馬鹿のぬくもり

 一人暮らしをしている男の家に普通に上がり込みやがった馬鹿女を抱えて、ベッドに投げた。

「わっ…………なに? 喧嘩でも売ってんの?」

 この状況で『喧嘩を売ってる』とかいう呑気極まりない事を言って不機嫌面になった馬鹿の頬を思い切りつねり上げてやる。

「ちょ、なに、いはいからやめろ」

「お前は本当に馬鹿で呑気で阿保の間抜けだよ」

 なんで自分は罵倒されているんだろうか、とでも言いたそうな顔をしている馬鹿の頬にギュッと力を込めてから、離してやる。

「いたい……なんでそんな急に不機嫌になってんだよお前……さっきまで機嫌よかったじゃん」

「お前さあ? なんでノコノコ俺についてきたの?」

「は? お前がついてこいって言ったからじゃん。嫌だって言ってもどうせ聞かないし……」

 とかなんとか言ってる馬鹿に馬乗りになって、顔を見下ろす。

「……こういう事を無理矢理されるかも、って少しも思わなかったわけ?」

「…………え? そういう意味合いで連れてきたの?」

 まるで想定外だった、という目の前のとぼけ顔を引っ叩いてやろうかと思ったけど、抑えた。

 ……ああ、なんだってこの馬鹿はいつもいつも、こう危機感が欠片もないというか頭の中がお花畑というか。

 気が狂いそうだ、こいつがもう少しいろんなことに注意して生きていれば俺はこうはならなかっただろうに。

 どうしてやろうかと暗い感情を抱えながら自分にされるがままの馬鹿の顔を睨んでいたら、馬鹿が小さくうわーとかなんとか言ってからとんでもねー事を言い出しやがった。

「お前ってロリコンなのか?」

「は?」

 数秒、完全に思考が停止した。

 …………ロリコン? 誰が? 俺が?

 なんで??????

「お前、こんなのに欲情できるのか? 身長140もないちんちくりんだぞ? 制服着てないといまだに小学生に見間違えられるんだぞ?? もう一回聞くぞ? 正気か?」

 本気で正気を疑っているような顔でこちらを見上げてくる。

 確かに馬鹿は随分と小柄だし、調べる前は普通に年下だと思っていた。

 顔付きも幼いし、言動も抜けているので子供っぽくはある。

 だからといって、なんで俺がロリコン扱いされなきゃならないの?

 何も言えずにいたら馬鹿は胡乱げな顔でこちらの顔をじいっと見つめてくる。

「…………そういや学校の男子が私のことロリ巨乳? とかって言ってたけど、巨乳でもロリだぞ? あと別に巨乳ってほどじゃ」

「その男子とやらの名前を吐け」

「名前は知らん。顔も覚えてない。他のクラスの誰かだよ……知ってたとしてもお前が殺人犯になりそうだから言わない」

「間抜けのくせにそれは理解できるのか」

「そんな顔されれば流石に」

 馬鹿は呆れ顔で溜息を吐いた。

 イラッとしたので頬をつねった。

「いいか、よく聴け」

「なに?」

「俺は、ロリコンじゃない」

「はあ」

「なんだその疑わしい目……とにかく……俺は、ロリコンじゃ、ない」

「…………で?」

 完全に信用していない顔で見上げられる。

 何かと苦労の多い人生を送ってきたつもりでいるけど、今この瞬間が今までで一番キツいかもしれない。

 なんで俺、同い年の間抜けに迫ってロリコン扱いされているんだろうか?

 こいつが本当に小学生くらいの女児だったらそういう疑いを向けられても別にいい、だけどなんで同い年の女に手を出そうとしただけでロリコン扱いされなきゃならないの。

 いっそもうロリコン扱いされてもいいから泣くまでブチ犯してやろうか。

 それはそれで気分が良くなりそうだけど、それをやって後々避けられたら腹が立つのでやめておこうと思う。

「……あー、もう悪かったよ、人の趣味嗜好はそれぞれだ。別にお前がロリコンでも私は気にしないよ。……本物のロリに手を出して迷惑かけたりしたら、流石に引くけど」

 ……やっぱりこいつ、泣かせていい?


 泣かせてやろうかと思ったけど、本当にそれをやると一生ホンモノだと思われかねなかったので、説教一時間で済ませてやった。

「お前は……ロリコンっていうか、口うるさい母親みたいだな……」

 どことなく疲れた様子の馬鹿の額を指先で弾いた、誰が母親だ馬鹿娘。

 なんだか精神的にどっと疲れてしまったので、馬鹿の身体を抱えて不貞寝することにした。

「寝るつもりならもう帰るけど」

「うるさい、黙ってろ抱き枕」

「だきまくら……」

 途方に暮れたような声を上げる馬鹿が逃げ出さないようにしっかりと抱え込んで、目を閉じる。

 思いの外、心地いい。

 この馬鹿はとんでもない冷え性だが、今はどこに触れても温い。

 冬の間は氷のような手のひらも春になればきちんと人の温度を取り戻すらしい。

 暖かく柔らかい肉の塊を抱えているだけなのに、異様なほど心地良くて気が緩んでいく。

 実は本気で眠るつもりなんてなくて、眠るとしても五分程度で済ませようとしていたのに、今まで感じたことがないくらい重い睡魔が襲ってくる。

 これは寝る、数時間は起きられないだろう。

 なんでここまで気が緩むんだ、と思ってとろけていく意識で辛うじて二つほど答えを見つけた。

 ここには自分とこの馬鹿しかいないからだ、父親も母親も弟妹もその他有象無象も、外敵となるものがいない。

 その上で、腕の中にはどうしようもない馬鹿がいる、離れている時は誰に何をされていてもおかしくない、弱くて間抜けで危機感のないどうしようもない女が。

 だけど、これがどれだけ弱くても間抜けでも自分の腕の中にいるのなら安全だ、安全であるという保証ができる。

 だからきっと、自分はただ単純にこの環境に安心していて、常に張り詰めていた気が緩んでしまっただけなのだろう。

 きっと、このご時世の普通よりも少し幸福な人間は、こんなふうに外敵のいない環境なんて当たり前に持って生まれるものなのだと思う。

 けれど自分にはそんなものはなかった。

 半分は自分のせいだったのかもしれないけど、自分が生まれ育ったあの家には安心して休める場所なんてなかったし、他にもそんな場所なんてなかった。

 この女が隣にいる時は少しだけ気を休めることはできたけど、安心とも安全とも程遠い。

 だけど、今は違う。

 自分に決定的に欠けていて、名声よりも何よりも必要だったものの一つが今、やっと手に入った気がする。

 と、いうところまで考えられたけど、もうものを考えるのもそろそろ限界になってきた。

 小さく身動ぎしたあたたかいものを絶対に逃さないように抱き締めて、意識を手放す。

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