかすんなよ」
「おうよ!じゃあな啓太!」
「ああ」
いつの間にか一階の下駄箱前へと辿り着き、そこで善と別れる。
「ホントに頼りになるバカで最高の友人だよ」
下駄箱前を通り過ぎてさらに奥にある格技場へと向かう善の背中を見送って、普段では絶対に言わないことを言う。
アイツのお陰というのは癪だが、踏ん切りがついた。
やるからには徹底的にだ。
この噂の解消をして、重に幸せで、楽しい学校生活を送って貰うために頑張るとしよう。
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